エピローグ

エピローグ

 JR四ッ谷駅にほど近い新宿通り沿いのビルに今年4月にオープンした珈琲専門店Eden。


 Eden(エデン)は旧約聖書に登場するユートピア。アダムとイブの楽園だ。

そんな楽園の名前がつけられた珈琲専門店ではコーヒー通のマスターが選んだ選りすぐりの豆の販売と二階はカフェになっている。


 5月の晴れの午後。街の散歩をするにも気持ちのいい日だ。ゴールデンウィークの最中の引っ越し作業の息抜きに、香道なぎさは四谷で話題の珈琲専門店を訪れてみることにした。


 三階建ての茶色いビルの一階と二階がEdenの店舗になっている。外壁にはレンガの装飾が施され、洒落ていた。

扉を開くとカランカランと鈴が鳴る。一階の販売スペースは混雑していた。種類の豊富なコーヒー豆が量り売りされていたり、豆の詰め合わせのパックがあったり、コーヒーに合うお菓子も売られていた。


迷った末に早河探偵事務所でよく使う種類の豆と詰め合わせパックを購入した。早河に飲んでもらうのが楽しみだ。


「二階がカフェですよね?」

「はい。そちらの階段をご利用ください。マスターの淹れるコーヒーはとても美味しいですよ」


 店員の女性に確認すると愛想よく答えてくれた。せっかく来たのだ。評判の良いコーヒーを飲んでみたい。


 二階は豆の販売をしている一階よりもさらにコーヒーの薫りが強い。店内の客層は様々。

カップルや年配の男女、若い女性も多い。

ほぼ満席だ。どこに座ろうかと悩んでいたなぎさはカウンターの中にいる男と目が合った。


『お一人でしたらこちら空いていますよ』


男が示したのはカウンター席の一番端。人当たりのいい中年の男はこの店のロゴ入りのエプロンをつけている。

なぎさは勧められた席に落ち着いた。


『何になさいますか?』

「じゃあ……今日のおすすめブレンドを」


 メニュー表にはコーヒーだけでなく、グレープフルーツジュースなどのソフトドリンクやケーキ、サンドイッチやパスタのサイドメニューの記載もあった。たまには昼食をここで過ごすのもいいかもしれない。


 男が目の前で豆を炒り始める。やがてコーヒーの薫りと共にクリーム色のコーヒーカップがなぎさの前に置かれた。ミルクとシュガーを少しだけ溶かしたコーヒーは芳醇で優しい味だ。


「美味しい! 私の上司もコーヒーにこだわる人なんです。今度ここに連れて来ようかな」

『それはぜひご一緒にいらしてください。お待ちしています』


人当たりのいい穏やかな男がにこやかに微笑んだ。


 コーヒーを飲み終えてなぎさはEdenを後にする。Edenを出たなぎさの後ろ姿をサングラスをかけた女が見つめていた。


 黒色のシフォンブラウスにジーンズ姿の女はEdenの扉を開けて階段を上がる。女の履く赤いハイヒールが音を奏でた。

ざわつく店内で彼女は真っ直ぐにカウンター席に向かう。なぎさの接客をしていた中年の男が女に気付いた。


『予定より遅かったですね』

「入ろうとした時にあの子が来たから、しばらくカクレンボしてたの。鉢合わせると厄介でしょう?」

貴女あなたはまだカクレンボの必要がありますものね。ちょうどこちらに座っていましたよ』


彼女はさっきまでなぎさが座っていた席に座り、サングラスを外した。


『いつものでよろしいですか?』

「あの子は何を頼んだの?」

『本日のおすすめブレンドを』

「私も同じものをお願い」

『かしこまりました』


 男は他のどの客よりも丁重に女をもてなす。彼女は携帯電話を開いてニュース画面を見下ろした。


〈事件発生から1ヶ月。埼玉女子高生殺人事件、暴かれた衝撃の真相!〉(※)

〈埼玉不動産会社 社長夫妻殺人事件、犯人の手掛かり未だ掴めず〉(※)

〈樋口コーポレーション、豊岡建設を吸収合併〉


ニュースの見出しを見れば大方の内容はわかる。埼玉の方は最近特に騒がしい。

(※ ~Midnight Eden~episode0.片翼かたよくより)


「埼玉の例の事件、派手に報道されてるのね。キングが面白がっていたのよ」

『同じ日に埼玉で二つの殺人が起きましたからね。偶然が重なったんです』


この国に蠢く闇。潜むもの。

彼らはその中枢を知る者。


「偶然とは面白いものね」

『これからが楽しみですね』

「そうね。これからどうなるのか。……香道なぎさ。偶然か必然かこれも宿命か」


頬杖をついて携帯画面を眺める女を見て男は苦笑した。


『そうやって何かをお考えになっている時の貴女はキングと同じ顔をしていますね』

「ふふっ。それって褒め言葉?」


 彼女はクリーム色のコーヒーカップを持ち上げ、コーヒーを一口飲んだ。猫に似た瞳が優しく笑う。


「やっぱりスコーピオンの淹れるコーヒーが一番美味しいわね」

『ありがとうございます。貴女にそう言っていただけることが私には何より幸せなことです』


スコーピオンは丁寧に頭を下げた。


この出会いは偶然か必然か。

それとも……宿命か。



早河シリーズ第一幕【影法師】ーENDー

→あとがきに続く

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