4-4

 都内の寺院で香道秋彦の葬儀が行われた。参列者には香道の友人や学生時代の恩師、警察関係者も多く参列している。

所定の席に着席した早河は負傷した右肩を押さえて表情を歪めた。隣にいる小山真紀が早河を気遣う。


「早河さん、無理しないでくださいね」

『ああ。これくらいどうってことない』


貴嶋に撃たれた肩の痛みよりも自分の単独行動によって尊敬する先輩刑事を死なせてしまった痛みの方がはるかに大きい。


 焼香の順番が早河に回る。焼香をしている間、鋭い視線が全身に突き刺さるのを感じた。その視線の主はわかっている。桐原恵だ。

彼女は早河が焼香を終えると彼の前に立ち塞がった。


「あなたのせいよっ……! …あなたのせいで秋彦は……」


 恵が早河の頬を打つ。まだ焼香の列は続いているのに誰も彼もが動きを止めて早河と恵に視線を注いでいた。


『……申し訳ありません』


頭を下げた早河に対して恵の怒りは収まらず、彼女は早河に掴みかかった。


「許さない! 私はあなたを絶対に許さないから! 秋彦を返して……返してよ!」


泣き崩れる恵をなぎさが支える。なぎさは早河を一瞥し、錯乱状態の恵を連れてその場を離れた。


 恵に叩かれた頬がヒリヒリと痛む。どうせならもっと殴られてもよかった。誰かに殴られて罵倒された方がいい。こちらを見ている上野に目礼して、早河は寺を後にした。


 寺の駐車場に戻ると矢野一輝が待っていた。矢野はいつもの派手な服装ではなく喪服姿だ。


『来てたのか』

『せめて香典だけでもと思って。でも中に入ったら警察関係者だらけでヒヤヒヤしましたよ。だいぶぬるーくなっちまったけど飲みます?』


矢野は未開封のペットボトルの飲料水を早河に渡した。ペットボトルと共に渡された物に彼は眉をひそめる。それはUSBだった。


『なんだこれ?』

『辰巳佑吾時代の犯罪組織カオス内部についての捜査資料のデータですよ』

『お前、こんな物どこで手に入れた? カオスの捜査資料はトップシークレット扱いで一部の警察幹部しか閲覧できないと上野警部は言っていたが……』

『それは管理している捜査資料ですよね。でもひとりだけいるじゃないですか。警察関係者じゃなくなってもカオスを追い続けた人が』

『まさか……親父の?』


矢野は頷いた。


『そのUSBには早河さんの親父さん……早河武志さんが独自に集めたカオスの情報が入っています。当時の捜査資料を俺がUSBに移したものですけど、中身は親父さんが作った捜査資料のままです。これを受け継げるのは早河さんしかいません』

『親父が作った捜査資料……これが……』


 手のひらに収まる小さなUSB。亡き父から息子へ託された思いがここに宿っている。


『中を見ればわかると思いますが、辰巳佑吾時代のカオスにはキングの辰巳の側近としてスコーピオンとケルベロスと呼ばれる奴らがいたようです。それにラストクロウも。去年の静岡で起きた殺人事件の犯人もラストクロウの名を引き継いでいた。今の貴嶋佑聖時代のカオスにラストクロウがいたのならスコーピオンやケルベロスが存在している可能性はあります』


 矢野はぬるくなったペットボトルの飲料水を口に含む。横目で早河を見ると彼はまだUSBを眺めていた。


『早河さんはこれからどうするんですか? まさかひとりで貴嶋を追う気じゃないですよね?』

『……さっき、恵さんに殴られたよ』


早河は恵に打たれた左頬をさする。涙目でこちらを睨み付ける恵の顔が忘れられない。


『ああ、香道さんの彼女の……』

『秋彦を返せって泣きながら言われた。あれは……けっこうクるな。単独行動をした上に先輩を死なせた。刑事失格だ。だからこそ俺は……』


手に持つUSBを握り締めて早河は空を仰ぐ。こんなに綺麗な青空なのに心は大荒れの嵐のようだ。


『……今からラーメン食いに行きません? そろそろ昼飯にもいい時間でしょ』


 矢野が唐突に言い出した。早河は腕時計を見る。確かに昼食の時間帯ではあるが、この数日で空腹を感じる機能さえもどこかに置き去りにしてしまった気分だ。


『お前なぁ、こんな時に』

『こんな時だからですよ。俺、香道さんにいつものラーメン奢ってもらう約束してたんですよ。特盛餃子つきで。こんなことならあの後、一緒にラーメン食いに行けばよかった』


矢野は喪服のポケットから行きつけのラーメン屋のマッチ箱を出して悲しげに見下ろした。早河も矢野の意図を汲んでマッチ箱を見つめる。


 蝉時雨が聴こえる。とても暑い、仏滅の真夏日だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る