第四章 並んで歩く影法師

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 かつては工業地帯として栄えた江東区豊洲は再開発が進み、高層マンションが乱立するファミリー層に人気の住宅エリアに変貌を遂げた。夜景スポットとしても人気が高い豊洲には夜景を楽しむカップルやカメラを構えた写真家の姿も見える。


 早河は豊洲のタワーマンション群を抜けて路地に入った。路地裏を入ると再開発に乗り遅れたような、昔の工業地帯の名残を感じる倉庫街に辿り着く。

貴嶋佑聖に指定された場所は豊洲の貸倉庫だった。目的の場所に建つ倉庫の鉄の扉は鍵が開いている。時刻は午後10時50分。


 重たい扉をスライドさせて中に入った。拳銃を構えながら周囲を見回す。倉庫内は弱々しい電灯の明かりがあるだけだが、遠くを目視できるだけの明るさはあった。

ここは埃っぽく蒸し暑い。片手でシャツの襟ぐりを緩めたその時、背後で足音が聞こえた。拳銃を持つ手に力がこもる。


 開かれた鉄の扉から現れたのは黒いシャツに黒いスラックス、全身を黒い服に覆われた男。彼はかけていたサングラスを外した。


『早河くん。12年振りだね』

『貴嶋……』


 12年振りに再会した友人の姿は昔と変わらない、作り物の彫刻のような顔立ちをしていた。


『12年前にこの世に神はいると思うかと、私が君に聞いたことを覚えている?』

『……ああ。この事件が起きるまですっかり忘れていたがな。あの質問の意味が俺にはわからない。神の存在なんか考えたこともなかったからな』


早河の答えを聞いて貴嶋は口の端だけを上げて笑った。彼のそのニヒルな笑みは過去に何度か見たことがある。


『そう。神がいたところで意味はない。どのみち結果は同じ』

『何を言っている?』

『君は12年前の真実を知りたくない?』


 貴嶋は壁に背をつけた。早河が拳銃を構えていると言うのに拳銃の存在を気にもしていない悠然な動き。


『12年前の8月11日、横須賀に二人の男の死体が転がっていた。ひとりは君の父親、もうひとりは犯罪組織カオスのキング、辰巳佑吾。君もここまでは知っている?』


早河は頷いた。上野警部が提供してくれた資料にもそう書いてある。


『親父も辰巳も拳銃で撃たれていた。死亡推定時刻から判断すると親父の方が先に死に、辰巳がその後に死んだ。一見、親父と辰巳の相討ちに見えるがそうではなく、現場には親父と辰巳以外の第三者がいたと考えられている』

『そこまで知っているのなら話が早い。君の父親と辰巳、なぜ死体が二つあったのか、現場にいた第三者とは誰なのか。答えは簡単だ。君の父親を殺したのは私だよ』


貴嶋は壁から背を離し、長い脚を一歩前に出した。


『お前が?』

『君の父親は背後から撃たれていた。その銃弾は私が撃ったんだ。君の父親を殺したのは辰巳ではなく私。そして辰巳も私が殺した』

『お前は……辰巳の息子なのか?』


 倉庫内は蒸し暑いはずなのに背筋に寒気を感じて鳥肌が立つ。暴かれていく真相、知りたくなかった12年前の真実。


『そう。私は犯罪組織カオスのキング、辰巳佑吾のただひとりの息子だよ。実に理解し難いことではあるが、私の母親はあの男を愛していたようでね。結果、私が産まれたわけだ』


 貴嶋があの男と呼ぶ人物が辰巳佑吾、母親が貴嶋聖子。早河の予想通りだった。


『お前の母親について聞いていいか?』

『私に答えられることなら答えよう』

『お前が産まれる直前、貴嶋聖子の父親は自家用ヘリの操縦中に事故死している。あれは本当に事故だったのか?』


早河は抱いていた疑念を口にした。貴嶋は表情ひとつ変えずに彼を見据えている。


『何かと思えばそんな事か。さぁね。会ったこともない祖父の死の原因に興味もないから私も詳しく調べてはいないよ。ただ……祖父は母と辰巳の交際を認めていなかったようだからね。辰巳が祖父を殺していてもおかしくはない』


 貴嶋は自分の父親について他人事のように淡々と語る。彼は辰巳佑吾も殺したと言ったが、なぜ父親まで殺す必要があった?

聞きたいことは山ほどあるのに次の言葉が出てこない。


 黙考する早河に対して貴嶋は薄ら笑いを浮かべている。


『まだ話していないことがあったね。私はね、君と同じ学校に転入して君と同じクラスになり、友と呼べる間柄になったことを偶然だと思っていたんだ。まさかそれが辰巳佑吾の計画だとは知らずに』

『辰巳の計画? 俺と同じ学校に転校してきたのは偶然じゃなかったんだな?』

『そうさ。父は宿敵である早河武志の息子の君を監視していた。君が幼い頃から父はずっと君を狙っていたんだよ。早河氏の息の根をどうやって止めようか画策して愉しんでいたんだ。我が父ながら執念深くて悪趣味な男だと思う』


 14歳で両親を殺害、その後無差別殺人を犯した凶悪犯罪者の辰巳に命を狙われ続けていたと思うとゾッとする。

そして今は辰巳の息子と対峙している。昔の友人としてではなく、刑事と犯罪者として。


『父は君を監視させる目的で私を転入させた。あの男は私に君を殺させるつもりだった』

『だけどお前は俺を殺さなかった』

『そう、殺せなかった。君は友達だったから。でもあの頃の私はまだ甘かった。何もわかっていなかった。あの時、父の命令通りに君を殺しておけばよかったと悔やむよ。君が早河氏と同じ警察官の道を選ぶとはね』


 貴嶋が手にした拳銃の銃口がこちらを向いた。銃口を向けられても早河は動じない。

早河の銃口も貴嶋に向いた。


『父親と同じ道を選んだのはお前も同じだろ』

『選んだんじゃない。私は産まれた時からカオスのキングになる運命さだめだった。幼い頃からキングになるための教育を受けて来た。誰もが辰巳佑吾の後継者を私に望んだ。私にはそれ以外の道はない』


 両者は一歩も動かず睨み合う。


『どうして辰巳を殺した? 父親なのに……』

『父親だからこそだ。キングの継承のためには必要なことだよ。辰巳佑吾の時代は終わり、新たな時代を私が築く。これが天地創造だ』


 貴嶋の口調は憎らしいほど穏やかで、紡がれる死を孕んだ言葉と穏やかな口調のミスマッチが不気味だった。

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