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 8月11日もあと1時間で終わろうとしている夜、上野が広尾の早河のアパートを訪ねた。


『お前の言っていた貴嶋佑聖だが、思ったよりも簡単に調べがついた。貴嶋佑聖の母親は貴嶋聖子、貴嶋グループの令嬢だ。貴嶋グループは第二次世界大戦中に派生した中堅財閥の末裔で横須賀に本家がある。聖子は本家当主の一人娘だ』


 上野は早河が淹れたコーヒーを飲み、彼に資料を渡した。早河は書類の束をめくる。そこには貴嶋の戸籍謄本が載っていた。

貴嶋佑聖の生年月日は昭和53年12月11日。


『アイツは財閥系の血筋だったんですね。本籍は横須賀……父親の欄が空欄になっていますけど……』

『聖子は未婚の母だった。彼女は20歳で佑聖を出産後、失踪している』

『失踪?』

『さらに聖子の失踪の前に彼女の父親、つまり貴嶋グループの当主が事故死しているんだ。聖子の母親はドイツ系アメリカ人で、母親も聖子が子供の時に病死している』


早河は貴嶋聖子の戸籍の欄を見た。戸籍を見れば聖子の両親のどちらも除籍され、死亡していることは一目瞭然だ。


 聖子の母親はドイツ系アメリカ人、父親は日本人、聖子は日本とアメリカのハーフとなり、貴嶋は欧米の血を継いだクォーターとなる。

貴嶋佑聖の印象的な色素の薄い瞳は母親譲りだろう。


『父親の事故死と言うのは?』

『その件も神奈川県警に問い合わせた。聖子の父親、貴嶋永輔が死亡したのは聖子が佑聖を出産する直前……1978年の11月だ。貴嶋永輔はヘリコプターの操縦を趣味としていて小型の自家用ヘリを所有していた。永輔がヘリの操縦中にヘリが機械トラブルを起こし、墜落。当時の警察の見解では事故死として処理されている』


上野から与えられた書類の中には神奈川県警から取り寄せた貴嶋永輔の死亡事故の資料もあった。


『貴嶋家の本家の子供は聖子の他はいない。両親を失った聖子はただひとりの遺産相続人となり、父親の遺産を相続した。その後、聖子は生まれたばかりの息子を連れて姿を消した』

『父親の事故死も黒い話ですね。本当に事故死だったんですか?』

『なにせ29年前の事だからな。捜査を担当した刑事も定年していて当時の記憶が定かではない。ただ、疑うとするなら聖子がヘリの機械に細工をして父親を殺した可能性もある。彼女が未婚で身籠ったことで父親との仲は険悪だったとの証言もあったようだ』


 聖子の除籍はされていない。戸籍上では貴嶋聖子は今も生きていることになる。


『聖子の失踪宣告はされなかったんですか?』

『貴嶋家の血筋が途絶えることを恐れた関係者が失踪の申し立てをしなかったそうだ。お前の高校に息子の佑聖が転校してきたのなら、その時期には聖子も東京にいたんだろう』


 行方不明となった貴嶋聖子、空欄の父親。早河は空白となっている貴嶋佑聖の父親の欄を見つめた。


『聖子の恋人……佑聖の父親のことは何かわかりましたか?』

『聖子の相手の情報はまったく掴めなかった。父親が交際に反対するくらいだから親や周囲に認められた付き合いではなかったのかもしれない』


 話を終えて上野が去った部屋で早河はソファーに寝そべって資料を眺めた。時計の針が午前零時を示す。父の命日は過ぎて12日になった。

上野が残していった資料には辰巳佑吾が創設した犯罪組織カオスについてもまとめられていた。


(親父が追っていたカオスの拠点も横須賀……)


貴嶋佑聖の本籍地は横須賀、出所後の辰巳佑吾の拠点も横須賀。


 聖子は20歳で佑聖を産んでいる。その時の辰巳の年齢は27歳。年齢的にも二人が恋愛関係にあったとしても不思議ではない。

少年刑務所を出所した辰巳が横須賀に移住し、何らかの形で聖子と出会い、二人の間に子供が生まれたとしてそれは……

いや、こんなことは偶然だ。……偶然? 本当に?


 早河はソファーを降りて冷蔵庫からビールを取り出した。その場で一気にビールを喉に流し込む。

心の中にドロドロとした汚泥のような感情が溜まっていく。もしも貴嶋聖子の恋人が辰巳だったとしたら、もしも貴嶋佑聖の父親が辰巳なら……


 彼は飲み干したビール缶を素手で握り潰した。確証のないつまらない想像は止めよう。

今考えなければならないのは貴嶋の父親が誰であるかよりも、門倉唯誘拐事件の犯人の正体だ。


門倉唯の誘拐が貴嶋の仕業なら、唯の祖父の門倉警視総監射殺も台場公園の爆破も一連の事件に貴嶋が関与していることになる。そうなれば刑事として貴嶋を逮捕するのが自分の仕事。


 ――この世に神はいると思う?――


 また、夏の逆光の向こう側で貴嶋のあの言葉が再生された。


『確かにもし神がいるならまったく残酷な仕打ちだよ』


消えてしまった友人の影を、すぐ側に感じた熱帯夜だった。

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