Walk with You

moes

Walk with You

「アナタ、高校卒業したら、ぼくのところに嫁に来なさいな」

 ため息混じりに、しかしまじめな顔でそんなことを唐突に言い出した相手の真意をはかるべくまっすぐに眼を見つめる。

 こちらの視線を真っ向から受け止めた相手の考えはさっぱりと読み取れなかった。



 最初に会ったのはもう十年も前になる。



 閑静な別荘地で、ひとり歩いている子ども。

 取りたてて不安そうでもなかったけれど、楽しそうでもなく、なんとなく気になって声をかけた。

「迷子?」

 不審そうに顔をあげた子どもは、こちらが一応子どもといえる年齢であることで多少警戒を緩めたようだ。

 まっすぐこちらを見て、きっぱりと言う。

「ちがいます」

 小学校低学年だろうけれど、その割に醒めた口調。自分自身、どちらかと言うとそういうタイプだったので、微妙な親近感を持った。

「そう? でも、そろそろ帰った方が良いよ。暗くなりだすと早いから」

 木々が多く、陽が遮られるのが早い上、外灯も少ないから、道を失いやすい。

「良ければ送るけど?」

 本音を言えば、ここでほったらかしにして、迷子になられたりすると責任を感じるから、送らせてもらえるとありがたい。

「良いです。すぐそこだから」

 あっさりと申し出を断り、ぺこんとあたまを下げて、子どもは来た道を戻る。

 その少しうしろを、追いつかないように歩調を緩めてついていく。

 あとをつけるつもりはなく、単純に帰る方向が同じだけだ。

 子どもは背後を気にするでもなく淡々と歩いていく。

 数軒目の建物の前で立ち止まり、子どもはくるりと振り返った。

 やっぱり気付かれていたか。

「ありがとう」

 送ってもらった状況に対するお礼なのだろう。

 不本意だろうに、律儀な子どもだ。

「お礼はいらない。ご近所さんだったんだね。ぼくの家はそこ」

 はす向かいの建物を指差す。

 夏の短い期間、滞在するだけの別荘だ。今まで会わなくても不思議ではない。

「ばいばい。またね」

 拍子抜けした風の子どもにそう声をかけると、はにかむように笑ってちいさく手を振り返してきた。



 結構わかるものだと、少々驚いた。

 七年の空白期間の大きさはわかっているつもりだったから。

 初めて会ってから数年は毎夏、別荘で顔を合わせたし、それ以外でも親同士に付き合いができたおかげで双方の家にお互い行き来することもあった。

 しかし、高校生にもなればさすがに親について行くこともなくなったから、記憶にあるのは小学校高学年の頃の姿だ。

 背が伸びた。長かった髪が短くなってる。

 覚えのあるのはあどけなさを残した顔だけれど、今は女性というには多少幼さを残すものの、少女期を脱しつつあり、端的にいえば綺麗になったといってもいいだろう。

 でも姿勢のいい、まっすぐ歩く姿は変わらず、あの頃からあったどこか頑なな雰囲気も変らない。

 そのことに思わず笑みがこぼれる。

「あすか」

 目の前まで来た制服姿の少女に声をかける。

 訝しげにこちらを見た視線はまっすぐにこちらの目を見る。

「み……篠塚さん」

 あいかわらず感情の読めない静かな口調。

 変っていない部分をいくつも見つけて、いちいちほっとしている自分に内心で苦く笑う。

海尋みひろくん、ってもう呼んでくれないんだ?」

 自分同様、向こうにもこちらが誰だかすぐにわかってもらえたことが嬉しくてからかうように返す。

「篠塚さんは何をしてみえるんですか、こんなところで」

 少女の家に程近い、小さな公園の前。

 下校時にこの道を通ることを知っていて待っていたといったら、どんな顔をするだろうか。

「少し話があるので、時間をもらえるかな?」

「じゃ、家に」

 ひとつ息をついて歩き出そうとする少女の手を掴む。

「いや、ここで良いよ」

 家のほうへは先ほど顔を出してきた。ここでまた舞い戻るのも間が抜けている。

 誰もいない公園に入り、古びたベンチに座る。

「就職するんだって?」

「そうですけど」

 唐突な切り出しに、何の感情も見せずにうなずいてみせる。

「なんで? 大学行かないの?」

 今通っている高校で就職するのはごくごくごく少数のはずだ。

 レベルはほどほどだけれど、そこそこに金銭的余裕のあるご家庭の子女が多いはずだ。

 やる気のある者は外部受験をするし、そうでなくても、エスカレータで提携大学に進むのが普通のはずだ。

「別に。どっちでも良かっただけ。で、家の経済状況が厳しければ就職を選ぶべきでしょう? 幸い就職先を斡旋するくらいのコネはうちにも残ってたみたいだし」

 強がりでもなんでもなく、本音なんだろうけれど、それはそれで問題がある気がする。

「じゃ、別にどこでも良かったんだ?」

「そうだね。……どこに行っても、やれることを探して、出来るだけのことをするしかないでしょ。とりたてて資格があるわけでも、秀でたものがあるわけでもないんだから」

 淡々とした、確かすぎる自己評価。

 だからといって、何をさせても良いというわけではない。冗談じゃない。

 だから、爆弾を落とす。

「アナタ、高校卒業したら、ぼくのところに嫁に来なさいな」

 虚をつかれたように、まじまじとこちらに向くまっすぐな目に負けないように見つめ返した。



「……なに、それ」

 話の流れとしてはわかっているつもりだ。

 つまり、どこへ行ってもいいのなら嫁に来るのもかわりないはず、と言いたいのだろう。

 が、普通に就職するのと、永久就職じゃ意味が違いすぎる。

 七年ぶりに会って、突然にもほどがある。

 だいたい、七年前も今も相手に恋愛感情などない。それは、相手も同じはずだ。

 妹のように可愛がってもらっていたし、兄のように慕っていたけれど。

「確かにね、ぼくも明日香に恋愛感情はないよ」

 昔から、こちらの考えを読むのがうまい人だった。

 いつも穏やかに微笑んでいる人だったけど、実は結構食えない人だということも知っていた。

 そうとわかっていても、一緒にいて楽だったし、こちらに対してはやさしかったから懐いていたと思う。自分にしてはめずらしく。

「でもね、大事な妹分がヒヒじじぃの慰み者にされるとなったら別。どんな手でも使うよ?」

 口元には形ばかりの笑みが刻まれているけれど、目が笑ってない。

「意味がわからないんですけど。私は普通に就職するだけですよ」

「ホントにわかってないの? アナタ、そんなに勘の悪い子だっけ?」

 わざとらしい呆れたような笑みから目を逸らす。

「回避できるつもりだった? アナタ、いつから自分のこと過大評価するようになったの?」

 にこにこ笑いながら、人を挑発する。

 反論すればしただけ、確実に追い詰められるのは目に見えているけれど、黙っているのも癪だ。

「それこそ過大評価じゃないの? 私にそれだけの価値があるとは思えない」

 言い返すと、笑みが一瞬消える。そのあと満面の笑みを浮かべる。

「全く、気に入らないことばっかりだねぇ。咲谷さんも自分の会社が危ないからって、向こうの言いなりに娘を身売りするなんて、なに考えてるんだか。まぁ『良い人』だから、文字通り就職だと思ってたのかもしれないけど、少し考えればわかるよね? 無償で援助するわけないでしょ、あの業突くじじぃが。……で、アナタも少しは自覚しなさいね。自己評価がどうあれ、若い女ってだけで価値を見出す馬鹿は山ほどいるんだよ?」

 一見そうは見えないけれど、心底不機嫌だ。口を挟む暇を与えず、畳み掛けるように吐き出された。

 わかってた。

 ただ少しあいさつで顔を合わせただけだったけれど、からみつくような視線が気持ち悪かった。

 けれど気付かないふりをしてやり過ごす以外にどんな方法があるというのだ。

 あの男の両親に向けられた笑顔は親切心にあふれていて、両親は心底安堵の表情を浮かべていた。

「……篠塚さんも、山ほどの馬鹿の一人なんだ?」

 悪態でもつかなければやってられない。

 その言葉を聞いて、表情がゆるんだ。

「それで良いよ。あんなハゲ親父にやるくらいなら、おれがもらう。もちろん、咲谷さんの会社への援助もする。あのハゲとおれとの二択だったらまだおれのがマシだろ、明日香だって」

 比べるまでもない。そんなの。

「……篠塚さん、言葉くずれてるよ」

 基本装着の猫がはがれている。

 その指摘はかるく黙殺された。

「話は終わり。一応咲谷さんに話は通してあるけど、就職の件はこちらから白紙にもどしておく。了解?」

 それは、すごい貧乏くじなんじゃないだろうか。実際。

 父親の片腕として辣腕を振るっているというのは漏れ聞いていた。顔だって悪くないし、基本的にはやさしい。そしてお金だってある。

 相手なんか選び放題のはずだ。

 それなのに、ずっと昔に会ったきりの妹分を抱え込むとか、相当お人よしだ。

「ぼくが好きでやってるんだから、余計な気を回す必要はないよ。でも、アナタはもう少し怒ることを覚えなさいな」

 昔より大きな手が、以前と同じく優しくあたまを撫でる。

「……私、何が出来る? 篠塚さんに」

「だから、嫁に来なさいって。ついでに、昔みたいに名前で呼んで?」

 昔のまま、あまいやさしい笑み。

「…………海尋、くん」

 ちいさく呼ぶと、目を伏せて静かに微笑んだ。

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