世界で一番あなたが嫌い

 原文

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054887171135/episodes/1177354054887171143


 東の空が、朱く染まっていた。

 燃えるような、それでいて穏やかな夕陽の差す稽古場に、鋭い剣撃の音が響いた。

 鎧を纏った一人の騎士が、剣の切っ先を倒れ込んだ相手の喉元に突きつけている。

 時の止まったかのような緊張感が両者の間に流れ――。


「……参った」


 静寂は、苦々しげな男の声で終わった。

 それと同時に黄色い声が上がり、驚き飛び立った鳥たちの羽音がそれに混じる。

 騎士は静かに剣を収めた。その場に似つかわしからぬ優雅な所作で一礼し、兜をとる。

 そこに、雪よりも美しい銀髪が流れ落ちた。夕闇の侵す西空に浮かぶ朧月、その光が凝ったように冷たく光る長い髪。白磁の肌に切れ長の眼から覗く蒼の瞳。ほんの少しの憂いを帯びた、妖しげな色気すら感じさせるかんばせ

 フェン様……と、観客の一人が感嘆の声を漏らした。


「すまない。怪我はないか?」


 観客の視線を一身に集める青年、フェンが手を差し出すと、相手の男は苦笑いし、その手をとった。


「はっ。稽古で怪我してりゃ世話ねぇな」

「どこか痛めてなければいいんだが」

「心配性なやつだな」

「ふふ。君が怪我すると、夕飯の酒の代金を支払ってくれる人がいなくなるからね」


 フェンがいたずらっぽく笑うと、男はげんなりした顔をした。


「お前のそういうところがだな……」

「さあ立って。夕飯に遅れないように、僕はお嬢さん達の相手をしてくるとするよ」

「へえへえ、言ってろ色男。夕飯に遅れたら、酒は奢んねぇからな」


 男の投げやりな声を背にしながら、フェンは振り返った。稽古場だというのに、あちこちに女性が詰めかけ、目を輝かせながら二人の様子を窺っている。少し離れた塔の窓のからは、貴婦人達の色とりどりのドレスが、ちらほらと覗いていた。

 フェン様! と口々に声を上げる彼女たちに、美貌の青年は花の零れるような微笑みで応えた。それだけのことで、ますます歓声が大きくなる。


「こんにちは、お嬢さん方。忙しいのに、見に来てくれてありがとう」


 そう言って、フェンは女性たちの熱狂の渦中へと足を踏み出していった。


 *****


 フェン・ヴィーズ。

 それは、銀の騎士と謳われる青年だった。

 美しく長い銀髪を靡かせ剣を振るう姿は、まるで典雅な舞いのよう。

 強く、優美で、なにより女性に優しい。彼は王宮で絶大な人気を誇っていた。

 遠征のたび、稽古のたびに貴賤を問わず女性たちが詰めかけるほどに。


「—――だから、この状況も珍しくはないって感じ?」


 稽古場を見下ろすように建てられた塔。その窓の一つから、二つの影がその様子を眺めていた。

 おどけて言って見せたのは、巻き毛の青年だ。片眼鏡の奥で軽薄そうに目を輝かせた彼は、小さく口笛を吹いた。


「いやあ、噂には聞いていたけど、大層な人気だよね」

「……」

「顔だけでいったら、俺も負けてないと思うんだけどなあ」

「ふん。自覚はあるようだな」

「え?」

顔だけ・・・

「うっわ、ひどい」

「酷いのはお前の女癖だ」


 青年と視線を合わすこともなく、適当に軽口を交わすもう一人の男は、窓辺に寄り掛かり、女性たちに囲まれたフェンをじっと見つめている。

 沈む夕陽の光を浴びてなお鮮やかに映る朱い短髪。腰には一振りの剣。纏う服は黒を基調とした簡素な服。

 だが、彼を見た人は、なによりもその瞳に目を奪われるだろう。

 紅い瞳。

 燃えるような。

 全てを焼き尽くすような。

 火の国の象徴たる色。


「で? どうなの、あの子は? アッシュ様?」


 そんな男に巻き毛の青年が問いかければ、男は小さく笑って体を翻した。


「使えなければ死ぬだけだな」

「……これまた、ひっどいね」


 小さくため息をついて、男の背を追うように巻き毛の青年も窓辺を離れた。


「酷いのは……この国だ」


 静かな声音に、滾るような熱を孕んだ呟きを残し、二つの影は見えなくなった。


 *****


 この国には、絶大な人気を誇る二人の男がいる。

 一人は銀の騎士、フェン・ヴィーズ。

 そしてもう一人の名は、アッシュ・エイデン。人々は彼のことを畏怖を込めてこう呼ぶ。

 金炎の王太子、と。

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