01.十年後の現実

「弓姫。そろそろ時間だぞ」


 部屋の外から、疾風兄さんの声が呼びかけてくる。「はーい、今行きまーす」と一声を返してから古い日記帳をぱたりと閉じて、私は椅子から立ち上がった。

 幼い頃から自慢である癖のない黒髪が、さらりと肩を流れる。鏡に映る私の、大きめの茶色い瞳も自分としてはチャームポイントだと思っている。


 日記を書いた時八歳だった私。上総弓姫、現在十八歳。

 あの事件の後、まだ幼かった私は一つの目標を立てた。その目標に近づくために職人である父の弟子となり、そこで熱心に働いて腕を磨いた。そして、十六歳の誕生日に自ら志願し、『卵』調査隊が名を変えた守備隊の一員となって一所懸命に働いている。

 ハンガーに掛けてあった、お気に入りの淡いピンクの作業用ジャケットを羽織りながらドアを開ける。と、そこには私より頭二つ背の高い青年が立っていた。

 私の兄さん、上総疾風。

 日記の中では幼い私の手を引いて逃げ回っていたちっちゃな少年は二十歳になり、すっかり背も伸びたくましく……これは本人談で、妹としてはまだまだだと思うんだけど……育っていた。

 私よりも黒い髪は少し固めだけど癖がなくて、髪と同じ色の瞳は強い意志を秘めて……これまた本人談、妹としては目付きが悪くて困ってる……前方を見つめている。

 兄さんも私と同じく守備隊に所属し、バックアップを主に務める私に対し前線に出る戦闘班として働いていた。覚えた剣術はかなり力任せなものだけど、的確に相手を屠るその刃に正直私たちはかなり頼っている。


「ごめん、疾風兄さん。待たせてた?」

「いや、早めに呼びに来て良かったよ」


 くしゃくしゃくしゃ。

 無造作に妹の髪を掻き回しながら兄は幼い時のままの、やんちゃな笑みを浮かべてみせる。髪を梳き直すのが大変だからくしゃくしゃはやめて欲しい、と思うんだけど、強く口に出して言えないのはこの笑顔があるから。自分にブラコンの気があるのは重々承知している。あーやだやだ。

 ……っと、そんなことを考えている場合じゃなかった。兄さんがわざわざ私を呼びに来てくれたのは、今日の任務行動に一緒に出るからだ。だけど。


「今日の作業は、昨日片づけた連中のアジト捜索だったよね。私まで行く必要あるのかな?」


 兄さんは動きやすいように、身体にフィットしたレザー素材の上下を身につけている。その肉体は普段の鍛練の成果びしっと引き締まった筋肉で構成されていた。妹である私が技術者としての腕を磨いている同じ間、兄は剣を覚えその高みを目指して鍛錬に励んだのだ。

 疾風兄さんが望んだその高みに立っているのは――十年前に消えた、あのヒトの影。


「何でも冬眠繭コールドスリープカプセルがあるんだとさ。弓姫、その手の解析作業得意だろ?」

「まあ、それはそうだけど……でも、繭なんて珍しくもないよ?」


 ぼんやりしかけたところを、兄さんの声で現実に引き戻される。

 うーん、と自分が今まで手がけた捜索作業を思い返しながら私は首を捻った。確かに解析作業は得意だし、半ば趣味の分野だ。だけど冬眠繭の解析調査なんていい加減に飽きてるのも事実。だって、まともに動いているものにお目にかかったことなんて一度もないんだから。

 そう思ってちょっとだけ頬を膨らませたら、疾風兄さんはにっと歯を剥き出して笑った。む、あの顔は何やら自信ありげだ。


「お前が見たことあるのは稼働してない奴ばっかだろ。今度のはきちんと動いてるし、多分中身も入ってる」

「ほんと?」


 それは朗報。


 冬眠繭っていうのは、その中に何かを封じ込めて時を止め、半永久的に保存するものだ。

 例えばヒトを放り込めば、そのヒトは誰かが出してくれるまで年を取らないまま眠り続けることになる。何かモノをしまっておけば、そのモノは経年劣化を起こすこともない。

 生野菜を入れておけば例え数年、数十年たってから取り出したとしても青々としたみずみずしい生野菜が手に入る、という代物なのである。もっとも、内部に水を溜め込む必要があるので水溶性のものなんかはきちんと防水しないと駄目だけど。

 ただ、そんなに便利な代物ではあるのだけど使い捨ての上に取り扱いが難しいらしく、私が見たことあるものは途中で動かなくなったものがほとんど。たまに使用済みのものも見つかるんだけど、それを調べても製作方法とか動作させる方法なんてのは分からない。

 一応、停止方法はある程度分かったんだけど、それも何度もの失敗を積み重ねてきた上での話。


「やった。それはちゃんと調べなくっちゃいけないよね」


 まあそういうわけなので、私の顔が思わずほころぶのも許してほしい。これでもいっぱしの技術者として頑張ってきているんだ。今まで見たくても見られなかったモノを見る機会、調査する権限が与えられたんだもの、私でなくとも技術者ならば色めき立つだろう。


「そういうこった。あ、念のためラフェリナ連れていけとよ」

「犬獣魔だもんね。了解、私の護衛に来てもらうわ。……おとなしくしててくれればいいんだけどなぁ」


 ……が、続けて兄さんが口にした言葉にちょっとげんなりとした。

 確かにラフェリナは鼻の利く種族だから、視界の利かない場所で護衛してもらうにはうってつけなんだけど、その落ち着きのなさがマイナスポイント。頼むから、作業の邪魔だけはしないでほしい。

 それを分かっているから、疾風兄さんも苦笑を浮かべつつ肩をすくめてみせた。


「それはくれぐれも言いつけとけよな。まったく落ち着きねえんだから、あいつ」

「ご飯おごれば何とかなるかなあ。はぁ、今月のお給料も厳しいのに」

「あ、俺も駄目だぞ。剣を研ぎに出さなきゃなんねーし」


 何というか、現実的かつ微妙に情けない内容の会話を交わしながら廊下を足早に進む。

 やがて私たちが到着したのは休憩室。戦闘に出る前のブリーフィングルームも兼ねているその部屋で、黒髪でリボンを多用したドレスをまとった背の高くない少女と、ふわふわした白っぽい癖っ毛に犬の耳と尻尾を備えた手足の長い少女が待っていた。


「わんっ! 弓姫、疾風、遅いゾー」

「たまに自分の方が早かったからと言って威張るものではないだろう、ラフェリナ」


 犬耳犬尻尾の方が、さっき私たちの会話に名前が出てきたラフェリナ。ぱたぱたと楽しそうに手と耳と尻尾を振る彼女に、ドレスの少女がたしなめるように言葉を掛ける。実はこちらの小さい方が、年も立場も上である。


「いえ。遅くなりました、エンシュ」

「すみません、遅れました」


 だから、私も疾風兄さんも彼女に対して頭を下げた。

 エンシュリーズ・リリンセスカヤというなんとも長ったらしい名を持つこの少女は、守備隊が『卵』調査隊として派遣されてきた当初からこの部隊の副司令官を務めていた。

 もう十年近く前になる当時から姿を変えていない彼女は、平然と私たちを見回す。この落ち着き方は、ぜひラフェリナにも見習ってほしい。無理だけど。


「まあ良い。疾風、弓姫、ラフェリナ。本日の任務は分かっているな」

「はい。先日我々が殲滅した、邪人のアジトの捜索ですね」

「稼働中の冬眠繭を見つけたから、弓姫を連れて行って解析してもらうんだよね? エンシュ」


 生真面目に返答する疾風兄さんとは対照的に、ラフェリナはふさふさの尾をぱたぱた振りながら脳天気に答える。この犬少女の性格をとうの昔に理解している愛称エンシュは、「ああ、そうだ」と平然とした顔でもう一度頷いてふわりとした自らの黒髪を掻き上げた。

 私の癖のない髪と違い、ふわふわとしたウェーブを持つ彼女の髪はとっても柔らかい。正直うらやましいのは抜群に秘密だ。


「内容物は不明だが、疾風からヒトが十分収まるサイズだという報告が上がっている。もしヒトであれば保護、もしくは捕縛しろ。その場合、詳細の調査はアテルに任せる」

「アテル先生ですね。分かりました、私は繭の解析調査を担当します」


 私はエンシュの指示に頷いて、びしっと敬礼した。真面目な守備隊員としては、このくらいは当然なのだ。

 アテルっていうのは、うちの部隊についてくれているお医者様。村の病人や怪我人も日を決めて見てくれているので、村人にも評判はいい。何しろ、これがある意味一番重要なんだけど、綺麗な女の先生だしね。いやそのおかげで男性の通ってくる率の高いこと高いこと。


「よろしい。では行ってくれ」


 そんなことを考えている私を見ながらちょっとだけ微笑んで、エンシュはどこから見ても完璧な返礼を見せてくれた。こちらをまっすぐ見つめてくる大きな瞳は深紅で底知れない。けれどふっと和らいだ表情は、外見の『少女』そのままの笑顔だ。


「了解。では行って参ります」

「はい、行ってきます」

「はーい。それじゃ行ってくるネー」


 指示と、それに対する三者三様の返答を交わした後、私たちは素早く部屋を出た。その後ろから追いかけてくるようにエンシュの低い呟きが聞こえて、思わず私は立ち止まる。


「……まもなく十年だったか。弓姫、お前はあきらめられるのか?」

「あきらめると決めたのは自分です」


 わざわざ私が振り返って口にしたのは、その自分の決意を再確認するためだった。


 私が十年前に立てた一つの目標。

 それは、『自分たちの前から消えてしまったもう一人の兄の救出』だった。

 自分に課した期限は十年。

 それだけ探して見つからなかったら、あきらめようと。

 もう生きてはいないのだと思おう。

 私は、そう心に決めていた。

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