第2話 ミルキー


 カバンのなかには、色んなものが入っている——教科書、ノート、筆箱、のど飴、薄手のタオル、携帯電話——けれど、みんなと違うのは、脚本が入っている、ということ。

 放課後、演劇部のメンバーは、体育館の壇上で活動する。

 (そうでなければ部室のなか。部室では脚本の読み合わせを、たいていお菓子を食べながらする)


 私はすごく短い髪をしていて、演劇では「男の子」になる。それは不思議で、心地よくて、不安定だ。私は役を演じるたび、新しい自分を発見する。でも「発見」するだけで、なりきることはできない。

 (私はそんなに演技がうまくないのだ)


 同い年で、男役のとても似合うボーイッシュな女の子がいる。その子は私を「ポルト」と呼んで、私はその子を「カステル」と呼んでいる。「ポルト」と「カステル」は親友で、仲が良い。

 まるで、『銀河鉄道の夜』に出てくる、ジョバンニとカムパネルラみたいに。



*


「いつか、俺たちが大人になったら、もう会うこともなくなってしまうかもな」


 それはお祭りのシーンで、上手側にいるカステルは、私にむかってそう言った。


「じゃあ、覚えていればいい。今夜の星のきらめきや、澄みきった空気を。今の、この瞬間を。ずっと覚えていよう。僕はきっと、ずっと覚えている」


 私が言って、カステルがふりむく。

 彼女は、泣き笑いのような顔をしている。

 少し目を細めて、「ああ」とつぶやく。


「ああ、そうだな、ポルト」


 その台詞を聞くたびに、私は胸がいっぱいになる。

 きっといつか、忘れてしまうから。

 この劇も、この時間も、この毎日も、お互いのことも。



*


 お弁当を食べ終わったあと、違うクラスから「オテル」がやってきた。オテルは小柄な女の子で、いつも髪を小さなお団子にしている。


「今日、古典Bあるよね? 教科書、忘れちゃったのー」


 オテルは、カステルと同じクラスだ。そのことに、私は少しだけ嫉妬する。私は教室のカステルを知らないから。


 午後の淡い日差しのなかで、色素の薄いオテルの髪は、透明な茶色に見えてきれい。私が引き出しから「古典B」の教科書——表紙がザラッとした感触で気に入っている——を差しだすと、オテルはにっこりしてみせた。文字通り、にっこり。


「ありがとう。これ、せんべつ」


 そう言って、ポケットからミルキーを三つ、机に置いた。ころん、とひとつずつ転がってとまる。


「大事に食べてねー」


 昼休みが終わるときの予鈴。オテルが行ったあと、私はひとつむいて口に入れた。

 (あとふたつはカバンのなか)

  甘く、やわらかく溶けていく感触。次の授業が始まって、しばらく経ったあとも、それは口の隅でじっとしていた。午後の日差しが、茶色い机の上で、眠たげな影をつくっている。

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