第59話 蒼一 

 学校の屋上を覆い尽くさんとする巨大な朱雀を見上げ、蒼一は呟いた。

「ようやく会えた・・・・・・。葵が死んだここで、お前を滅しよう」

 蒼一は眠り続ける小白を見下ろした。

「緋の神が宿る琥珀……か。憐れにも土地に選ばれてしまったんだな」

 蒼一の冷静さの中には喜びが隠れ見える。

 だが小白から溢れ出た厄に群がった百鬼達は違った。

 朱雀は四神。守護霊獣だ。

 一対一で勝てる悪鬼など数える程しか存在しない。

 それどころか鬼達は別の気配すら感じていた。

 百鬼夜行に呼応し、町を守る為に他の四神も目を覚ましたのだ。

 北の山からは玄武が、東の川からは青龍が、西の道からは鎮座していた白虎が、それぞれ悪鬼を討たんと動き出していた。

 分が悪いと鬼達が逃げだそうとする。

 だが、

「させない」

 蒼一が殺人を犯してまで刻んだ九字が鬼達を縛った。

 神楽町から出られない鬼達は四神に襲われ、無残にも逃げ惑う。

 青龍に噛み砕かれ、白虎の爪に裂かれ、玄武に踏み潰されていく。

「もう逃げ場はない。戦え、鬼共。さもなくば死ね」

 蒼一は近くにいた一つ目をした青い鬼の首を呪詛の彫られたナイフで裂いた。

 鬼は呻き声を上げながら、黒い血を流し、その場に倒れた。

 絶命すると鬼の体はボロボロと崩れた。

 それを見て仲間の赤鬼が、太い腕を蒼一へ伸ばした。

 だがその拳が蒼一に触れるか触れないかの距離になると鬼の腕は石化し、そうかと思うと肩の辺りまでボロボロと崩れる。

 鬼達は騒然とした。

 蒼一は氷のように冷たい瞳で告げる。

「お前達が生き残る方法は一つしかない。朱雀を殺せ。あれを殺せばこの町はくれてやる」

 見知らぬ男。

 それも人間に脅され、鬼達は顔を見合わせた。

 その背後では強大な朱雀が炎の翼を広げている。

 夜の闇すら照らし尽くさんとするそれを見て小さな鬼がガタガタと震えていた。

 水晶玉を持ったジキタだ。

「あ、あんなのと戦えって言うのかい? オイラの命が何個あっても倒せっこないやい!」

 怖がるジキタを蒼一は睨み付けた。

 鬼さえ畏怖する漆黒の瞳だった。

「だろうな。だがあれは片翼だ。陰陽の陽だけとなった朱雀なら、鬼の群れが倒せないこともないだろう。それに倒せなければどのみち食べられる。喰われて死ぬか。戦って死ぬか。今ここで僕に刺し殺されたいか。好きな死に方を選べ」

 蒼一の恐喝は嘘に聞こえなかった。

 この状況を作り出す為に死ぬと分かってからの三年を捧げたのだ。

 癌は呪いのように蒼一の体を蝕み、全身へと転移していた。

 最早失うものはなく、ただどうやって死ぬかだけを考え続けた。

 蒼一が出した提案の答えは事実上一つしかなかった。

 神と戦い、そして倒すことだ。

 ジキタは朱雀の翼を見上げて困惑した。

「ちゃんと両翼あるじゃないか・・・・・・」

 蒼一は鬼達の群れを見渡した。

 大小様々だが、蒼一が予想したより数と質が足りなかった。

「・・・・・・社君かな。もはや鬼の子だ。菅公か崇徳辺りが理想だったけど、まあいい」

 社への恨み言のあと、自ら作った防火守の守護符の束を取り出した。

 妙法蓮華経七面大明神の守護符に火除けの為に水の鬼字を書き加えたものだ。

「戦わないなら、戦わざる得ないようにするまでだ」

 蒼一は防火の守護符を朱雀に投げつけた。

 守護符は数十枚にばらけ、朱雀の周りをぐるりと囲んだ。

 そこから一斉に、大量の水が溢れ、朱雀に襲いかかる。

 朱雀の炎羽から水蒸気が上がった。

 それに怒った朱雀が甲高い声を上げ、辺りに火を撒いた。

 火は鬼達に襲いかかる。

 ジキタは水晶玉でなんとか防いだが、周りの鬼達は燃え苦しんだ。

 守護符で自らに降り注ぐ火を防いだ蒼一が冷酷に告げる。

「もう分かっただろう。座して死ぬか。望みを持って前を向くか。二つに一つだ。それなら戦え。戦って死ね。外道に落ちた者の気概を見せてみろ!」

 その言葉が鬼達の背中を押した。

 このままでは神に殺される。

 ならば一矢報いようと鬼達が朱雀に飛びかかった。

 神と鬼との争いを小さなジキタは物陰に隠れて震えて見ていた。

 その戦いはまるで無数の昆虫が焚き火に突っ込むようなものだった。

 炎の翼に焼かれる鬼。鋭いくちばしに刺し殺される鬼。尖ったかぎ爪に裂かれる鬼。

 途切れることのない断末魔が辺りに響く。

 ここはまさしく地獄だった。

 それを見たジキタは震えながら振りかかる火の粉を水晶玉で防いでいた。

 しかしその光景も蒼一にとっては愉快でしかなかった。

 自然と笑みがこぼれる。

「ははっ! そうだ! どうせ死ぬんだ。なら文字通り命を燃やせ!」

 蒼一は放火の守護符をばらまき、朱雀を攻撃し続けた。

 すると、徐々にではあるが火の勢いが弱まっていく。

 触れれば溶けていたものが焼けるように変わったくらいだが、一応の効果はあるようで鬼達の寿命が幾ばくか増えた。

 すると鬼が朱雀に張り付ける時間も増えていく。

 徐々に朱雀へと貼り付き攻撃する鬼の数が現われる。

 鬼達は鋭い歯を立て、鋭利な爪を立て、なんとか朱雀を倒そうとする。

 だがそれでも一秒に一体ほどの間隔で焼け死んでいった。

 ダメージはさほどなさそうだが、面倒に思った朱雀が炎の翼を大きく広げ、ばさりと羽ばたかせた。

 それは熱風を生み、鬼達を吹き飛ばして焼いた。

 それを見て蒼一は「鬱陶しい翼だ」と歯ぎしりし、懐から鬼面金剛杵を二本取り出す。

 ヴァジュラの名で知られた仏教の法具には対になった鋭い爪と鬼の顔が彫られた柄があった。

 蒼一はそれを朱雀に投げつける。

 するとヴァジュラが炎の翼を貫通し、朱雀はバランスを崩した。そこへまた鬼達が飛びかかり、遂には朱雀を夜空から屋上へと落とすことに成功する。

 追い打ちをかけるように防火の護符から水が濁流の如く襲いかかった。

 さすがの朱雀も悲鳴に似た甲高い声を上げる。

 未だにくちばしやかぎ爪の餌食になる鬼は絶えないが、それでも炎の羽は毟られて勢いは衰ていき、数も火力も落ちてきた。

 まるで燃え盛る焚き火に群がり、焦げ死んだ昆虫の死骸が酸素を閉ざし、その勢いを弱めていくようだった。

 その光景に蒼一は歓喜していた。

 息を朱雀へと吹きかけ、左手の人差し指を立て、三度弾きながら吹加持の誦文を唱える。

「梵天王魔王自在大自在。除其衰患令得安穏。諸余怨敵皆悉摧滅」

 息に誦文が浮かび上がる。

 穢れや悪霊を祓う秘法は朱雀だけでなく、周りの鬼達も関係無しに苦しめ、そして遂に朱雀を縛り上げた。

 蒼一は目を見開き喜んだ。

「曠野嶮隘処、獅子象狐狼」

 誦文を唱え、また指を三度弾く。

 すると言葉の鎖が更にきつく朱雀を締め上げた。

 蒼一は呪詛が載った経典を親の遺産を使いかき集めた。

 その中でもこの『吹加持の秘法』は日蓮宗系でも最強の誦文の一つである。

 術者の霊力に依存するが、蒼一の素質は見事に答えた。

 想い人を殺した神への怨念めいた恨みが、今ここに昇華した。

 蒼一は狂喜乱舞を心を抑え、またヴァジュラを手にし、地に落ち、縛られた朱雀へと近寄る。

 群がる鬼達を「邪魔だ」とヴァジュラで薙ぎ払った。

 恐れた鬼達は道を空け、鬼道ができる。

 そこを人である蒼一が闊歩した。

 朱雀の目の前まで来ると蒼一の衣服が焦げだした。

 だがそれも気にせず蒼一は見下ろす。

「・・・・・・これが葵を殺したものの末路か。神が怒り、町を燃やした? ふざけるな。そのせいでどれだけの者が焼け死んだと思ってる。何の関係もない民を殺して何が神だ? お前は神じゃない。ただの獣だ。罪を償い。僕と共に冥府へ落ちろ」

 一切の音がしない静寂の中で朱雀の炎を映す蒼一の瞳。

 それは復讐の炎となり、烈しく揺れていた。

 手に持った金色のヴァジュラが怪しく光る。蒼一は朱雀を睨みながらそれを振り上げた。

「父さん、母さん、葵、真一郎・・・・・・。みんなの元へはいけない。僕は・・・・・・神を殺すよ」

 蒼一は希望と絶望が完璧なまでに入り交じった微笑を浮かべ、虚ろな目をしてヴァジュラを振り下ろした。

 刹那、肉が潰れる音が聞こえ、血が辺りに散った。

 蒼一は驚き、目を見開いた。

 ヴァジュラを持った右手を見つめる。

 だが、そこには何もなかった。手も、腕すらもなかった。

「……う、うあああああああああああああぁぁぁッ!」

 それを確認した瞬間、静寂は消え去り、焼けるような激痛が蒼一を襲った。

 肩を押さえ、獣のように咆哮する蒼一。

 頭は完全に混乱していた。

(何が起こった? 何が? 朱雀は縛った。鬼が僕に触れることは叶わない。なら――)

 大量に流れ出す血を見て蒼一は理解した。

 自分の腕は何かよって吹き飛ばされた。

 そしてその何かは自分の真後ろの壁に刺さっていた。

 蒼一はそれを鬼の形相で睨み付け、吠えた。

「やしろおおおぉぉぉっ! お前っ、よくもおおおおおぉぉぉぉぉっっ!」

 壁に刺さっていたのは一本の矢だった。

 蒼一は刺さった角度から飛んできた方向を逆算し、朱雀の向こう側をねめつける。

 そしてビルの屋上でたなびく白い装束を見つけた。

 夜に映し出された社は祭りの時と同様に陰陽服を着て、狐の仮面を付けていた。

 下からはビルや街頭の光が照らし、陰が怪しくたゆたう。

 蒼一が見た時には既に社の弓には二の矢が構えられていた。

 すぐに蒼一は吹き飛ばされた右腕を探した。

 腕は近くに落ちていた。手にはヴァジュラを握っている。

 蒼一はヴァジュラを左手で掴み取り、叫びながら朱雀に飛びかかった。

「せめてっ! せめて一太刀っ!」

 最早誇りも羞恥もなく、懇願するように蒼一の手足は動いた。

 だが――――、

 音を切り裂き、社の放った二の矢が蒼一の胸に突き刺さる。

 一瞬、時が止まったように思えた。

 蒼一から音が消え、感触が消え、ただ光景だけが鮮明に映った。

 目に映る映像から蒼一は自分が後ろに倒れていることを辛うじて悟とる。

 胸を射貫かれた蒼一の体は力なく、どさりと倒れた。

 血が体から失われるのが分かった。

 思考が途切れ、感情が消えていく。

 そんな中、蒼一が最後に見たのは、封印の解けた朱雀が夜空へと舞い上がり、巨大な炎を自らに放つ光景だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・葵。好きだって、言いたかった」

 蒼一はぼそりと呟いた。

 だが、それを聞く者は――もはやない。

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