第26話 社

 広い神社だった。

 町の北にある小高い丘の頂上はほとんど全て雲龍神社の土地だ。古くは平安時代から今に至るまで脈々と受け継がれ、今もこの町を見守っている。

 町では有名な鳥居がたくさんある千段坂と呼ばれた階段を登ると、丘の頂上を切り開き、神社が建っている。

 四方を木に囲まれ、階段から真っ直ぐに石畳のひかれた参道が本殿まで伸びていた。

 十五年前に行われた大改修のお陰で比較的綺麗で近代的な印象を与える。

 裏には関係者や客用の駐車場があった。丘を挟んだ千段坂の反対側にはうねった道路があり、普段雲龍神社を訪れる者はそちらから車で上がってくる。

 駐車場には数台の車が停まっていた。

 その持ち主達は神社の東側にある事務の社務所の和室にいた。社務所の裏はお守りなどを渡す授与所になっている。

 一軒屋のリビングほどの広さがある社務所にはテーブルの周りに男達が座っていた。

 社の母である清子は十人はいる祭りの関係者にお茶汲みをやっていた。普段おっとりしている清子は関係者の妻達と忙しそうに動いている。

 和室に置かれた大きなテーブルの上座には社が座っていた。

 周りは皆年上だ。親子どころか祖父ほど離れた人も珍しくない。彼らは皆、社が赤ん坊の頃から知っている。

 男の一人が言った。

「それにしても大変だろう。学生もやってて、宮司もだなんて」

「そうでもないです。基本的な仕事は新井さんにしてもらってるんで、楽をさせて貰ってますよ。新井さんがいなければうちの神社は潰れてますね」

 社が冗談を言うと皆が笑った。新井というのは雲龍神社が雇った神職だ。

 平日は彼女が雲龍神社を清子と一緒に切り盛りしている。今日もお茶汲みをしている新井は黒い髪をおさげにして柔らかい笑顔を浮かべていた。

 料理を補充しに来た新井は社にぺこりと会釈した。

「いいえ。そんなことはありませんよ。大事なことは全部社さんがやってますし、あたしはただのお手伝いです。詩織さんもいますし」

「呼びましたか?」

 名前を呼ばれた詩織がキッチンで振り返る。エプロン姿がよく似合っていた。

 今テーブルに並べられている料理は詩織と清子が作っていた。それを見て別の男がからかう。

「いやあ、あの子は良い嫁さんになるよ。この料理も美味しいし。ねえ、社君?」

「そうですね。もういつでも嫁に行ける」

 にこやかに笑う社を見て、詩織は頬を赤らめ、またキッチンへと振り返った。だが話は聞き続けている。

 また別の男が言った。

「あれ? 二人は付き合ってるんじゃないの? どっかで手を繋いでた気がしたけど」

「いや、そういうのではないです。あれはそうですね。小さい頃からの癖みたいなものですよ。詩織には迷惑ばかりかけているんで、本当に申し訳ないと思ってます」

「ふうん。でも社君はモテるだろ? 司さん譲りの色男なんだから」

「さあ、あんまり分かりません。ただ・・・・・・」社は一度目を伏せ、微笑した。「俺は誰かと付き合う気はないんです。俺といたらその子はきっと不幸になる。詩織と一緒にいるのも高校にいる間だけでしょう。卒業したら俺はここの宮司として働くつもりですし、詩織には未来がある。勉強も部活も優秀なんで、素敵な未来が待ってるはずです。そこに俺は必要ないはずです」

 その話を聞いて男達は不思議そうに顔を見合わせた。

 若い恋人達をからかっていただけのつもりが、社は誰とも付き合う気がないと言う。

 男達は気まずそうにし、話を聞いていた詩織は悲しそうな顔で大根を切っていた。

 その気まずい沈黙を一人の若い男が切り裂いた。

「社君。若いうちから、そんなにはっきりと未来を決めるものじゃないよ」

 穂村蒼一は二十歳過ぎの背の高い男だった。

 面長の端正な顔立ちに静かに澄んだ瞳。もう六月だと言うのに白いシャツの上には薄手のカーディガンを羽織り、ブラウンの長いチノパンを履いていた。

 南にある剛炎寺の息子である蒼一は静かな瞳を社に向けていた。

「聞いたよ? 社君は勉強もできるんだろう。なら大学に行ってから決めてもいいじゃないか。君には時間があるんだから」

「・・・・・・蒼一さんが言うほど、俺には時間はないんですよ」

 社の言葉に蒼一は不思議がっていた。

 蒼一の様子を見て社は肩をすくめた。

「まあ、あいつが帰ってこれば別ですけど」

 場がどっと湧いた。

 あいつとはもちろん社の父、司のことだ。

「まったくだ」と初老の男が言った。 

「司の奴どこをほっつき歩いとるんだ? 連絡はあるのか?」

「一応、月に一度は電話が来ます。先月は淡路にいました。その前は四国でしたね。雨乞いの秘法を会得したとかほざいてましたよ」

「淡路とはまた遠い。あいつはイザナギにでもなるつもりか?」

 それを聞いてまた場はどっと湧いた。

 イザナギはイザナミと共に国産み、つまり土地を作った神だ。

 日本書紀では淡路島の次に四国を作ったと言われている。つまり神職ジョークだった。

 男達は笑っていたが、社と蒼一だけは笑っていなかった。

 目は笑っているが、互いに視線を外さない。

 笑い声が小さくなると蒼一が尋ねた。

「なら、司さんが帰って来れば進学するのかい?」

「さあ、それはその時に考えます。宝くじでも当たればいいんですけどね」

 それを聞いてまた男達は笑った。

「まったくだ。神様は神職には厳しいからな」

「じいさん。そりゃあ違う。信心が足りんのだよ。信心が」

「俺は金より髪がほしいね。これが本当の髪頼みだよ」

 男達は笑っていた。

 社は楽しそうに微笑み、蒼一もまた静かに口角を上げた。

 料理が腹に収まり、酒で顔を赤らめた男達は適当に挨拶をして、妻や運転係が待つ車へと戻った。

「いやあ、社君がいればこの神社も安泰だねえ。まったく司が羨ましいよ」

 そんなことを言う彼らに社はにこやかに受け答えをした。

 祭りの話はほとんどしていない。毎年恒例なので、ここには飲みにくるようなものだった。

 一人、また一人と席を立つ中、部屋には社と蒼一だけが残った。

 蒼一は一人で運転して来たので酒を飲んでいなかった。

 二人は妙な沈黙を保っていた。

 その部屋に詩織が入って来て、後片付けをしている。

 詩織もまたその雰囲気に近寄りがたいものを感じていた。神楽町の神社仏閣を担う若い二人がただ一緒にいるだけなのに、ビリピリとした緊張感があった。

 蒼一は久しぶりに会った詩織に笑いかけた。

「綺麗になったね。詩織。もう大人みたいだ」

「い、いえ。まだ全然です・・・・・・」

 詩織は照れて赤くなった。

 横目で社をちらりと見ると珍しく憮然としていた。

 蒼一は続けた。

「星校だろう? 懐かしいな。色々あったけど、よく覚えてる。きっとまだあの頃のままなんだろうね。屋上から町を見渡すのが好きだったな。また行きたいよ」

「そうなんですか。でも今は屋上への立ち入りは禁止されているんです。なんでも昔、自殺者が出たからって」

「うん。知ってる。俺達の世代の出来事だから。まあけど、ここに来ればもっと良い景色が見られるからね。社君が羨ましいよ」

 蒼一は社の方を向いた。

 すると社はいつも通りに微笑んだ。

「階段を登るのが大変なんで、俺も仕事がないと来ないんです。トレーニングだと思えばいいんですけど」

「僕も昔部活であの階段を登らされたよ。今となっては良い思い出だ。もう無理だろうね」

 二人はまたしばらく沈黙した。

 詩織はちらちらと彼らを見て、居心地悪そうにしている。

 詩織が皿を片付けようと手を伸ばした時、社がテーブルをとんとんと叩く仕草を見せてから切り出した。

「最近、物騒なことが多いですよね。お寺は大変なんじゃないですか?」

 蒼一は緑茶の入った湯飲みを左手で持ちながら目をすっと開いた。

 社の目は蒼一の右手がさっきから微かに震えているのを捉えていた。

「そうだね。悲しいことに人が亡くなると僕らは働かなきゃいけない。だけどそれは殺人事件の時だけじゃない。常日頃から、人は死ぬんだ。皆知らないだけで、毎日のように人は死んでいるんだよ。今もどこかでね」

「俺は殺人事件だなんて一言も言ってないですよ」

 社はとんとんとテーブルを叩く仕草をやめた。

 蒼一はゆっくりと社の方を向いた。

「・・・・・・そう。てっきりそのことを言ってるんだと思ったよ。確か社君の後輩が亡くなったんだろう?」

「はい。詳しいですね」

「僕がお経をあげたからね。阿澄さんのお婆さんもだ。悲しい出来事だった。若い子が、あんな・・・・・・」

 蒼一は窓の外に広がる青空を見つめた。

 またしばらく二人は黙った。

 詩織は皿を片付けながらも会話を聞いている。

 またしても社から話し出した。

「隼人とは会いましたか?」

「隼人君? いや、会ってないな。そういえばさっきもいなかったね。仕事が忙しいのかな?」

「みたいですね。まあ当然でしょう。この町に連続殺人犯がいるのに捕まってないんですから」「そうか・・・・・・。彼も大変だな」

「ええ」

「でも」蒼一はまた空を見上げた。「それもそのうち終わるだろう」

 その言葉に社は目を大きくした。声のトーンが落ちる。

「・・・・・・それは、どういう意味ですか」

 蒼一は空から社に視線を移し、また静かな微笑を浮かべた。

「日本の警察は優秀だって言うだろう。きっと隼人君が犯人を捕まえてくれるさ」

 そう言うと蒼一は立ち上がった。

 だが社は蒼一の方を向かない。

「じゃあ、僕も失礼するよ。隼人君に会ったらよろしく言っておいてくれるかい。詩織。料理美味しかったよ」

 部屋から出て行こうとする蒼一に詩織はキッチンから出てお辞儀をする。

 社は最後に尋ねた。

「蒼一さん。右腕の火傷、まだ痛むんですか?」

 蒼一は一度立ち止まり、近くにいた詩織はハッとした。

 蒼一はまたすぐに歩き出した。

「ああ。でも、痛みにはもう慣れたよ」

 そのあとすぐに扉が閉まる音が聞こえ、蒼一は部屋から出て行った。

 社は何も言わず、じっとテーブルの一点を見つめていた。

 しばらくすると駐車場からレクサスのエンジン音が聞こえ、それは神社から遠ざかっていった。

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