猫と家族

江戸おにたろう

吾輩は警備員である

 今日も青い屋根の上で、私は朝から陽の光を気持ちよく浴びている。何をするでも考えるでもなく、日増しに強くなる陽射しを浴びながら私は尻尾をパタつかせるだけだ。といっても決して暇を持て余しているわけではない。常に神経を尖らせ周囲の猫と意志疎通している。直接言葉を交わすこともあるが大体は脳内電波で危険を知らせたり、ネズミの侵入を報告しあっている。私たちはいわゆるこの家の警備員となって日々平和を守っているのだ。

 

 先ほどから私の周りではとハエが五月蠅(うるさ)く飛びまわっている。これも彼らの警備行動で私の臭いを忠告しているらしいが、野良猫の世界にはシャンプーというものが無いわけで致し方ない。そこいらのブルジョワジー・キャッツとは違うのだ。

 

 辺りはこの時間になるととても静かで、雀の鳴き声と車の音くらいしか聞こえてこない。実に平和な地域で猫同士の争いもほとんどない。

 人間どもは今日も「ろうどう」というもののために出かけたらしい。「ろうどう」というのは満員電車に揺られて、ここから一時間くらいのところにある場所で〝謝りたくもない人に謝る〟というのが「ろうどう」なのだと家主の源太郎は以前、庭先で私に教えてくれたことがある。彼らは一日の終わりにビールというシュワシュワした液体を一気に飲み干すことで、その日のイライラを吐き出すことができるらしい。

 3年前の暑い夏の日、源太郎の倅である慎太郎があの液体をコップに残したまま大の字で寝ていた。人間の飲み物に興味を抱いた私は、縁側の開いている引き戸から部屋の中に入り、ごちゃついたこたつの上のその液体をなめてみた。1口目は雑草のような味がして2口、3口と舐めていくうちにいつの間にかこたつの上で眠りこけてしまい、目覚めた慎太郎にたたき起こされてしまったのは、苦い思い出として私の脳裏にこびりついている。

 

 とにかく私はこの時から熱いものと苦そうなものは、いかにおいしそうに見えようが口をつけないようにしている。

 

 慎太郎は青い屋根のお家に住んでいる。お隣のシャチョウさんが住んでいる白くて巨大なお家とは比べ物にならないが、二階にはちゃんとあいつの部屋もあるし、家を取り囲んでいる庭は派手ではないがすっきりしていて、玄関脇にはすみれの植木鉢がささやかだが置いてある。門の横には車を止めるところもあってあいつにはもったいないくらいのお家だ。

 

 私はたいてい青い屋根か家の裏にある物置の上にいるのだがここからは人間どもの生活がよく見える。慎太郎は父の源太郎と、母、の3人家族で慎太郎以外は朝から晩まで「ろうどう」に出かけている。

 その間、慎太郎は何をしているかというと、お昼過ぎに起きてこんがりと焼いたパンに蜂蜜を塗ったものをこたつの上でほおばると苦そうな黒い悪魔のような液体をすすり、薄い箱のようなものを開くとそれをカチャカチャと指で鳴らしているだけだ。それも長くは続かない。苦悶の表情を浮かべ「アーーー!」と大きな唸り声を出したかと思うとそのまま大の字に寝転がり大きないびきをかいて寝てしまうのだ。この男を物置の屋根から見ていると、どうやら人間の成長は私たちよりも遅いように思う。

 

 しばらくすると、奥の方からこの家の猫がやってきた。ゴミのように慎太郎を踏んづけて引き戸の前までやってくると、チラリとこちらを一瞥(いちべつ)し後ろ足で毛繕いを始めた。例のブルジョワジー・キャッツとやらだが、どうも慎太郎の階級はこの家の中で最下層に属しているようだ。

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