第8話 過去

 あれから何かと後ろだったり隣にいたりして話しかけてきては私の名前を呼んで距離を縮めて来るこの男。「雪花」という私じゃない誰かに似ているからと言って引っ付くのはどうかと思う。このままじゃ約束をしていた「雪花」という人が不憫だ。


「雪花! それはどんな本なんだ?」


「心理学の本」


「細かい字ばかりで目が疲れそうだな!」


 今は自室の隣にある書斎にいるが、静かに本も読めやしない。あとうるさい。ここには二人しかいないのにいちいち大声で呼ぶのはどうかと思う。確かに集中しているときは聞こえないこともあるけれど、そこまで大きくなくていいし聞こえなかったら肩でも突けばいい。


「雪花雪花! ここにもあったぞ!」


「ちょっと、もう少し静かになれないの?」


「俺は雪花の名前すらも好きだからたくさん呼びたい! それに俺のことをもっと知って欲しいから無理だ! ふふったくさん知ってくれよ!」


 嬉しそうにするこいつとは真逆に私は呆れるしかない。



ーー思った通りにこの男はやはり鬼だった。


 大江山鬼伝説。京都の大江山に昔、日本三大妖怪として恐れられた酒呑童子が住み、その親友として存在する茨木童子という鬼。

 頭脳明晰、眉目秀麗、抜山蓋世と、一つで持っていれば羨むものを三つも持っている酒呑童子に手も足も出なかった茨木童子は負けを認め、最後に酒で勝負するも負けたが、酔った勢いで語らえば意気投合し一番の友達になった。

 悪さの度がすぎて都にまで手を伸ばすと天皇に目をつけられ、源頼光一行に首をはねられて酒呑童子が退治される伝説。


 そして逃げ延びた茨木童子は一条戻橋で美しい女の姿に変え、親友を殺した男達を待っていると頼光四天王の一人である渡辺綱という男が通りかかり、道に困っていると騙して住処の愛宕山へ連れ去ろうとするが右腕を斬られてしまう。

 斬られた腕をそのままに一時去って行ったが、七日後に渡辺綱の母親に姿を変え、自分の腕を取り返した……。


 直接聞いた話と伝承ではそれぞれ違うところがあったが、まとめるとこうだ。


 そんな名の知れた悪鬼がこんなハイテンションでしかも人間に懐くってどういう心理だ。意味わからん。


 それと、茨木は普通の人間には見えないらしく、声も聞こえないと言っていた。話すのも本当に久し振りで私と会えて本当に嬉しいと言っていたが、誰にも認知されず、約束した相手を千年以上も探し続けるなんて寂しくないんだろうか。


 伝承通りなら自分の命のために逃げる臆病者のように解釈できるけど、約束を果たすために生き延びていると考えれば、律儀な性格だと分かる。


 「千年以上先の私にもう一度出会って」なんて、ひどい約束をさせたものだ。その人は生まれ変わってまた出会えると思っているけれど、実際生まれ変わりなんて確率で表したら余裕で小数点以下だろうし、また出会うまでずっと探せなんて相手のことを全く考えていない。

 私なら自分のことを忘れて生きろとか考えるな。

 というかそんなの所詮は口約束なんだから、やめていれば楽に生きられただろうに。これは一種の呪いみたいなものとも言える。


「雪花ーっ!」


「何……?」


「そろそろ休憩しよう! 目が疲れて落ちてしまうぞ!」


「そういう生々しいのやめて、あんたが言うと妙にリアルなんだよ」


「努力しよう!」


 昼ごはんの時間はとうに過ぎて、おやつとか食べる時間に差し掛かっていた。集中しているのはいいけれど、し過ぎるのも考えものだ。


 書斎を出て自室へ戻って、部屋の中の小さい冷蔵庫から出して食べようとしていたら、先に茨木が部屋に入って私はベッドに座って待っていろと言われた。こうやって気を遣ってくれるのはいいと思うけれど、もう少し静かならさらにいいのに。


「なんだこれ!? まさか、これ全部レーズン!?」


「そうだよ大好物なんだ」


「こんなのばっか食べて……不健康だ!」

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