第12話 未来ある青年、カンテラ・グライム

 場所はカンツォーネに戻る。

 一行はカンテラと別れると、酒場を離れ宿屋に来ていた。宿屋の入口には大小様々な小物が飾られ、どこかメルヘンチックにも見える。カンツォーネ名物の木材を使った彫刻が歓迎してくれているようだった。

 三人が宿屋の入口をくぐると、四十かと思わしき女性店主にハーディが話しかける。


「三部屋、一泊だ」

「うちは一泊三日だよ。三部屋で九日ね」


 ハーディは腕途刑を店主に差し出そうとしたが、それをキリシマは止めた。


「いや、大部屋一部屋で頼む。三人泊まれる部屋はないか?」

「キリシマ、なんのつもりだ?」

「あのガストロとかいうやつ、まだこの辺をうろついてるかもしれねえ。正直、俺一人でキャリーちゃんを守り切れるかわからねえ」

「ハッ。少し思い通りにならないだけでずいぶん弱気じゃねえか」


 キリシマの不安をハーディは嘲笑した。


「お客さんどうするの? 三人泊まれる大部屋なら、一泊五日だよ」


 結局、ハーディとキリシマは選択をキャリーに委ねることにした。二人が言い合いをしても決着はつかない。それはただの時間の無駄に終わるだろうと、それがわかっていたから二人は判断をキャリーに任せることにしたのだ。

 キャリーは迷った。自分もうら若き乙女である。キリシマと野宿をしたとはいえ、男二人と同じ部屋で一夜を共にするのは不安しかない。それはキャリーには迷うことなく拒否していい選択だった。だが、キリシマのセリフとガストロ・クラシックという男を思い起こす。何の脈絡もなく唐突に自分を殺そうとしたガストロ。キリシマとハーディの二人ですら追い払うのに精いっぱいだったガストロ。一人で寝ているときに襲われては間違いなく生き残れない。二人の意見と、二つの選択を天秤にかけ、キャリーは決断する。


   〇


「うわぁー! あの、広い部屋ですねぇ!!」

「安心しろよ。ちゃんとベッドは三つある。ハーディも問題ないだろ?」


 見た目とは裏腹に、天井は高く、大きな換気扇がゆったりと廻っている。深茶色の木枠にはめ込まれたガラス窓からは、遠く、カンツォーネを囲む木々たちの風になびく姿が確認できた。部屋の随所にはやはり小物があしらわれ、キャリーの乙女心をくすぐる。ベッドも三つ、離れて設けられており、その色彩は宿泊客を飽きさせない。

 結局、三人泊まれる大部屋をキャリーは選択した。よく考えると命を懸けてまでの事ではない。あまりにも正しい選択であったが、自分の意見が通らなかったハーディはどこかいじけていたように見える。


「ハーディさぁん。いい加減機嫌なおしてくださいよぉー」

「あ? 別に不機嫌になんかなってねーよ。殺すぞ」

「こいつ意外とみみっちいからなー。ほっとけよキャリーちゃん」

「なんだとてめぇキリシマ!」


 デイトナを構えキリシマに向ける。

 それを見て、腰を落としキリシマは刀を構えた。

 ハーディは昔からキリシマの人をおちょくる態度が嫌いだった。この男といると自分という存在まで茶化されてしまう気がしたからだ。


「まぁまぁハーディさん。いいじゃないですか。皆で仲良くお泊りってのも」


 キャリーの発言はここが刑務所であることを忘れさせるほど呑気だった。つい先刻殺されかけたばかりのくせに。

 正直なところ、ハーディですらガストロがまだいるかもしれない街に、個別で泊まるよりは集団で泊まったほうがいいとは考えていた。ただ、やはりキリシマの意見に従うのが気に入らなかったのである。


「二日続けて野宿したからなぁ。ベットで寝て、ゆっくり休めよキャリーちゃん」

「そうですねえ。実はあの、もう体が痛くて痛くて――」


 慣れない野宿にキャリーの体はかなり疲れていた。だが、それよりも命を狙われ、そして目の前で人が死んでいく。そんな非日常の緊張感の連続に、精神的疲労の方が限界だった。


「それよりハーディ。コンツェルトに向かう前に、一回オラトリオに戻るが……、それでもいいか?」

「ああ、別に構わねぇよ。買い出しだろ?」


 西の街、カンツォーネから、対極する東の街、コンツェルトまで直線で向かうには距離がある。なによりコンツェルトの周りは山で囲わているのだ。食料もかなりかさばってしまうだろう。それなら北の街のオラトリオか、南の街アラベスクを中継し、経由した方が荷物も少なく済む。

 だが、アラベスク経由は悪手だ。言わずもがな戦闘は避けられないだろう。最悪ビズキット本人と出くわすことになるかもしれない。ハーディは戦う理由がなかったし、キリシマはそれよりも依頼を重んじていた。

 オラトリオ経由が最善ルートであると二人の意見が合致していたのだ。


「一回オラトリオに戻るんですか? あのじゃあ私、リップさんに会いたいです!」

「構わないぜ。どっちにせよ一泊する予定だしな。おっぱいちゃんに会ってこうか」

「俺もドンのところで弾を仕入れてぇ。ここに来るまでにかなり消費しちまったし、例の物がそろそろ出来ているはずだ」

「じゃあ決まりだな! 明日はオラトリオに向けて出発だ。しっかり休んどけよ」


 目的地が決まり、キャリーは「おー」と呑気に手をあげ、ハーディはただ静かにうなずいた。

 明日からの予定が決まったところでキャリーは口を開く。


「あの、私先にシャワー浴びてきてもいいでしょうか?」

「もちろんだぜキャリーちゃん。レディーファーストってやつだ」


 キャリーは意気揚々と着替えとタオルを持って風呂場へと向かった。

 部屋の中は必然的に二人きりになった。

 宿屋の階段を上る人物がいる。ハーディの居場所を探し出したカンテラである。カンテラはやはり、ハーディに頼み込もうとしていた。ビズキットがここに来たとき、自分ではなにもできないだろう。その確信はガストロと対峙した時にさらに強まっていた。三人が泊まる部屋の前ににカンテラが立ち、一呼吸おいてノックしようとした時、キリシマがハーディに話しかけた。


「ハーディ、もし俺になにかあったら……、キャリーちゃんを頼む」


 ハーディはそのセリフに心底驚いた。到底キリシマ程の自信家から出たとは思えないセリフだったからだ。


「俺はキャリーちゃんを守れなかった。もし帷子を着ていなかったら、今頃死んでいただろう」

「心配するな、てめぇは十分強ぇ。酒が回ってたから仕方がなかった。もうあんな事は起こらない。……キリシマ、そう言ってもらいてぇのか?」

「違う! 俺は自分の力を過信しすぎていた。万が一の事があったらの話だ。ハーディ、おまえがキャリーちゃんをシシーの元へ送り届けてくれ」


 おくびにも出さずにいたがキリシマは自分を責めていた。軽率にキャリーを単独行動させ、あまつさえ自分は酒を飲み、その結果キャリーを危険な目に合わせた事に。初めて要注意人物と対峙したキリシマは世界の広さと、己の無力を知った。


「戦う前に自分が負けることを信じるな」


 ハーディがぼそりと呟き、キリシマは眉をしかめる。


「なんだそれ?」

「俺に銃の扱いを教えた男の言葉だ。力の強い弱いじゃねえ。技術があるかないかじゃねえ。それ以前にだ、気持ちが負けたらその喧嘩はもう負けだそうだぜ」

「はっ。おまえの強気は師匠譲りだったのかよ」


 キリシマは思わず吹き出した。


「だが俺はそれで今まで生き残ってきた。正しいかはわからねえが間違っているとも思ってない。俺も部下にもそれを伝えたかったんだがな」

「あんたの部下も災難だな。こんな鬼みたいな上司をあてられてよ」

「何言ってやがる。あいつに比べたら俺なんてかわいいくらいだぜ」


 キリシマはハーディと笑いあう。

 机の上で整備中だったデイトナに、立てかけてあったキリシマの刀がバランスを崩しぶつかった。

 部屋の外、廊下で話を聞いていたカンテラはノックするのをやめ、静かに引き返していった。


「とりあえずキリシマ。てめぇは体に入ってる力をぬけ。へらへら笑ってる時の方がてめぇは強ぇ。居合の要なんだろ? 脱力ってやつが」

「そうだな! 自粛して茶とか飲んでたが……。酒だ酒だ! 俺、ちょっくら買ってくるわ!」


 キリシマはそう言い残し部屋を出た。

 ハーディは窓から外を眺める。その後ろ姿に、もう迷いは無いように思えた。


   〇


「ふぅ~、いいお湯でした~!」


 久々の風呂を終えたキャリーが部屋に帰ってきた。長く湯に浸かったからか、体は火照り、顔は紅潮し、肩には薄っすらと蒸気が見える。

 部屋に入ったキャリーの目に入ったもの。それはグデングデンに酔っぱらった二人の姿だった。


「ええええええええ!?」

「おう、戻っらかキャリー」

「あ、きゃりーひゃん。おかえり。そこに飯買ってきたらら」


 キリシマが指さした先にはカンツォーネの市場で買ってきたバーガーと水が置いてあった。だが、キャリーはそれよりも、二人の周りに散らかる大量のつまみと酒に目が行った。

 キャリーは思わず二人の肩を大きく揺すりだす。


「もう! また飲んでるんですか!? 二人とも!」

「ちょ……、揺らさないで……、きゃりーひゃん……」

「飲むなとは言いませんよ!? でもあの! 限度ってのがあるでしょう!?」

「おぉ……、手はなせキャリイ……」

「いいえ! 飲みすぎは体に悪いんです!」


 キャリーが一際大きく揺すった時、限界を感じた二人は部屋の洗面台に駆け込んだ。

 遠くから「オエエエエエエ」と嗚咽が聞こえる。まるでブタの断末魔だった。

 キリシマは吹っ切れたのだ。過去を悔やんでも仕方がない。それに今、キャリーは生きている。次こそは守り切ると、そう誓っていた。


「まったく、これに懲りてあの、少しは自重してください!」


 二人が体中からありとあらゆる毒素を排出し終わり戻ってくる。

 その時、キャリーは自分の食事に手を付けていた。


「てめぇ何しやがる! おまえも飲め!」


 ハーディはビールをキャリーに突き付ける。


「キャリーちゃん……、世の中にはやっていいことと悪いことがあるんだよ? 知ってる?」


 続いてキリシマはニホンシュをキャリーに突き付けた。


「えっと……、あの、私お酒飲めないってゆうか、悪酔いしちゃう体質っていうか……」

「うるせえ。飲め。この野郎」

「だーいじょうぶ……。怖くないから……。何もしないから……。先っちょだけ、先っちょだけ……」


 二人とも完全に目が座っている。キャリーに地獄を見せられた二人は結託し絶好調だった。記念すべきキリシマとハーディの初めての共同作業である。が、二人はこの事を後日すっぱり忘却していた。


「あのー……、ちょっと二人とも、やめっ、ちょっ、いやああああああああああ!」


   〇


「おら、早く起きろキャリー」


 ハーディの声でキャリーは目を覚ます。

 外はすっかり明るくなって窓から日が差し込んでいた。遠くから小鳥のさえずりが耳に聞こえてきては、どこからかパンの焼ける匂いが鼻先をくすぐった。

 身を起こすと頭が痛んだ。キャリーは涙目で自分の頭を押さえ、犯人に訴えた。


「うう……あの、頭が痛いです……」


 昨日の晩にハーディとキリシマに散々飲まされたキャリーは、明らかに昨日よりも顔色が悪かった。どうやら、キャリーはあまり酒が得意では無かったようだ。


「ハーディ、あんたが飲ませすぎるからだろ? 限度ってもんがあんだろ」

「てめぇも乗り気だったじゃねえか。大体ニホンシュってのはなあ――」


 朝っぱらから二人は口論し始める。キャリーより遙かに飲んでいたのに二人ともピンピンしていた。むしろなぜか元気になっていた。

 しかしその怒鳴り声が二日酔いの頭に響く。


「うう、あいたたた……」


 それを見てキリシマは一度ハーディへの言葉の暴力を止めた。


「ごめんごめん。大丈夫? キャリーちゃん、きつかったらもう一泊するか?」

「ハッ。せいぜい今日ははそいつに飲まされねぇようにするんだな」

「いえ、あの、大丈夫です……」


 キャリーは昨日、キリシマが買ってきた水の残りを飲みながら言った。


「少しでも早く母に会いたいので」


 しばらく休み、キャリーが動けるようになると三人は宿を出る。

 ドアを開けると宿の外にはカンテラが立っていた。


「てめえか。言ったはずだろ。自分でなんとか――」

「いえ! ハーディさん! この街は私に任せてください!」


 カンテラは頭を下げ、そう言い放った。再び顔をあげたカンテラの顔つきは昨日とは別人のようだった。


「へえ。どうした? いい目してるじゃねえか」

「当たり前ですよ! 私はカンツォーネの刑殺官ですから!」


 たった一日二日で人が強くなることはない。だが、心は違う。たとえ勝てない相手がいようとも、気持ちでは負けてはいけない。それが人を管理する者、刑殺官だ。

 カンテラに見送られ、三人はカンツォーネを後にする。

 進路は東。目指す場所はコンツェルト。キャリーの母シシーと、ハーディの元上司がいる街である。

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