短編集という名のゴミ箱のようなもの。

@Okko_Katsumori

高学歴だがモテない男性大学生の帰結


 海か山かと言われても、どっちも同じくらい楽しそうだし、選べない。

 キノコかタケノコかと聞かれれば、散々迷ってその日の気分で答えるか、あるいは最初から「無差別だ」と断言するだろう。


 だが。水族館と動物園、どちらが好きかと言われれば、俺は迷いなく水族館と答える。


 魚が好きなのもそうだが、もう一つ。

 目に見える柵があって、基本的に一歩引いたところから「展示物」としてしか見れない動物園。

 ガラスという目に見えないものの向こう側から、生き物たちとダイレクトに触れ合える気がしてやまない水族館。

 どちらの方が望ましいかという問題の、自分にとっての最適解は、子供の頃からずっと後者だったのだ。

 そんな俺が、大学の講義で常に一番前を陣取るというのは、言わば必然的な事象であった。

 授業の内容に特別な興味があるというわけでもない。リベラルアーツの方針から半ば強制的に取らされている専攻外のものなど、尚更だ。しかし、前に他の生徒が座っていたり、あるいは伽藍堂の机があったりという状況よりも、一番前の席でコーヒーを飲みながらノートを取る方が性に合っていた。

 教師は講義の展示物ではなく、より近くでダイレクトに触れ合うもの。そう信じているが故。



 ところで俺には、彼女がいない。生まれてからずっと、出来たことが無い。

 昨今議論されているようなLGBTQというわけでもない、ありふれた性的嗜好を持つ俺であるが、異性と付き合った経験は皆無だ。

 ゼミの懇親会などでそのことを話すと、周囲は大抵呆れたような目になり、「中高で出会いはなかったのか」と最初に聞いてくる。

 残念、男子校だ。


「塾とかで・・・」


 おっと、塾には行っていない。

 多くはそこで諦め、あるいは彼女を作った方がいい理由などをありがたくご高説して下さるのだが、この前は違った。今の二つの質問に付け加えて、「大学の授業でいいと思える女性はいなかったのか」と問われたのだ。

 少し考えた後、こう答える。


「いつも、一番前に座っていますからね。どんな人が一緒に授業を受けているのか、実はあんまりよく知らないんですよ」


 まさに、ソーシャルネットワーク不参加型の、典型的な社会不適合者答案であったと思い返す。

 態度には出さないものの、質問者に周囲の友人・先輩たちは心の中でドン引きしていたことだろう。

 なんとなくやばいと危機感を覚えた俺は、翌日の講義で、珍しく一番後ろに座ってみた。

 前に座る履修者たちに、十五ほど並ぶ、一つにつき最大七人座れる長机。

 遠い教壇に、黒板。

 いつもクリアな視界が、今日は靄でもかかっている気分だ。


 今回限りにしよう。


 消極的な決意の後に、目的である「受講者の把握」を行う。といっても俺が教室にたどり着いた授業開始五分前というのは、学生もまだ出揃っておらず、疎らにポツポツ点在するのみ。

 知ってるやつ一人、他は全員知らなかった。

 開始三分前、ぞろぞろと人がやってくる。知っている人間数名には眼球も反応してくれるが、元来重度のコミュ障保持者である俺という存在の脳は、赤の他人をうまく認識してくれやしない。

 いや待て、俺は最終的に彼女を作ろうと考えて後ろに座ったのだ、女性のみ把握すればいい。・・・だめだ、数えるので精一杯だ。

 気付いた時には、授業が始まっていた。

 自分のダメさ具合に盛大な溜息が出そうになるのを堪えて、教授の提供する貴重なレクチャーの要点をノートに書き連ね始める。


 そして俺は、愕然とした。


 授業内容に、いつも前で聞くほどの内容と、輝きを感じないのだ。情報が俺のところまでやってくるまでに、前方の学生たちに甘い部分だけ吸い取られて、その残りカスだけが耳に入ってくるような。

 他で例えるなら、飛び石。

 最初は水面を勢いよく飛び跳ねていくのだが、ジャンプするごとに勢いを失って、最後に水中へと沈む・・・。

 ちょうど、俺の前くらいでレクチャーが沈んでいる。

 集中が続かず、二席空いて横にいる学生を見た。欠伸をしながら、漫然とノートを取っている。

 あ、寝た。そりゃそうだ。

 こんな環境で、授業内容が入ってくるわけがない。

 音を出さずに舌打ちした後、天を仰ぐ。

 失敗した。こんなことしなきゃよかった。せめて、一番後ろと言わずに三、四列目にしておけば。


 首を元に戻して。ふと、ちょうど前に座っている学生を見やる。


 条件は俺とほぼ同じ。さぞ退屈そうに授業を聞いていることだろう。起きてますよという姿勢で眠っている可能性もある。

 ごそごそ、背中が動いた。どうやらスリープモードではないようだ。同時に、ビッと紙の破ける音。小さな動きで、隣の席に座る学生に何かをスッと渡す。

 A4の紙だ。破ける音は、ノートの鳴き声だったらしい。

 興味をそそられた俺は、ちょっと身を乗り出して、一辺ギザギザな長方形を覗き込む。

 戦慄した。

 尾びれ胸びれ背びれ、躍動感のあるリアルな魚の絵。

 上手い。

 ちょー上手い!


 問題は、顔が講義中の教授のものであることだ。


 絵を手渡された学生は、笑いを堪えるように背中をプルプル震わせていた。かと思えば、猛スピードで右手を動かし始める。何をしているのか、俺はワクワクしながら右前の学生を見続ける。

 進む授業は、最早慮外、思考の彼方で発散していた。

 十分ほど経って満足そうにシャープペンシルを置き、サッとルーズリーフを左に渡す。

 再び背筋をピンと伸ばした。書かれているのは、絶妙な大きさの乳に、艶かしい曲線を描くお腹のくびれ、そこから伸びていく紡錘形の健康的な美しさ。萌え萌えキュンキュンしそうな人魚の絵。

 尊い。

 ちょー尊い!


 問題は、顔が講義中の教授のものであることだ。


 前の二人は、ゲラゲラ笑えるのを堪えるように、体を高速振動させている。

 あの教授様、この授業で扱われているトピックの界隈では権威なはずなのだが。単位のためにしか授業を取らない学生は、そんなこと意識しないのか。

 最後に、二人は紙を真ん中に置いて、合作し始める。

 進捗が後ろから丸見えになってしまうのだが、完成作品だけ見たい衝動に駆られた俺は、急いで机に突っ伏した。授業のことなどもう忘れてしまっている。

 ああ次は、どんな作品が描かれるのだろうか。

 どんな教授が、描かれるのだろうか。

 宝箱を開ける前の少年のように、キラキラした心で待つ。

 暫く、永遠とも思える時間を過ごして、漸くシャーペンの動く音が、途絶えた。

 恐る恐る、前を見る。

 さてさて、彼らが一生懸命書いていたものは。


 今日提出の、課題だった。


 二度あることも、三度はなかったのである。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 終わりの時間を迎え、他の生徒に混じって教室を出ていく。

 ストッ、スト・・・と階段を下りながらぼんやりと考える、初めて一番後ろに座って得た教訓。


 授業を聞く環境としては、最悪。


 教師はまるで、人でごった返す檻の前から見た、パンダのようだ。俺の思惑通り、一歩引いたところで観察される展示物でしかなくなっていた。


 しかし、一方で。


 見るのは中学生以来となる、前の席で行われる人同士の駆け引き。面白くて予測不可能で、ベクトルの向きは別であれど、コンテンツとして講義と遜色なく。

 ダイレクトに人と触れ合える感覚もまた、存在した。


 後ろの席は動物園ではなく、前に座っている人間の水族館なのだ。


 だからと言って後ろの席は、勉強が手につかなくなりそうだから。

 これからもずっと最前列受講、だな。


 だから、俺はモテないのだ。

 振り出しに戻る。

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