第1話 優しい詐欺師 ―3―

 雅子は出かけるまで一時間も時間をかけた。

 最初はめいっぱいお洒落したのだが、鏡を見ているうちに、ふつうの主婦としてはやりすぎだと思い直した。

 ふつうの主婦で、少しだけセンスのよさを感じさせる服。

 手持ちの服はそれほど多くない。スカーフやバッグを並べ、何度もスカートを取り替えた。

 ようやく準備が終わったときには、約束の時間にあと一五分と迫っていた。

 近所にしてもらってよかった、と、雅子は作品をいれた箱を手に取った。

「………」

 昨日、帰ってきた娘と夫に話をした。娘は大喜びしたが、やはり夫は黙りこくった。だが、あえて反対もしなかった。

「自分の実力を知るにはいいかもしれないね」

 しばらくしてぽつんとそんなことを言った。少しいやな気がしたが、それを許可ととった。

 そのあと、文果にも夫にも見せながら、出品する作品を決めた。

 全部で一〇点。

 ほんとは次にTETTEにUPする予定だった作品だ。

 二〇点作っていた中から厳選して選んだ。

 最後まで迷ったのが紫陽花のモチーフのブローチだった。紫陽花の季節はもうすぎていたから出そうかどうか迷っていたのだが、この紫陽花柄は何度も売れた作品だった。

「この青いのと黄色いの、どっちがいいかしら」

 雅子は両方を手にして言った。

「黄色いのがかわいいと思うな」

 文果は青い紫陽花を指さして言った。

「青いのが紫陽花らしいな」

 夫も最後にはちょっと興味を持ってくれた。

「じゃあ青い紫陽花にするわ」

 雅子はそう言って青い紫陽花を箱に納めた。

 雅子は玄関でその箱をもう一度開いた。

真ん中に青い紫陽花が光っている。それを手にとって考えた。

(文果は黄色い方がかわいいって言ったわよねえ。アクセを買うのは女の子なんだもの、やっぱり文果の意見の方があってるわ)

 雅子は大急ぎで部屋に戻ると黄色の紫陽花をとってきて、青いのと差し替えた。黄色い紫陽花はアクセサリーたちの真ん中で、華やかに輝いている。

「───うん、」

 雅子は大きくうなずくと、ふたを閉めて玄関のドアを開けた。


ファミレスで待っていた牧野氏は、誠実そうな人に見えた、と雅子は夏月に言った。平凡な顔だちだがスマートで、頭のよさそうな感じだった。

牧野氏は名刺をくれた。東光ハンドの有名なロゴが印刷され、「戦略販売部 部長」と書かれていた。

そして雅子の作品を見ると、「すばらしいですね」と優しく言ってくれた。

「これを全部預からせていただけませんか?」

 牧野の申し出に雅子は驚いた。今日は説明を受けるだけだと思っていたのだ。

「実は、正直に申し上げますと、明日からハンドメイドフェアを開催する予定なんですが、作家さんがひとり、〆切に間に合いそうにないんです」

 それを聞いたとき、雅子は少しがっかりした。自分が選びに選ばれた存在ではないと思ったのだ。

「しかしそれをチャンスだと考えてください」

 雅子の表情からそれを察したのか、牧野は穏やかに続けた。

「代打打者がホームランを打つこともあるんです」

 たしかにそうだわ、と雅子は思った。

自分はハンドメイドの世界では新人だ。こういううまい話しに載って成長すべきなのだ。きっかけはなんでもいい、チャンスは掴まなきゃ。



「それで作品を全部渡したんですね」

「はい………」

 雅子さんはまたうつむいてしまった。自分の浮かれ具合を恥ずかしいと思っているのか。



 家に戻って夫と娘に商品を預けた話をした。

「わたしって代打だったみたい」

 若干の寂しさをにじませたその言葉に、しかし、娘も夫も嬉しそうな反応だった。

「大丈夫よ、代打だって、作品が認められたからじゃない」

「そうだよ、代打でホームランをうつ選手だっているんだから」

 夫の言葉に思わず笑ってしまう。

「それ、牧野さんも同じせりふ言ってたわ」

 夫は照れくさそうに顔を手のひらで覆った。

「そっか。男はけっきょく野球好きだからな」


 翌朝、作品が店頭に並ぶ日だ。

 雅子は朝から緊張して水しかのどを通らなかった。

 夫と娘を送り出してから身支度をし、東光ハンドのある池袋へ向かった。

 雅子の家は板橋なので、埼京線に乗ってすぐだ。

 ついたのは一〇時の開店の三〇分も前だったが、気にならなかった。

 四五分をすぎると、ぽつぽつと客が集まってくる。一番乗りしたい人たちなのかそれとも早く来すぎて待つしかない人たちなのかわからなかったが、自分一人で待っているよりは気がまぎれた。

(もしかしたらこの中にハンドメイドフェアを目当てにきてくれた人がいるかもしれないわ)

 やがて警備員がドアの前のチェーンを外した。店員が看板を持って出てくる。店頭用のワゴンも出てきた。

 雅子は腕の時計をみた。

 あと一分。

 半開きだったシャッターが全開になる。店の中が輝いて見えた。

「おはようございます、東光ハンド、ただいま開店です」

 緑のエプロンをつけた店員が頭を下げた。店の中に立つ店員もみな頭を下げる。

 その中を意気揚々と待っていた客たちが通り過ぎていった。

 雅子は客たちがすべて入ってから、おずおずと店内に入った。

 牧野はフェアはいつも一階エスカレーター前でやっていると言った。それは雅子も知っている。ハンドは雅子の作品作りの上でも重要な材料仕入れ先だ。いつも一階のフェアは楽しいものだった。

 そして今日、ついに自分の作品が。

「あ、あら……」

 店内に入って雅子は困惑した。

 一階のフェアスペースにあるのは恐竜グッズだった。

 右を見ても左を見ても、奥も手前もたくさんの恐竜たちだ。

「え? どういうこと……」

 別なフロアだったのだろうか。ハンドのアクセサリー材料売場は八階だ。もしかしたらそこでやっているのだろうか。

 雅子はエレベータに飛び乗り八階を目指した。

 八階は雅子もいきつけのフロアだ。ここでさまざまな素材や材料を買い込む。一時間いても飽きないフロアだったのだが。

「やってないわ……」

 雅子は一階に戻った。入り口付近の案内スタッフに近づく。

「いらっしゃいませ」

 元気のいい若い店員が雅子に声をかけた。

「あの、」

 雅子は持っていたバッグのとってをぎゅっと握りしめながら言った。

「ハンドメイドフェアは、何階でやってるのでしょうか?」

「ハンドメイドフェアでございますか?」

 若い店員はさっと自分の手元のタブレットを操作する。短い待ち時間の間に心臓が破裂しそうだった。

「お待たせしました、お客様。あいにく今の期間、ハンドメイドフェアというものは開催しておりません。念のため、他の店も調べましたが、今はどこでもやっていないようです」

 床がぐらぐらと揺れた気がした。

「あの、でもだって、あ、そ、そうだ」

 雅子はバッグの中から財布をとりだした。中に牧野の名刺が入っている。

「こ、この人は? 牧野さんって方がハンドメイドフェアをやるとおっしゃっていたんですが」

 若い店員は名刺を見て、それから隣の少し年輩の女性にもそれを見せた。

 やがて若い店員に変わって年輩の店員が雅子に丁寧に言った。

「お客様。この名刺は当社のものではありません。電話番号はこの池袋店のもので住所もそうですが、当社には戦略販売部というものはありませんし、このロゴは名刺には使いません」

「え……っ」

「この名刺は偽物です」

「そんな」


 雅子はどうやって家に帰ってきたかよく覚えてなかった。

 名刺の件を詳しく聞かせてほしいという店員をさえぎって、店を出たことは覚えている。だが、そのあとどうやって池袋駅にまで行ったのか、どうやって電車に乗ったのか、どうやって家まで歩いてきたのかまったく思えていなかった。

 気がついたら自室の机の前に座っていた。

 スマホを取り出し、震える指でタップする。牧野からのメールに「どういうことですか?」とメールをしたが、帰ってきたのは宛て先が見つからない、というエラーメールだけだった。

 引き出しから今回出さなかった残りの作品を取り出してみる。

 牧野に渡したのは厳選した一〇作品だ。それの残りの作品は、色あせ、古ぼけ、つまらないものに見えた。

「わあああっ!」

 雅子はその作品を引き出しごと床に叩きつけた。

 それから激しく泣き出した。


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