第1話 優しい詐欺師 ―7―
翌日の夜。
執事喫茶のドアに「Cloused」の看板をかけて五分もしないうちに。
文果と雅子さんが駆けつけてきた。
「あ、あの、ほんとですか? ほんとにわたしのアクセサリーが戻ってきたんですか?」
ドアを開けるなり雅子さんが叫んだ。その雅子さんを一部の隙もないエスコートで、冬真がテーブルにつかせる。文果もはあはあいいながら椅子に座った。
春海が部屋の照明を半分くらいに落とす。薄暗くなった店内を、テーブルに置いたランプがぽつ、ぽつ、と照らした。
こうした間接照明は人の気分を落ち着かせる効果があると、以前夏月から聞いたことがある。
店内には静かにチェロの演奏が流れている。低音のゆったりとした曲だ。
秋実がベルガモットの香り高いアールグレイの紅茶を二人にサービスした。
見ているうちに文果も雅子さんも落ち着いてきたようだった。
二人が紅茶を飲んでほうっとため息をついたところを見計らって、夏月が手に小箱を持って現れた。
「あ、……!」
雅子さんがのどの奥でうめくように声をあげた。それは雅子さんがアクセサリー一〇点を入れて詐欺師の牧野に渡した箱だ。
「どうぞ、中を確かめてみてください」
夏月がテーブルに置いたその箱を開けると、落とした照明の中でもはっきりと透き通ったアクセサリーたちが見えた。
「ああ……ああ……!」
雅子さんは作品をひとつひとつ手にとって確かめた。
「全部、ある。全部、わたしの……!」
雅子さんがこだわった黄色い紫陽花のアクセサリーもあった。
雅子さんの目から涙がぽろぽろこぼれる。
「ありがとうございますっ! ありがとうございます!」
雅子さんは箱を抱えて何度も夏月に頭を下げた。
「すごい、どうやって取り戻したんですか」
文果も涙のにじんだ目で夏月を見上げた。
「いえ、地味な作業ですよ。ネットで根気よく検索したんです」
「そうなんですか」
「やはりオークションにかけられそうになってました。販売される前にネットの管理者に連絡して押さえたんです」
「それじゃあ犯人はーーー」
「残念ながらそこまでは。ネットの管理者も所在地まではわからなかったようです」
「そうだったんですかあ」
文果はさかんに感心している。
「犯人を捕まえられずに申し訳ありませんでした」
頭を下げる夏月に雅子さんはものすごい勢いで首を振った。
「いいえ、いいえ、とんでもありません! この子たちを取り返してくださっただけで感謝してます!」
「そうですか?」
「はい、そもそもわたしの無知と思い上がりからこんなことになったんです、ほんとにご面倒をおかけして申し訳ありませんでした」
雅子さんは泣き笑いの顔だ。夏月は静かに笑いかけた。
「雅子さんは、今後も作品を作り続けられるのですか?」
「ええ――はい、」
雅子さんはゆるく首を振った。
「作品は作ります。でもきっと前ほどのペースではないと思います」
「でも作品を作って人とつながったり認められたりするのが楽しかったんじゃないんですか」
自身もパティシエとして愛される作品を作り続ける秋実が少し不満げな口調で言った。
「ええ、そうなんですけど……。でもこんどのことで娘や夫がどんなに私を心配していたわってくれたか……いつもわたしのそばにいて力になってくれたのはやっぱり家族なんです。人様とのつながりも素晴らしいんですけど、わたしは家族のつながりをもっと大事にしたいと思います」
「ママ……!」
文果が感動でいっぱいの目で雅子さんを見上げている。
「ほんとよ、文果。いろいろありがとう」
「そんなの、当然じゃない。あたしママの作品大好きなんだもの!」
「ありがとう。文果のその一言が、一番嬉しいのよ」
文果は雅子さんに抱きついた。その肩を雅子さんが優しく撫でる。
ああ、いいなあ。
私は一〇歳の時に亡くしてしまった実母を思った。時季子さんも確かに素敵な母親だが、おりにふれ、こうして母親を思い出す。それは仕方がないことよね。
雅子さんと文果は何度もお礼を言いながらアイビーハウスをあとにした。もちろん、ちゃんと冬真が示したお礼金を払って。
私は二人に手を振って見送った後、ドアを閉めて店内を振り返った。
「説明して」
「え? なにを」
秋実がわざとらしい声を出す。
「そうだ、そうだ。ちゃんと説明してくれなきゃわかんねえよ。ネットの検索だけで見つけたって、信じられるわけないじゃん」
「そうよ」
「第一ネットオークションの管理者から商品を手に入れるなんてできっこないだろ。オークションのときは商品は出品者の手元にあるんだから」
「え? そうなの?」
私の声に春海はうんざりした顔をした。
「ハンドメイドサイトと一緒で、商品は発送されるまで出品者の手元にあるんだよ」
「じゃ、じゃあ管理者から手に入れたっていうのは――」
「嘘も方便ってやつだ」
冬真がテーブルの上を片づけながら言う。
「じゃあいったいどうやって……」
夏月が笑いながら答えた。
「作品を持っていった人から返してもらったんだ」
「ええっ?!」
私と春海は同時に声をあげた。
「どうやってその人をつきとめたの?」
「誰だったんだそいつ!」
「雅子さんの話を思い出してごらん」
夏月は手品師のように両腕を広げた。種も仕掛けもありません、と。
「最初は雅子さんのところに牧野氏からメールがきた。ハンドメイドサイトを経由せず、ふつうのメールソフトを使って」
そういえばサイトの会社の牧野さんも言っていた。どうやって雅子さんのメールアドレスを知ったのだろうと。
「つぎに電話がかかってきて近くで打ち合わせをしたいと言ってきた。近くのファミレスで。通常は喫茶店とか言うだろうね。でも雅子さんの家の近くには喫茶店はなかった。だからわざわざファミレスと言ったんだ」
雅子さんの近所をよく知っているってこと?
「最後に犯人はうっかり口を滑らせた。雅子さんの奪われたアクセサリーの中に、前日とは違う色のものが入っていたということを」
違う色? 雅子さんが迷っていたのは紫陽花のアクセサリー。前日までは青を選んでいたけど、当日急に黄色に変えた。
「え? え? それって……」
「まさか、雅子さんの、」
夏月は広げていた手をパン、と叩いた。
「そう、ご主人だ」
「でも、旦那さんがファミレスにいたらわかっちゃうじゃない」
「それは代役を立てたんだよ、ご主人は友人に頼んで牧野という架空の人物になってもらったんだ」
「メールアドレスを教えたのも、ファミレスで打ち合わせって言うのも旦那さんが?」
夏月はうなずいた。
「でも、どうして」
「文果さんが言ってただろ、雅子さんは作品作りに根をつめすぎて、でも家事もちゃんとやって、倒れてしまったって。ご主人はそのことをすごく心配してたって」
「それで――」
「作品が奪われて雅子さんがひどく落ち込んだのが、ご主人の良心に堪えたんだろうね」
「あ……」
雅子さんが言っていた。その日からご主人が毎日早めに帰ってきてとても優しくしてくれたと。
「メールアドレスの件やファミレスの件で、たぶん近しい人だろうと思ったんだ。ご主人が黄色い紫陽花と言ったときのことは、雅子さんは気づいていなかったみたいだ」
夏月はいたずらっぽく笑った。
「あとはご主人に連絡して作品を返してもらっただけ」
「ご主人は作品をどこへ?」
「会社のロッカーだって」
秋実は肩をすくめた。
「見るたびに罪悪感に駆られたと言ってたよ。このことは奥さんには絶対に内緒にしてほしいって言って」
胸ポケットから一万円札を三枚出した。
「口止め料ももらった」
「うわ、こすい!」
春海が叫ぶと、秋実はぴしりと人差し指で彼の額を弾いた。
「別に要求したわけじゃない、押しつけられたからありがたく頂いたんだ」
「雅子さんもアクセサリー作りはほどほどにすると言っていたから、丸く収まったということでいいじゃないか」
冬真がうんうんとうなずきながら言う。
「こよみ、わかっているだろうがこのことは友達にも内緒だぞ」
「わかってるわよ」
私ははあっとため息をついた。なんだ、大騒ぎした詐欺事件もふたを開ければご家庭の事情だ。
「それでいいさ。僕たちは刑事でも探偵でもないんだから。お嬢様たちの悩みの解決をお手伝いするだけの、パートタイマー執事なんだから」
私のつぶやきに夏月が笑って言う。
そうね、今回のこともいつか旦那さんが雅子さんに告白するかもしれない。そのとき二人で笑い話になるといいわね。
照明を全部落として、私たちは執事喫茶を出た。春海が傾いた「Cloused」の看板をきちんと掛け直す。
明日「Open」の札がさがるまで――。
緑の蔦に覆われたアイビーハウスは眠りにつくのだ。
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