第1話 優しい詐欺師 ―1―

 ト、ポポポ……と高い位置から紅茶を注いでくれるのは、私の三番目の兄、夏月だ。

 二二歳、独身。

 あまり体が丈夫ではなく、高校も中退して五年ほど引きこもりをしていた。

 だが、一年前、父がこの街に喫茶店を開くと言ったとき、執事喫茶にすればどうか、と提言したのが彼だった。

 五年間、誰とも会わず、本とネットに埋もれていた彼は、世間はしらなかったが世間のニーズは知っていた。

 店の外観や、執事の制服をデザインしたのもこの兄だった。

 父と夏月は血はつながっていないが、店のコンセプトやシステムに対して、夏月の考えは、父をおおいに感心させたようだ。

 夏月はこの店のプロジェクトがすすみ始めると、閉じこもっていた部屋から出た。

 そして当時信用金庫で働いていた長男の冬真、ケーキ店でパテシェをしていた次男の秋実を口説いて一緒に執事喫茶をはじめた。

 本当はもう一人雇うはずだったが、喫茶のことを聞きつけた四男の春海(春海と私は同じ歳。三ヶ月しか違わないので兄さんなんて呼びたくない)が、高校を辞めて働くと言い出した。

 それを三兄弟がそろって説得し、とりあえず春海は高校に通いながら放課後だけバイトをすることになった。

 オーナーは私の父、実質的な店長は夏月、会計は冬真、おいしいと評判のケーキは秋実が担当している。

 実は、私と四人の兄は全員父親が違う。

 美しく、かわいい性格の母は四人の男性と愛しあい、別れ、最後に私の父の後妻に入った。

 私だってそのころにはもう中学生だったから、父親の再婚に子供っぽくだだをこねるなんてことはしなかった。

 けれど、いきなり四人の兄ができたのには驚いた。

 しかし、兄たちは、末っ子の春海を除いてみな大人だったし、冬真と秋実は独立して働いていたので、実質「兄弟」気分でいられたのは夏月だけだった。

 春海は……ぜんぜん「兄」なんて気はしない。どっちかというと弟かな。いつまでも子供っぽいし乱暴だし、がさつで大食らいで靴下に穴あけるし私の部屋も勝手に覗くし……。

 まあ春海についてはどうでもいいわ。

 私が一番兄として信頼し、尊敬しているのは夏月。

 物静かで頭がよくて優しくて話上手で。いれる紅茶も夏月のが一番おいしい。

 執事としてもすこぶる優秀。

 喫茶が開店する前に全員、三ヶ月ほど執事の学校というところに入学したのだが、四人の中では夏月が一番優秀な成績だった。

 講師の人がイギリスの貴族に紹介してもいい、と言ってくれたほどだもの、どのくらいのレベルかわかるでしょう?

 オールバックの下の白い額は知性の証、細いフレームの眼鏡の下、切れ長のクールな瞳、細い鼻筋と、数々の男性を魅了した母親からうけついだきれいな唇。

 イケメンじゃなくて美形。

 ここ大事。

 最近十把一絡げで売られているイケメンとは違う美形なの、夏月は。

 現在、オーナーである父は、義母の時季子さんと海外旅行に出かけている。個人で輸入業者をやり、都内に四軒の店を持っている父は、そこそこ儲かっている方だろう。この喫茶店は半分道楽のようなものだ。

 そして父が日本を離れている間、私がオーナー代理となっている。

 私は妹であると同時に、実質的に四人の兄たちにとって「お嬢様」なのだ。


 華やかな香りのオレンジ・ペコをいれたカップが私の目の前に置かれる。どういうだし方をしているのか、カチャリともコトリとも音がしなかった。

「ああ、いい香り」

 たちのぼる香りにつられて私の背筋が伸びる。

「今日はお早いお帰りですね」

 この店のテーブルに座っている限り、私は妹ではなくお嬢様、夏月の主人だ。

「ええ。実はバトラーに相談があったの」

「それはそれは」

 夏月は微笑んだ。

「私でお嬢様のお役にたちましょうか?」

「たつわよ! 夏月兄さん……じゃない、バトラーは何度も私を助けてくれたじゃない。今度だってなにかいい知恵を買してくれるわ」

「買いかぶりすぎでございますよ」

 夏月はにっこりすると、トレイを胸にくるりと背を向けた。ロングテールが優雅にそよぐ。

 この執事喫茶はけっして大きな店ではない。テーブルは八席ほどだ。基本、一人の執事が二つのテーブルを担当する。

 完全予約制で、執事を指名することも可能だ。

 来店回数でポイントがたまり、店の商品やお菓子やケーキのサービスが増えていく。しかしなにより喜ばれているのは、あるポイントに達すると、執事を名前で呼べるのだ。

 お気に入りの執事を「夏月」「秋実」「冬真」「春海」(信じられないけど春海を気に入っている人もいるらしい)、と呼び捨てに出来、執事からも名前+お嬢様と呼んでもらえる。

 特別扱い。

 女の子は特別扱いが大好きだ。

 さらにポイントがたまると、好きな設定のお嬢様になれる。

 たとえば亡命中のロシアの皇女、たとえば望まぬ結婚をした伯爵夫人、たとえばハリウッドの女優……。

 要はごっこ遊びなんだけど、執事たちが本気でその設定に沿って扱ってくれるので、最初は照れくさそうにしていたお嬢様たちも、一〇分くらいでなりきってしまう。

 女子は誰でも女優の素質があるのだ。

 いまのところそこまでのポイントがたまっている人は一桁だが、あと一年もすればもっと増えるだろう。

 夏月が今話しているお嬢様もその一人だったはずだ。設定は確か、滅びゆく国のエルフの女王……だったかな?

 紅茶を飲んで秋実の新作ケーキを食べていると、夏月が戻ってきた。

「ケーキ、おいしいわ」

 私が言うと夏月がうれしそうにうなずいた。

「小布施からいい栗が届いたので、秋実が腕をふるったんですよ」

「ねえ、夏月。お願いよ」

 私はテーブルに肘をついて両手を組んだ。

「わたしの友達の話を聞いてほしいの。お母さんが詐欺にあって、大事なものをとられちゃったのよ。なんとかして取り返してあげたいの」

「そういうのは警察のお仕事では?」

「警察は動いてくれないのよ。動いたとしても真剣にやってくれないわ」

「なぜです?」

「とられたものが、商業的価値があるかどうかわからないから。だって素人の作ったハンドメイド作品なんだもの」

 夏月の薄い眼鏡に日差しが反射して、きらりと光った。


 執事喫茶アイビーハウスの閉店は夜の八時だ。

 最後の客を送り出した後、春海が「Closed」の札を下げた。

 それから三〇分の間に店内を片づけ、キッチンの洗い物をすべてすませ、売り上げを計算し、それが終わると四人の執事たちは自分たちのためのお茶をいれる準備をした。

 そして八時半、「お嬢様」ではない客がやってきた。

 私の友人の早瀬文果とその母親の雅子さんだ。

「こんにちは……」

 文果と雅子さんはこわごわと喫茶店の中を見回した。ここが執事喫茶であるのは伝えていたが、どんなものなのか想像がつかなかったのだろう。

「いらっしゃい、どうぞ、座って」

 私は二人を真ん中の大きなテーブルに招いた。

「もう執事喫茶は閉店よ。ふつうの喫茶店だと思って楽にして」

 文果と雅子さんは周囲にぺこぺこ頭をさげながら椅子に座った。夏月が紅茶を、秋実がケーキを出してくれる。

「あ、ありがとうございます」

「どうぞどうぞ、食べちゃって。その日作ったケーキはその日に消費するのが目標だから」

 パティシエの秋実は軽くウインクしてみせる。そういうきざな仕草がいやみなく似合ってしまうのがこの兄の特長だ。

 ふわふわとした薄い色の髪、グレイの瞳。

秋実兄さんの実の父親はとてもハンサムなイタリア人だったそうだ。その血を受け継いだ彼は四人の中で一番背も高く、眠たげなたれ目がセクシーと囁かれている。

「ご相談の内容と結果によっては料金が発生することもありますが、それはご了承いただけますか?」

 事務的な口調で言ったのは長男の冬真だ。

 小さな頃からお金で苦労してきたという冬真。浮き世離れしたお気楽な母親が四人の子供を抱えて生きてこれたのも、冬真がしっかりしていたおかげだろう。

 アビーハウスが執事喫茶として営業しているうちに、お嬢様たちは執事に心を許し、時折悩み事を相談するようになった。

 それをぽつりぽつりと解決しているうちに、冬真がこれは料金をとるべきだと言い出したのだ。

 確かに、時には「サービス」という言葉だけで片づけられないほど関わってしまったこともある。

 そうするとお嬢様たちは精神面でかなり執事たちに寄りかかるようになってしまう。それを避けるためにギブアンドテイクの精神、打算的な思考が必要だ、と冬真は言った。

「お金で解決できることなら後腐れがない」

 冬真の持論だ。

 文果と雅子さんは冬真の言葉を聞いて、少しためらったけれどうなずいてくれた。

 商談成立だ。

「じゃあお話を聞かせてもらいましょうか」

 夏月が雅子さんの正面に座った。落ち着いた笑顔に励まされ、雅子さんはぽつりぽつりと話し出した。

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