塵も積もれば

ピクリン酸

1

 形式化された会話というのが、日常生活にちらほら見受けられるようである。例えば、入学したての生徒同士の会話は、ある程度形式化されている。

 口調とか距離感とかを考慮せずに、なるべく一般化するとこんな感じだ。高校入学時を仮定しよう。

「こんにちは。君どこ出身?どこの中学校? へぇ、遠いんだね、下宿でもしてるの? 大変だね、まあ、よろしくね」

 これがいわば、会話のテンプレートである。この会話で得られるのが心底どうでもいい情報だということは、当人たちが一番よくわかっている。

 しかし、大多数はこの流れに従わざるをえない。なぜなら、このテンプレートに当てはまらない人間は早速、人の輪、クラスの輪から脱落してしまうからだ。異端者を選別するための、最初かつ最も目の大きいふるいなのだ。こうしてクラス大衆の意見は整頓されていく。

 さて、かく言う私も、輪からふるい落とされぬよう、必死にこの儀式を行うのだ。中学校でこのテンプレートを行使する術を学んだ私の口調には澱みが無い。すでに何人かと儀式を済ませたところだ。

 ただ、いま相対しているのは、この儀式に参加していない異端者だ。私としたことが、この異端者が教室で本を読んでいる姿を見て、つい話しかけてしまった。私以外にも数人、話しかけてる人がいるようだが、数十秒で異端者のそばから離れていった。

 スマートフォンが普及した現代では、教室で本を読む人間はマイノリティとなった。大多数が正義ならば、スマートフォンこそ現代の正義なのだ。教室で本を読む人間など異教徒だ、即刻魔女裁判にかけるべきだ。

 それは置いといて、私は話しかけた、つまりは儀式を実行したのだ。この時、異端者に対して正攻法を試し、テンプレート通りに会話を進めた、私のコミュニケーション能力は驚嘆すべきものだっただろう。

「初めまして、どこの出身? へぇ、近いんだね、市内? そうなんだ。じゃあ、この周辺を今度案内してよ」

上記のセリフは一人分のセリフではない。これで二人分である。つまり、終始私が喋り倒し、相手は「ん、」とか「ここ」とかその程度しか口に出さなかった。こちらを見るそぶりさえ見せなかったほどだった。

 これは話しかけただけ無駄だったな、と他に話しかけられそうな人を探していると、異端者は初めて本を置き、こちらを向いた。

「で、何か用? あまり話を聞いてなかったから、もう一度話してもらえるかな?」

驚いた、こいつ、喋るぞ! そっちから話をしてくるとは思わなかった。他の人とは会話さえしていなかった様子なのに。特に用はない。

「あ、用というわけじゃないけど……あんまり他の人とも話してないみたいだったから……」

「そうかな? 他の人は私と話す気なんてなかったように思うけど」

なんだその断定は、根拠を示せ、根拠を。

「どうしてそう思うの?」

「本を読んでいる相手に対して、『本読んでるの? なんて本?』って話しかけてくる人間は大抵、本に微塵も興味がないばかりか、会話をするつもりもない。なんとなく話しかけただけ、どうせすぐ一人で読書を始めるんだろ、なんてことを考えているだけよ。あくまで推測だけど。そんな人たちとは、会話をしようにもできないよ」

「そう? 私には、あなたが本を読んでいたいだけに見えたけど」

「そういう気持ちもあったかもね。でも現に、いま私はこうして本を置いて、あなたと会話しているじゃない? そこまでは執着していないつもりよ」

「私に話しかけたのは、あなたに本の題名を聞かなかったから?」

「そうだよ、我ながらこの経験則を信頼しているんだ。改めてよろしく、私はソウダ アオ、惣田 青って書くのよ」

 こいつは間違いなく変人だ。変人と会話するのは、クラス大衆から言えば配慮に欠ける行動だ。しかし、彼女との会話は楽しかった。

「へぇ、それは君、遠いところから来たんだね。下宿でもしてるのかい?」

通り一辺倒の会話のはずだが、いつもとは違うことを聞かれている気分だ。中身のある会話とはこういうものだったか。彼女は心の底から私のことを知りたがっているのだ。知りたがっているから質問するのだ。本来の会話なら当たり前のこと。今まで我々の喉から発せられたモノは会話ではなかった。

 私は、新しく始まった寮生活について話した。特に話したかったのは、入居日に起きた小さな事件のことだ。

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