第19話 咲いた花の名前は

 メッセージに既読がついて。

 だけど、慶吾けいごくんからの返事は、しばらく待っても来なかった。だけど駄目とは言われなかった――なら、それが答えでいい。だって、何も言われなかったんだから。

 駄目なら駄目って、言うはずだったから。

 だから、いいんだよね?


 わたしは、慶吾くんからの返事がほしかったけど。でも、慶吾くんはまだ、はっきりとしたことを言ってくれないんだ――そのことが少しだけ悲しかったけど、それならこっちにだって考えがある。

「お母さん、」

 呼びかけたけど、返事はなかった。もう仕事に出てしまったのだろうか。そのことに少しだけホッとして、少しだけそれが残念だった。


 もう、止まる理由がどこにもない。

 ドアを開けて外に出るのに、そして隣の慶吾くんの家を訪ねるのに、インターホンを押すのに、そのどれひとつにも躊躇なんてなかった。

 早く出てきてほしい、とはもちろん思った。

 このまま出てこなければいい、とも思った。

 もう、どっちが本心なのかなんてわからなくて――だから、早く結果だけがほしくて。何もかもがゆっくり動いているようにしか思えなくて、心臓すらも止まってしまいそうで。


 だから、ゆっくりと躊躇いがちに鍵が開けられたのを聞いた瞬間、つい自分からドアを開いてしまった。向こう側の慶吾くんは驚いたような顔をしていたけど、けど、わかってたんでしょ?

「……光莉ひかりちゃん、」

「来たよ」

 まっすぐに見つめたわたしを、どこか躊躇うような目付きで慶吾くんが見つめ返してくる。その視線がもどかしくて、開けっぱなしになったドアから一歩、前に出る。

 何も言わないと、わたしもう止まらないよ?

 口には出さなくても、きっと見つめる目だけでわかってくれたと思う。少しひるんだ様子の慶吾くんは、いつもの余裕のあるお兄さんの顔をしていなかった。どこか不安そうで、何かを耐えているようで、すごく苦しそうで、泣き出しそうな顔。


 ずるいよ、そんなの。

 そんな顔したいの、わたしの方なのに。


「ねぇ、慶吾くん。わかってるでしょ?」

「…………、」

 曖昧な態度も、困ったような顔も、もう通用しないよ。だって……止まるきっかけを全部置いてきちゃったから。

 気まずそうに下げられた手にそっと触れる。握った途端にピクッと跳ねたその手に、胸が少しだけ震え方をしたのを感じた。その震えに急かされるように、もう一歩、距離を詰める。


 駄目って言ってよ、本当に駄目なら。

 近寄るなって、触るなって、そういう関係なんて求めてないって、言ってみてよ。本当にそう言えるなら、、、、、、、、、、、言ってみてよ。

 チャンスなら、あげるから。


「嫌?」

「……、ひ、かりちゃん、」


 眉毛が震えて、ひたいに汗がにじんで、声なんてずっと何も飲んでないみたいにかすれていて。強張こわばった表情も、眉間に薄く寄ったしわも……全部、わたしの想像していた通りの反応。

 ごめんね、チャンスなんて嘘だよ。

 泣きながらわたしにキスしてきたあなたが、わたしを拒み続けることなんてできないって、わたしにだってわかってるもの。

 そんな風に思いながら慶吾くんに近寄って上目遣いを作るようなわたしにも、そんな見え透いたことをするわたしを拒めない慶吾くんにも、少しだけ嫌気が差して。もういろんなことが苦しくて、もう全部手放してしまいたくなって。


「もう、そういうのいいから」

 下げられたままの、ちょっとごつごつした大きな手に、指を絡める。驚いたように開いた口を、少し背伸びしたキスで塞いだ。


 もう、いろんなことがぐるぐる回って苦しい。

 慶吾くんのことも、翔平しょうへいのことも、わたし自身のことも、たぶんこれから起きることも、それで変わってしまういろんなことも。


 苦しいけど、もう怖いとは感じなかった。

 今はただ、この苦しさから逃れるための息継ぎをさせてほしくて――だから、慶吾くんの舌を見つけてすぐに引っ張り出す。

 痺れるような心地よさに、頭が麻痺してしまいそうになる。そして、完全にそれら以外がどうでもよくなってしまう直前。


 気付きたくなかった――そう言って先に泣いたのは、どちらだっただろう。

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青いまま、枯れるはずだった。 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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