第17話 青い蕾は、いつしか。

 ……どうしよう、そんな言葉ばかり頭に浮かんでいる。とても人に会いたい気分ではなかったし、もしかしたらそういう気持ちに任せて京香きょうかに酷いことを言ってしまうかも知れなかった。

 けど、もう電車に乗ってこっちまで来てくれてるみたいだし……、あんまりこういうの断るのもよくないだろうし、だけど……。


『大丈夫だよ、光莉ひかり。光莉が話せるタイミングで話してくれたらいいからさ』


 寂しそうに言われたことが、どうしても頭を離れない。胸が締め付けられそうになって、時間を戻せるなら戻してしまいたいようだった。

 あのとき、相談できてたらよかったのかな?

 結局あのとき口を閉ざすことにしてしまったせいで、翔平しょうへいとの関係にもちゃんと区切りをつけられてなくて、慶吾けいごくんに対して自覚してしまった気持ちにもちゃんと向き合えずにいる。わたしひとりで考えているよりも、もしかしたら京香にも話を聞いてもらえてたらよかったのかな……?

 ぼんやり考えていると、玄関のインターホンが鳴った。お母さんはもう家にいなかったのでわたしが出ていくと、「あ、一応起きられるんだ」と少し安心した顔の京香がドアの前に立っていた。

「お部屋行っていい?」

「う、うん……」

 軽いやり取りをした後、京香を部屋に呼んで上がってもらうことにした。本当に風邪をひいているわけではないし、何かを移すなんて心配はなかったけど、なんとなく離れた場所に座ってしまったのは、きっとわたしの気持ちの問題だった。

 それでも、京香は笑顔を交えて口を開いてくれた。

「なんか久しぶりだよね、光莉とこうやって向かい合って話すの」

「そう……だっけ?」

「うん、ずっと気にはしてたんだよ? なんか、いつもの光莉じゃないな、って思ってた」

 京香の言葉に、胸がズキ、と痛くなる。

 わたし……そんなにおかしくなってたんだ、って。

「なんかさ、佐々木ささきとうまくいってないの?」

「――――え、」

 不意に京香が尋ねてきた言葉に、思わず返せなくなる。そんな表に出さないようにしてたつもりだったし、わたしが悩んでるのは翔平との関係より、むしろ……。

「なんかね、佐々木の様子見てたらなんとなくわかったんだ、その辺。佐々木ってわりとわかりやすいじゃん」

「あぁ、そうだよね……、あいつすぐ気持ちとか表に出すから……」

 興味のないことは興味なさげな反応をするし、何かイライラしてそうなときはそういうすぐ対応になるし……その分いい感情も表に出してくれていたけど、たぶん誰から見てもわたしたちがもううまくいってなかったことはわかっていたのかも知れない。

 なんか、気まずいな……思わず手元にあったクッションを押したり縮めたりして、手持ち無沙汰になったのを紛らわしたくなる。

 けど、ふと気付いた。

 京香の表情がどこか硬い。短くない間、わたしとの距離を感じていたって言っていたからそのせいかと思ったけど、何かが違うような気がした。


「京香、どうかした?」

「えっ、あ、うん……。あのさ、ちょっと訊きにくいんだけど……」

 京香の声が、ちょっとだけ歯切れの悪いものになる。どうしたんだろう……少しずつ膨らんでくる嫌な予感に、気持ちが落ち着かなくなって、喉の奥がヒリヒリしてくる。

 呼ばなきゃよかったかな――心配してきてくれた京香にそんなことを思ってしまう自分が、本当に嫌な人間に思えてくる。ずいぶん長い間躊躇した後、京香は1度だけ大きく息を吸って、それでもどこか恐る恐るという感じで、わたしに尋ねてきた。


「あのさ、光莉。こないだ……なんかちょっと年上の男の人と一緒にいなかった?」

「え――――、」

 そのとき、どうしてだろう。

 どうしてわたしは、その人のことを、たぶん慶吾くんのことを言っている京香に対してただのお兄さんみたいな人、って言えなかったんだろう。

 少しずつ芽生えている――ううん、自覚し始めている気持ちは確かにあった。けど、それでもやっぱり、慶吾くんはわたしにとって、ただのお兄さんみたいな人にしかなってくれないはずなのに。そう、決めたはずなのに。

 わたしを傷付けたくないって言ってくれた慶吾くんの気持ちを思うなら、そう答えたらよかったのに。


 わたしは、少しだけ頬を弛めて。

 まるで内緒話をしているように、口の前に人差し指を立てて。

「そのこと、誰にも言わないでね?」

 自分でもよくわからないことを口走っていて。

 何か怖いものを見るようにわたしを見てくる京香の目を、真正面から受け止められる自信なんてなかった。

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