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影の迷子への応援コメント
初めまして、工藤行人と申します。
御作を拝読しまして、死後の世界のイメージが頭を過ぎりました。といいますのも、一般的に形影一如の破れは「死」のメタファであると解し得ることと(その場合、「交差点」という場の含意を深読みしてしまいたくなります。勿論、虚心に読めば、少年が「影」化する場を横断歩道の「シマウマ」の上に設定することによって、「反転」の効果を高めておられるのだとは思うのですが……)、私が「形(なり)」に対する「影」を「身体」に対する「意識」と読み替えて解釈してしまったためか(見当外れでしたらお許し下さい)、人が身体的に死んだ後、それでも意識(霊?)が残るとすれば、その行き着く先は「この世」とはどこか別の場所にある「あの世」ではなく、実は自らの身体を喪ってなお意識だけが他から隔絶される形で取り残されてしまった「この世」なのではないかと考えていたことがあるのを思い出したからです(この点、小松左京氏に多分に影響を受けているやもしれません)。反転した世界で「影」として生きねばならないことと、自分が死んだ後の「この世」で意識だけで「生きて」いかざるを得ないこととが等価であるとすれば、「ぼくはこのまま一生、影なんだ」と慨嘆する少年が、まだこの状態を「一生」=終わりがあるものと捉えていることに私は戦慄してしまうのです。このような状態が「終わらない」のだと仮に少年が気付いたとしたら……その時こそ、まさに彼が影として生きていくことになる世界、死してなお意識だけで「生き」ねばならない「この世」は「地獄」と名を変えるのではないか、そのようなことを色々と想像(妄想)しながら愉読させて戴きました。
初めてのコメントで、このように冗長なものを失礼かと存じましたが、どうしてもお伝えしたくなりまして書き込ませて戴きました。何とぞご海容下さいませ。
追伸:
「影少年の冒険」という御作があったのですね。
作者からの返信
初めまして、工藤さん。読んでくださってありがとうございます。
死後の世界というイメージは、作者も少し重ねているつもりです。横断歩道が彼岸への橋になったというような、そんなつもりで書きました。ただ、それと同時に、これは生きている子どもがたびたび経験している、ありふれた出来事ではないか、とも思っています。元の精神に二度と戻れなくなる、そんな経験といいますか……。少なくとも自分は、内在的には同じような経験をしたと感じています。
たいへん丁寧に読んでくださり、懇切な感想を書いていただけて、とても嬉しいです。ありがとうございました。
追記
『影少年の冒険』は、同じ世界をもっと能天気に描いたようなゆるい作品なので、だいぶ方向性が違います。『墓碑銘カレイドスコープ』という短編集に、「影踏みイノセンス」という短編を書いているのですが、そちらの方が味わいは近いかもしれません。もちろん、無理にお勧めはしません。関連作に興味を持っていただけただけでも嬉しいです。感謝します。
影の迷子への応援コメント
企画から来ました!
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。