第42話 コピ・アビス

お題作品〈 猫、コーヒー、深海 〉



「いや〜ん、可愛イィィン」

わたしは最近この猫カフェ[ABYSS]がお気に入りで週に3回は通っている。

今日はわたしと同じく猫好きの友達アツコと猫に癒されにきた。

わたしはいつもカフェ・オ・レを変わらず頼むのでメニューは見ないのだけど、今日はアツコが初めてなので一緒にメニューを開いて見た。

初めてこの店に来た時に気になっていた事を話の種にアツコに振ってみた。

「ねぇねぇねぇ、此処のコーヒーのメニューにすっごいのあるのよ。初めて来た時にマスターとお客さんが話してたの聞いたの」

「んー、なになに?」

「これ、ここに載ってる『コピ・ルアク』ってのがさ、すごいのよ」

「コピ・ルアク…… 」

「ふふふ、あのねルアクってインドネシア語でジャコウネコのことなんだって」

「じゃこう猫・・聞いたことないなぁ。インドの猫なの?」

「そこんとこは知らないわ。でね、この猫がさ、コーヒー豆食べるらしいんだけど、豆未消化で出てくるんだって」

「げっ!」アツコは露骨に顔を顰めた。

「で、その出てきた豆を綺麗に洗って焙煎したコーヒーがむちゃくちゃ香りが可高くて美味しいらしいよ。飲んでみよっか」

わたしがアツコに顔を寄せると彼女はひきつった顔で身を逸らした。

「えーー・・猫のうんち豆でしょ?そんなの飲むのぉ? ちょっとなぁ…… 」

「幾らするんだろう、ここ」

もう一度メニューを覗き込む。

「げっ、二千円するじゃん!」

アツコは目を見張った。

「ん? その下に載ってる『コピ・アビス』ってのも千五百円してるよ」

「アビスってこの店の名前だよね。オリジナルブレンドってことじゃない?」

「マスターに聞いてみよ」

アツコはレジの内側で暇そうに通りを眺めている髭面のマスターに声を掛けた。

今は六十近いマスターは若い頃に学術調査の潜水夫をしていて、駿河湾沖のトラフなど深海に何度も潜ったりしたらしい。

もう歳も歳なんで引退して、好きな猫とコーヒーを身近で楽しめる猫カフェを始めたのだと言う。

「マスター、このコレ。コピ・アビスってなんですか?」

「あ、コレ⁈ コレね!コレは深海魚にコーヒー豆飲み込ませて出てきた豆を焙煎して淹れたウチの店しか出してないコーヒーだよ。美味しいよ」

「えーーーーッ!」

マスターはとてつもない和かな表情で応えてくれた。自分の自信作なのにほとんどお客さんには相手にされていないアイテムなのがありありと出ている。

「あーねー、飲んでみませんか。アラビカ種の貴重な豆で作ってるんですよ」

そういう問題じゃあない。わたしは敬遠する。

「あたし・・飲んでみる」

「アツコ・・チャ、チャレンジャー・・」

マスターの瞳がキラリと光った。

猫はダメでも魚のならいいのか…?

どういう基準なんだろう、アツコ。

なんかマスターの背後からゴゴゴゴゴッというマンガの様な音が響いてきた気がした。

マスターは一旦パントリーの奥に消えると、何か赤茶色の木箱を持ってカウンターの内に現れた。きっとあの中に魚のうんちが・・いやカピ・アビスの豆が入っているのだろう。

脱気した密封袋を開けて取り出されたそのコーヒー豆は艶やかに黒光りしていていかにも深入りの珈琲豆ですという感じがしている。

ずりりりりりりーーーッ

その豆が割と軽いタッチの音で挽かれていく。わたしたちはなぜか固唾を呑んでいた。

微かに煎られた豆の香りがするのだけど、他のコーヒーの臭いでよくわからない。

だけど、なぜか店内の猫たちがあっちこっちと落ち着かなく動き回り出した。低い唸り声を上げている猫もいる。

カウンター側とはアクリルのパネルで仕切られているので猫が暴れても火傷などの怪我や事故にはならない様になっている。

どうやらネルドリップで淹れるらしい。

ポコポコと音をたてて、ポットの長い注ぎ口から、ほんわかと白い湯気が立ち昇り、お湯が注がれてゆく。

お湯を注がれたネルの中の挽き豆が膨らんでくる。そして香りを樹てはじめた。

なかなかのいい香りにも思える。

マスターは青い模様の青磁のカップにそのコーヒーを注いだ。どこかしら満足そうな表情をしている。

「おまちどうさま。コレが当店の最高の味・深淵の珈琲カピ・アビスです」

アツコはマスターの顔と出されたコーヒーカップを交互に見比べた後、カップの持ち手にゆるりと指を入れた。

持ち上げたカップから立ち昇る湯気と香り。アツコはその香りを確かめる様に目蓋を閉じた。それから慎重に唇を縁につけた。

アツコの喉が静かに鳴った。


「ど、どーなの?魚臭い? 」


アツコが黙ったままわたしを見つめている。


「うーーん・・深海だけに・・フカイだわ」


全ての猫が腹を向けてうっとりしている。



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