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1 Westbound
「彗星がお好きなんですか?」
ドイツ・フランクフルトへと向かう機内。免税品のカタログを見ていた彼に、客室乗務員はそう声をかけた。その問いに彼は少なからず戸惑った。もちろん彗星が機内販売で売っているわけはなく、その時彼が見ていたのはシルバーのネックレスだった。正確に言うと、たまたま開いたページにネックレスが載っていて、ネックレスを見ていたというよりもその値段の高さに驚いていただけだった。
答えに困っている彼に優しく微笑みかけると、彼女はネックレスのヘッドの部分を指差し、「ここが彗星の形をしているんです」と説明してくれた。なるほど、確かに小さなダイヤが埋め込まれた台座は星形をしていて、先が三つに分かれた尾のようなものが付いている。
不思議な人だな、と彼は直感的に思った。もし自分が彼女の立場だったら、ネックレスの話はするかもしれないが、彗星の話はしないだろう。
「あれ?」と彼女が突然少し大きな声を出し、彼が持つ雑誌に顔を近づける。香水だろうか。金木犀の甘い独特な香りがする。瞬間、彼は眩暈を覚えた。その香りは、彼の意識の奥深くにある記憶の、さらにその一番深いところを否応なく揺さぶる。
「これ、彗星じゃなくて、流星って書いてある」
彼女の声が、彼の意識を支えた。眩暈が次第に収まる。
「……何ですって?」
「間違えました。彗星じゃなくて、流星でした」
「リュウセイ? あぁ、流れ星のこと?」
確かにカタログには『流星をモチーフにした』と書いてある。
「流星と彗星って何が違うんですか?」
「え? えっと」と彼は再び答えに窮した。それを俺に訊くのか。もしかして、彼女は自分のことを天文学者かプラネタリウムの館長とでも思っているのではないかと心配になった。まさか宇宙飛行士ということはないだろう。しかも、彼が下手に考えるふりをしたものだから、彼女は答えを期待しているようだった。彼は何とか期待に応えようとしたが、あいにく宇宙に関する彼の知識は文字通り無に近かった。
「わかりません」と彼は素直に白状した。すみません、と謝ろうとしたが、謝る筋合いはないだろうとなぜかしら意地になった。
彼女はちょっと残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻り、「ちょっと調べてみます」と言った。「わかったら教えますね」
「え? 調べるって……」
上空一万メートルのこの密室でどうやって調べるつもりなのか聞いてみたかったが、彼女はすでに流れ星のように消えていた。あの甘い香りも今はもうしない。
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