SAFE JOURNEY HOME

Nico

Safe

1 ラブレターとあからさまな敵意

 真紀はそれをラブレターだと思った。


 朝、下駄箱にその手紙を見つけて以来、ずっと顔はにやけっぱなしだ。そのせいか、午前中はどの教師も真紀のことを一度も指さなかった。昼時には友人が弁当のおかずを勝手につまんだ。真紀はにやけた顔のまま、「お茶も飲む?」と自分のペットボトルを差し出した。


 しかし、昼休みもあと数分という時に、そんな気分を台無しにするちょっとした事件があった。友人たちが「F組の萩原君が芸能事務所にスカウトされたらしい」という噂話で盛り上がっているのをよそに、自分の席で鼻歌交じりに例の手紙を読み返していると、教室が突然水を打ったように静まり返った。もっとも、すでに教室にいながらにしてそことは別の世界に没入していた真紀は、それにすら気がつかなかった。


 それでも、さすがに三人の女子生徒が真紀の机の空いている三辺を、まるで調子の上がらないピッチャーのもとに集まる内野手みたいに囲んだ時には、嫌でもただならぬ気配を感じずにはいられなかった。視線を上げた真紀の顔から表情が消えた。三人が見つめていたのは、調子の上がらないピッチャーのグローブではなく、真紀の顔だった。


「な、何?」

 真紀は動揺した。ジェスチャーゲームでお題が『動揺』だった時は、そうやって表現すればいいんですね、と思わず感心してしまうくらい見事な動揺ぶりだった。特に意味があるとは思えないが、真紀は慌てて手にしていた手紙を机の中に押しやる。左端に立っていた三人の中で一番背が低くて一番髪の明るい女子生徒がちらりとそれを見やったが、特に何も言わなかった。


「放課後、屋上においで」

 真ん中にいたショートカットで長身の女子が、黒板に書いてある字を読みあげるみたいに言った。

「え?」

「話がある」

「話?」

「イエス」

 やけに発音よくそう言ったのは、どう見ても日本的な顔をした黒髪の女だ。

「今日の放課後、屋上だ」と茶髪。

「一人で来いよ」とショートカット。

「コンポネブ?」と黒髪。


 真紀はそれが「わかったか」という意味のフランス語だということはわかったが、あいにく発音がよいかまではわからなかった。三人は自分たちの言いたいことを(あるいは言うようにと言われていることを)言い終えると、くるりと踵を返して去っていった。


 彼女たちが出ていった後も、しばらく教室の時間は止まったままだった。やがて昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、それが魔法を解く呪文だったみたいに教室に音が戻り始めた。友人たちは恐る恐る真紀に事情聴取をしようとしたが、ちょうどその時に日本史の教師が入ってきたため、この件はそこで一旦棚上げとなった。


 戦国時代以降がいかに群雄割拠の世であったかを熱く語る教師をよそに、真紀は戦国よりも遥か遠い世界にいた。


 これは本当に恋文か? まず引っかかるのはその文面だ。

『放課後、屋上で待つ。必ず一人で来い』

 その次に、それが赤ペンで書かれていることだ。

 最後に、これがある意味では決定的なのだが、差出人の名前がなかった。これじゃあまるで脅迫文じゃないか。

 脅迫?

 真紀は自分の愚かさを呪った。なぜ、これほど明らかな敵意を溢れんばかりの好意と受け取ったのか。その後でもう一度現実を見つめ直し、思わず「マジかよ」と声を上げた。


 教室ではちょうど明智光秀の謀反で織田信長が死んだところだったので、教師は「そうなんだよ! マジなんだよ!」と一層声を高くした。

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