第11話 赤帽子
「アデル・ゴールドバーグよ!」
差し出された手をラウラは怪訝な顔で握り返した。
「あー、あなたも調査員?」
アデルは指を振って否定し、前をとめていないジャケットを少しだけめくる。ガンベルトとホルスター。抜き放ってトリガーを引くまで一秒、といったところ。「監視兼護衛といったところね。さっ、気にしないで進めて頂戴」
そう言ってアデルは壁際を陣取って腕を組んだ。部屋全体を見渡せる位置。ラウラは気を取り直すように帽子を被り直す。「詳しい状況が聞きたいんだけど?」
ヒューズが説明する。「あの箱をよくよく調べてみると、それ自体が中の状況をモニタリングしている事がわかった。どうやら維持、保存を行う装置のようだ。示された数値が全て正しいとした場合だが、いまだあの機械は動いていて、中のものは正常に保管されている状態らしい」
「中のあれ、生きてると思うか?」
まったくそうは思っていない声でマリオが尋ねた。
「普通に考えればあり得ないな。計器も、中の彼女が生命活動をしているかどうかについては一切モニタしていなかった」
やはりただのごつい棺桶である可能性が高いということか。ラウラが無駄話を遮るように何度もキーを叩いた。
「開けてみれば分かるってことでしょ? 私が呼ばれたってことは、ソフトの方向からいくの?」
「ああ。外部にスイッチはあるんだが、そいつを押したところで条件を満たしていないというエラーが出るだけで、その条件とやらがいったい何なのかについてはヒントすらない」
「もうソースコードまで戻した?」
ラウラの視線を受けてマリオが頷く。
「一応な。そのPCの中に入ってる。ソースディレクトリの、昨日の日付のやつだ。サーバーに上げるなよ、極秘なんだから」
「ああ、リンクが置いてあったわ」
ファイルを開いて暫く眺めるうちにラウラの表情が険しいものになり、思案するように握り拳を口元にやる。
「見たことない言語ね。どうやって戻したの?」
「ツールの中で、上手く動いたやつが一つだけあった」
「へえ? あんたが作ったの?」
「いいや。拾いもんだ」
数百を超える手持ちの解析ツールで唯一まともに動いたもの、それはハッキングの師とでも言うべき人物の遺品だった。
レッドキャップ。あの老人がそう呼ばれ始めたのはいつからだったろうか。少なくとも初めて会った頃にはそのような呼び名など無く、ただの薄汚れた格好をした皺だらけの爺さんでしかなかった。
その頃のマリオは単なる浮浪児だった。アルコールとドラッグを買う金のために養育費を出し惜しんだ両親に暴力でもって家を追い出され、路上での生活を余儀なくされていた頃。監視の目を盗んでまだ生きている公共施設から剥ぎ取ったジャンク品を二束三文で売り払い、人通りの多い路上で哀れっぽい声を出して物乞いをし、ただ同然の手数料で取り締まり対象の物品の運び屋をやり────収入を得ることは容易ではなかった。
ましてや蓄えるなど夢のまた夢。明日どころか今日を生き抜けるかどうかすら分からない生活は心身を蝕んだ。仕事がないときは心を殺して膝を抱えてうずくまるか、寝込みを襲われそうにない場所で寝るかのどちらか。動けば余計に腹が減った。
そんな折、付近一帯のストリートチルドレンを束ねる、マリオのただでさえ少ない収入の上前をはねる少年たちが、誰かに暴行を加えている場面に出くわした。それ自体は大して珍しいものではなかったが、暴力を振るわれている相手が見たことのない顔であったため、空腹を紛らわせる意味も込めて、いつものようにうずくまったままそれを観察していた。
皺だらけの顔を白いひげで覆い、赤い帽子を被った老人。製造されてからずっと洗われていないのかと思えるほど汚れてごわごわのシャツと、擦り切れて穴だらけになったジーパン。
理由は分からなかったが、少年たちは老人をいたぶり続けた。そんなものなど無かったのかもしれないし、あったとしても縄張りに足を踏み入れただとかいうありきたりなものだったに違いなかった。
しばらくしてどうにも様子がおかしいことに気付く。老人は悲鳴を上げてはいなかった。頭をかばい、石ころのように丸まってじっと耐えていた。初めは蹴られすぎて死んだのかと思っていた。
やがて少年たちは飽きて解散する。戦利品とばかりに赤い帽子を拾っていく。
老人はよろよろと起き上がり、赤い唾を吐き、土埃を払って懐から手に収まる程度の端末を取り出した。それを奪われないために耐えていたのだ。痛む体の様子を確かめるように首や腕を回しながら端末を操作する。そして迷いのない足取りで歩き始めた。
マリオは我知らず立ち上がって後をつけていた。
辿り着いたのはストリートにほど近い場所に位置する安普請のモーテル。少年たちの拠点。老人は迷うことなくその中から当たりの一室まで直行する。申し訳程度のセキュリティを数秒で解除するなり、堂々とドアを開けて無人の室内へと押し入った。
掃除などされていない汚らしい部屋。インスタント食品の空容器と酒のパックと使い古された吸引機が散乱している中で老人は部屋を荒らして少年たちのPCを探し出し、自分の端末と接続させた。
彼らの口座の金をそっくりそのまま自分のものに移し替え、連絡先のリストをコピーし、ウイルスを仕込み、部屋から出る。時間にして三分も経っていない。いっそ芸術的なまでの空き巣。そのまま真っすぐモーテル裏のゴミ捨て場まで向かい、そこに捨てられていた赤い帽子を被りなおす。まるで初めからそこにあったことが分かっていたかのような振る舞いだった。
このときのマリオには老人が何をやったかなどまるで理解できなかったし、知る由もなかった。しかし、数日たって少年たちが姿を消し、ドラッグの売り上げの上納が滞ったことで消されたとの噂が立ったとき、その原因がなんであるかについて、確信に近いものを抱いた。
あの日、最後まで老人の足取りを追ったマリオはそのねぐらを突き止めていた。
交通管理施設の一室。低下の一途をたどる都市の発電量により電気の供給がカットされ、信号や電光標識が機能しなくなったために不要になったはずの建物。なぜか老人が住み着いてすぐに息を吹き返していた。
老人の家に押しかけたマリオは懇願した。あんたが使った魔法を教えてくれ──膝をつき、両手を組んで拝んだ。
老人は取り合わなかった。脱いだ帽子を顔に被って長椅子でひと眠りする。
次の日もマリオは頼み込んだ。両手を床につき、額をこすりつけて泣きそうな声を出し続けた。
老人は意に介さなかった。モニタを見つめて手に入れた情報を吟味し、いつの間にか始めていた商売の客とチャット上で会話していた。
その次の日、マリオは老人を脅迫した。ストリートギャングの少年たちに何をしたか知っている。顧客のリストを掻っ攫って自分の商売相手にしたことを知っている。彼らをあごで使っていた組織の取引に損を出したことを知っている。
老人は初めて口をきいた。
「証拠など無い。ログは残っていないし、カメラに姿も映っていない」
好機。はったりをかます。「奴らにそんなことは関係がない。疑わしければきまぐれに尋問する。何日も閉じ込められる。そのよぼよぼの体で耐えられるか?」
老人は舌打ちをしてあの時に使っていた端末と記憶媒体を引っ掴むと、マリオ目掛けて投げつけた。
「使い方はそいつに載ってる。もう二度と来るなよ。くだらない質問なんぞをしにきやがったらこいつを食らわせてやる」
老人がシャツの裏からズボンに引っ掛けていた拳銃を取り出して突きつけてきた。マリオは床に落ちたものを慌てて拾いあげ、胸に掻き抱いてその場から逃げ去った。端末をぶつけられた額から流れ出した血が口まで垂れる。舌でそれを舐め取った。痛みなど感じている暇はなかった。
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