雨の女神様

なみと

第1話 去る日曜日

 潮風香る、港町。ボーッ、ボーッと、低く野太く船からの汽笛が辺りに響く。

「……ふふ、」

 白色のワンピースをはためかせ、堤防の上を笑いながら駆ける少女。

「私は、女神なんだ――――!」

 強い風の音に掻き消される少女の言葉。風が強く吹く中、少女の周りは総ての風が凪いでいる。立ち尽くす少女を、誰も見てはいなかった。



 雨の女神様



「さみー……」

 風が吹き付け、赤く腫れた耳をマフラーに埋めさせようと首をすくめると隣の幼馴染はクスクスと笑った。

「そんな寒くないだろ。梨夢りむは本当に寒がりだなあ」

「うっせえ。なぎだって防寒してんじゃないか」

 当たり前じゃん冬なんだから、とおどけたように言う凪に、俺は白い息をつく。男二人でサイクリング、と格好つけて来たものの行き先はいつもと変わらない。

 中央総合病院。海沿いのそこには、俺たちのもう一人の幼馴染みが入院している。

 そいつの名前は、岩見いわみ秋和あわ。とりたてて病弱というわけではないけれど、昔から病気を抱えているらしい。本人があまり聞いてほしくないらしく、俺たちは病名すら知らなかった。

「―――何回目だっけ?」

「え?」

 不意に呟いた凪の顔を振り返って見ると、その顔にはおよそ表情といえるものは何故だか存在していなくて、不穏だ。こういうところ、直すべきだと思う。

「だからさ、秋和が入院するの。何回目だっけ?」

「……もう何十回もしてるだろ。初めて入院したのが小一の頃だろ?」

「なーんだ、梨夢は数えてないのかよ? 今回で丁度、五十回だぜ?」

 へにゃり、と笑いながら言う凪。先程ふと見せた無表情は何だったのだろうか。聞けやしないけど、不満には思う。

「よっ、と……」

 自転車を跳ぶように下り、駐輪場に停車させる。ガシャン、と鍵をかけた時に一際大きな風が吹いた。

「うー、今日は風が強いな」

「天気予報ではそうでもなかったし……三十分くらい前からじゃないか? 風が強くなってきたのって」

「そうだなあ、言われてみればそんな気が」

 軽い会話をしながら歩いていってエレベーターのスイッチを押す凪。

「今回は八階なのか」

「おう、昨日メールで聞いた」

 相変わらず仲良いなあ、なんて口の中でだけ呟く。相思相愛なのは目に見えそうなほど明らかなのに、関係を何故変えないのだろうか。俺のように変わることが怖いのか、それとも。それとも、俺に遠慮をしているのか。

 考えても仕方のないことをうだうだと繰り返し、頭の中で考えると目的地に到着。

なめらかに音もなく開く扉。一歩踏み出すと、そこでは。

「ちょっと、女子トイレ全フロア確認急いで!」

「防犯カメラは!?」

「まだご両親はいらしてないの?」

「受け付けはどうして気付かなかったのよ!?」

 ドタバタ、と言い表すのが妥当だろうか。看護師が慌ただしくせわしなく、走り回っていた。

「え、っと。何かあったのかな……?」

「あったんだろ、きっと」

 何も無かったらこんなにも切羽詰まった様子の看護師さんを見ることは無いだろう。簡単に返して凪に問う。

「何号室?」

「ん、知らね」

「ええ……」

 階だけ聞いたのか。そこは聞けよ、普通。病室くらい。

「まあネームプレートあるし、探せば見つかるだろ?」

「だな」

 看護師さんに聞きたいところだが、生憎急がしそうで気が引ける。地道にやるのが一番確実か。

「さっきは流したけどさ」

「ん? 何だよ何か気になるようなこと言ったか?」

 何気無いように、ただ病室を目指すだけなのもつまらないので話しかけると、例にもよって軽いテンションで返してくる凪。

「さっきメールとか言ってたけど、お前ケータイとか持ってんの?」

「うん、先月から持ってるけど」

「先月……」

 かなり前じゃねえかよ、何で教えてくれないんだよ。かなりのショックを覚えたが、何事もなかったかのように振る舞う。……振る舞えてるよな?

「梨夢はケータイ持ってなかったもんなー」

 けらけらと軽薄そうに(事実、軽薄なのだけれど)笑い、言ってくる凪にカチンとくる。何だよ、俺の事は何でも知ってるみたいに。俺がすぐ報告してるから、知ってるのは当たり前なんだけど。

 でも何だか、気に食わない。俺が凪のこと、知らないのに。凪は俺のことをぜんぶ、知ってるみたいに。

「持ってる」

 だから俺は嘘をついてみた。

「えっ!? マジで? じゃあ病院出たらメアド交換しようぜ」

「………」

 心の中で、嘘だよバカ気付け、と罵る。理不尽なのは、俺の勝手なのは、もちろん分かっている。だけど、だけど、だけどさあ。

 幼馴染みだからって、一番に“親友”だって淀みなくいえるはずの相手にだって分からない、知らない所があって。なあ、そんなこと凪は考えたことはあるか?なんて。凪はそんなこと、考えたことも、ないだろうなあ。

 こんな俺はなんて弱いのだろうか。

「おっ、発見! “岩見 秋和様”!」

 今回も、前回と変わらない一人部屋だ―――それがどんな意味を成すのか、俺は知らない。ネームプレートをわざわざ指差し確認し、病室前で消毒をする。

 さ、入ろうぜと、意味もなく気構えてガラガラと扉を開けた。

「君たち、この部屋に何か用?」

 キッと鋭い目付きの看護師に睨まれた。その様子から、ああ看護師さんたちが慌てふためいている元凶はこの病室なのか?と思う。

 じゃなきゃそんな、来訪者を睨み付けたりなんてしないだろうし。

「……え、っと。俺、岩見さんの見舞いに来たんスけど。どうかしたんですか?」

「お見舞いの方ですか……申し上げにくいのですが、岩見さんは現在……」

 言いよどむ看護師さん。新人であろう若い彼女の表情からは、迷いがありありと分かってしまう。それに、その間が何より雄弁だった。

「どこかに行ってしまった……、んですか?」

「はあ? 梨夢、そんなわけ」

「これだけ看護師さんたちが慌てているんだし、本人のいない病室には待機する人もいる。これじゃあ、帰ってくるのを待っているみたいじゃないか」

「そうなんですか?」

 淡々と、何となく思ったままの言葉を紡ぐ。

「………はい」

 看護師の答えを聞いた凪は、すぐ、くるりと方向を変えた。急速な転換の後、全力で、病院の中だというのに人目も憚らず、走りだす!

 今はもう引退してしまったが、中学三年間ずっと陸上部でレギュラーだった凪は速い。

「おい、待てよ!」

 俺は情けないながら、小走りに追って姿を見失わないようにすることしか、できなかった。


「どこ行くんだよ!」

 しびれを切らして声を荒らげながら聞くと、凪はビクッと肩を震わせた。

「探さ、なきゃ……だろ?」

「どこをだよ」

「知らないけど! でも!」

 手を握りしめ、必死に言う凪の姿は幼い子供が切実に何かを訴えているようで。だけど、おざなりにされそうな、そんな言い方。決して本人に悪気はないはずなのに、むしろ必死なのに、大人に無下に扱われるのが当然な世の中だが、何故だろうかと何となく思った。

「じゃあ梨夢はどうすべきだって、言うんだよ!?」

「ケータイ、持ってんだろ。秋和本人に掛けてみろよ」

「ふざけてんのか?」

 あきれたようで、俺を見る凪の目はとても冷たかった。

「……出てくれると、思うのか?」

 当然。凪が電話するなら出ると思う。むしろ、何で気付かないの?って感じだ。

 凪はいつものようにへら、と、いつもより力なく、笑った。いつでも凪は笑っているよな、と場違いかもしれないと思いながらも考える。俺はどんなときでも笑える自信がないよ。

「俺、掛けてみるよ」

 ケータイを開いて秋和に電話する凪。

「……もしもし?」

 ボソボソ喋り出す凪。どうやら俺を気にしているようだった。やっぱり邪魔者扱いか、なんて自嘲しながらも背を向け、せめて意識を飛ばす。

 明日になれば、また、同じ様な日々の連続の中に戻される。月曜日が大嫌いだ、だからといって火曜日が好きというわけでもないけれど。休みが開けなければいいのに。

「どういうことだよ? ……あっ、おい、秋和!?」

 唐突な怒鳴り声に似た凪の声で、思考が強制的に戻された。電話交渉はうまくいかなかったようだ。

「なあ、梨夢」

 通話を終わらせて俺に語りかけてくる凪。

「秋和は、どうしちゃったんだろう。病気が治るとか、戦うとか、言ってて」

「戦う?」

 物騒な単語に眉をひそめる。それに病気が、治る?何回も入退院を繰り返さなければならなかったほどの、病気のはずなのに。

「秋和すごい、はしゃいでて……秋和じゃないみたいだった」

 自分で言いながら、意味をそしゃくするかのように間をおく。俺はただ凪の次の言葉を待った。

「それでさ、秋和、言うんだ………『私は女神なんだ』って」

 泣きそうな目をして言う凪は、昔の、俺がよく知る凪と瓜二つで。ああ俺は、こいつと離れて日常を送ることなんてきっとできやしないんだろうと、何故か確信した。

「秋和を探そう、俺も探すから」

 思ってもいない場所が、口をついた。

「―――まず学校に行こう」

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