元法務教官 ゴミ(2)
「アスミにモデルはいますか」と尋ねた際、「この人と呼べるモデルはいません。ただ、中学の女子はアスミタイプとキーちゃんタイプに二極化していました」と答えました。続けて、「だからその世界を小説の舞台に合わせて書いてみました」と言いました。
それを聞いて私は、元少女Aは世界を単純化して見る癖があると見なしました。つまり彼女は、世で言われているところの“タブロイド思考(思考停止)”のソフトを無自覚に立ち上げながら、学校生活を送っていたというわけです。
いや、学校だけではなく、おそらく家庭でもそうだったのでしょう。ボランティア活動で週に二回通っていた、子ども食堂でも。明るい性格の仮面を、常に身につけたままに生活していたわけですから。
元少女Aは、スキゾイドや分裂気質といった観察力や分析力に優れた気質であることが、心理療法や行動観察でわかっておりました。本来のハードがそれであるにも関わらず、思考を停止させて単純化して物事を見ていたということは、彼女にとって学校ないし家庭、つまりは見えている社会全体の複雑度が強すぎて、認知閾に達していたと言えるわけです。
元々持っている素質の感受性の強さ、両親との関係性、また両親ともに教師であったことなどの影響により、こういった思考形態で生きることを選択したのでしょう。
思考停止は、言い換えれば虚々実々が入り混じって見えている状態と言えます。わかりやすい例をあげるとしたら「納豆を食べると痩せる」「結婚したら幸せになる」などでしょうか。これが世間一般でよく言う思考停止の人々の考えです。
私たちもこういった思考停止の状態に陥ることはよくあります。いや、陥ることは人が生活していく上で、言ってみれば当たり前のことでもあります。このご時世、常に思考を張り巡らせ、すべての物事を複雑に観察するには時間が足りなさすぎるのです。
つまるところ、十代の多感であるべき時期において「学校の女子には二パターンしかいない」といった、「人間をタブロイド思考で単純化」してしまうに至った経緯に問題があると私は考えました。元少女Aの場合、その思考停止のソフトを活用し、「教師とは◯◯だ」「学校とは△△だ」「社会とは□□だ」といったレッテルを貼って、世の中のあらゆるものを見るようになりました。それがいい方向(いわゆるお花畑という状態)であれば、特段問題なかったのかもしれませんが、彼女の場合、負数の方向に大きく偏ったレッテルを社会に対して貼りつけていきました。
私はアスミの回を読み終えたあと、彼女の作品の最後の部分についてこう尋ねました。
「“戦略なんか練れないようなキーちゃんは、幸せだって言っていた”と書いていますが、これはどういう意味ですか」
すると彼女は、
「そっくりそのままの意味です。これは学校の女子のことを書きました。学校では頭が悪いほうが幸せなんです。頭のいい人、真面目な人はただ黙って我慢をさせられます。学校は劣等生に合わせて動いています。それは大人になってからもきっと変わらないと思います」
と答えました。
私は続けて、
「あなたはアスミ派でしたか、キーちゃん派でしたか」
と質問しました。彼女は、
「そのどちらでもありません」
と答えました。
「世の中にはバカばかりだと思いますか」
そう質問すると彼女は、
「そうは思いません。しかし、反知性主義なところはあると思います」
と答えました。
「学校は反知性主義なのですか」
「学校だけではなく、世の中すべてが私にはそう見えます」
*
元少女Aは幼い頃、岩手県の祖母の家に預けられて生活していました。その時期は両親ともに多忙だったため、祖母が善意で元少女Aの世話を請け負ったと言います。
元少女Aの父親は中学の教師、母親は小学校の教師でした(祖母も元教師でした)。父親の場合は授業終了後に野球部の指導、母親の場合は勤務終了に問題児(登校拒否児童、万引きや深夜徘徊等の素行不良者)の対応に日々終われていました。帰宅はいつも夜の十一時頃で、幼い元少女Aの面倒などとてもみられる状況ではありませんでした。
元少女Aが小学校に上がる頃から、父母と子、家族三人で暮らすようになりました。しかし、成績は優秀でなければいけない、明るく真面目でいわゆる「扱いやすい子」でなければならないというプレッシャーを常々感じながら生活していたことようです。そうあることが当たり前でしたが、そうであったとしても褒められるといった経験はなかったそうです。
そういった幼少期の過ごし方、両親との関係性、どこにも居場所がない孤独感が事件を起こすエネルギーとなったのでしょう。
私は元少女Aに、「次は自分の真逆のキャラクターを書いてみるのはどうか」と提案しました。他者を書き切る、自己を投影するというのはもう出来ましたので、今度はそれを書くことによって、自分の理想の姿を表現させるのが目的だったのです。
彼女は「やってみます」と言って、またキーボードを叩き始めました。
しばらくして完成したのが“ポニー”の回でした。このポニーという人物は薬物と援助交際、虞犯による女子収容者をモデルに書いたとのことでした。クニオは岩手に住んでいた頃に近所に住んでいた、お節介のおじさんを思い出しながら書いたとのことでした。
元少女Aの真逆であるキャラクターは、ポニーでもクニオでもなく、五歳の男児チュウノシンでした。
ひどいいじめっ子で癇癪持ちのチュウノシンは、母親のポニーが育てられないという理由で祖母の家に預けられます。これは元少女Aが経験したこととまったく同じことでした。
チュウノシンは感情を剥き出しにしてポニーの元へと戻ります。頭を床に何度も打ちつけ血を流しながら、母親のことを大声で呼び続けます。
チュウノシンは、幼少期に表出できずに閉じ込めていた、元少女Aの本当の感情であろうと思われます。つまり、あの頃にもっと本当の感情で母親ないしは父親に向き合っておけばよかった、という後悔がこの回からは見てとれます。
収容から十ヶ月は心理療法と小説による創作療法を主に行っていましたが、それ以降は運動療法も加えて矯正生活を送るようになりました。そのため、ポニーの回を書き終えるまでに四年近くの年月が経過しておりました。
元少女Aは、収容から出所するまでの五年間、常に模範的で問題行動なく生活しておりました。私がこれまで面倒みた中で、一番の模範生だったといっていいでしょう。一切の素行の悪さもみられませんでした。本当にこの子が計画的かつ猟奇的に、カッターナイフと包丁を持ってして担任を殺害し、切り刻んで袋にまとめて川に流したというのだろうか──。だんだんに信じられなくなっていきました。
しばらくして、私は慎重に聞きました。
「なぜ、恨みもなかった担任の教師を殺害したのですか」
これまで度々聞いてきたことではありましたが、その都度これといった動機を聞き出すことはできませんでした。
彼女はこう答えました。
「そうすることが、善だと思ったからです」
「善というと?」
「破壊です。仕組みを破壊しなければ、と思ったのです」
「そうですか。教師を刺すとき、あなたにはそれが物体に見えましたか」
「いいえ。太陽に見えました」
「というと?」
「理由はわかりません。ただ、太陽に見えました」
「申し訳ないという気持ちはありますか」
「はい」
私はそれを聞いて「そうですか」と答えました。
最後に書いた“アキ”というキャラクターは、私からは何も提案せず、元少女Aが好きに書いたものです。これは出所の時期が決まってから書き始めたもので、約二週間で完成させました。
聞くとこれは、元少女Aが社会に出て働いている姿を想像して書いたものだということでした。喫煙所で出会った老人は、アスミの回でも登場した人物ですが、この人は、これまで元少女Aの目に見えていた“世界”を擬人化したものだと説明してくれました。
この回については、これ以上私が説明するのは野暮な気がしますので割愛します。元少女Aの出所前の精神状態が表現されているとは思いますが、これについて解説すると、法務教官としての意見というより、私個人の感想が入ってしまうように思うのです。これは読者の方が読み解いてください。私にはそれしか言えません。
*
出所日の午前、元少女Aとはこんな会話をしました。
「これまで本当にお世話になりました。外に出るのは、少しこわいです」
「それはなぜですか」
「ワタシは常に、あの事件の犯人だと指さされる恐怖に怯え、震えながら生きていかなくてはいけない」
声は微かに震えていました。私は、
「そうかもしれません。あなたの罪は、少年院を出たからといって赦されるわけではないのです。一生をかけて罪を償ってください。しかし、堂々と生きてください。つまらない生き方をしないでください。自分にどんな才能があり、それがどこで認められるかを死にもの狂いで探してください。あなたは器用ではないかもしれませんが、すごく真っ直ぐな人です。それは大きな武器になります」
と言いました。彼女は少し考えたようにしてから、
「償いとはなんですか」
と聞きました。私は、
「悔い改めることです。反省し、二度と同じ罪を犯さないことです。そのためには生きていかなくてはいけません。生きるためには承認が必要です。あなたは必ず、絶対に、自分を認めてくれる人を見つけてください。私以外の他の誰かを、必ず──」
「はい、ありがとうございました」
午後、彼女は叔父に迎えられて少年院をあとにしました。
*
最後に、事故で亡くなった元少女Aのご冥福をお祈りいたします。彼女は更正し、真面目に生きていくとばかり思っていましたし、出所してからも度々思い出しては「元気にしているだろうか」と気にかけておりました。彼女の死は、本当に無念で仕方がありません。彼女は、精神的な支え、居場所さえ見つけることができれば、必ず一般社会に戻って普通に生活できると思っておりました。しかし、警察の調べによると、それを見つけることができないままに、出所から一年も経たないうちに亡くなってしまいました。
今回、元少女Aの小説を出版しようと決めたのは、他ならぬ私個人のエゴでございます。彼女の小説は粗が多くあり、読みにくい部分もありますが、殺人を犯すまでに至った精神状態から更正にいたるまでを描いたものとなっております。すなわちこれは、元少女Aの命であり魂であると私は思うのです。
自分が担当した少年犯罪者の小説を出版するなんて、そういった批判もあるでしょう。しかし彼女の小説を読んでいると、本当に自分の職務は善であり、彼女の犯行は悪なのか、わからなくなっていくような時期がありました。確かに殺人は悪です。しかし、彼女が悪いというよりも、環境が悪かったとしか思えなくなったのです。そしてこの元少女Aの育った環境、通っていた学校の形態は、いたるところにあるわけです。
文部科学省は『日本の若者・子どもたちが、諸外国と比べて「自尊感情」が低く、将来への夢を描けないという指摘もある』と発表しています。
こういった子どもたちの問題は、大人たちの問題でもあるわけです。大人が寛容になって子どもたちの声を聞き、子どもが抱く、不満、葛藤、嘆き、怒り、諦め、そういった感情をしっかり受け止め、「それでいいんだ」「そういった感情を持つのが人間なんだ」「どうにもならないこともあるけれど、それでも人と関わっていこうよ」、そういった声がけをしていくことを怠っているのが、最大の問題ではないでしょうか。
元少女Aのこの小説は、十四歳が見ていた世界をそっくりそのまま描いています。自分達が大人になった姿はこうだろう、いや、今の大人達だってこうだろう、そんなことをまっすぐ書いているものなのです。だからこそ、大人達に読んでほしい、社会を少しずつでも変えていきたい、そう強く思ったため、出版の運びに至りました。
私は彼女を送り出してから、法務教官の職を辞しました。
これから先、私に何ができるでしょうか。
そしてまた、読者の皆さんは何ができるでしょうか。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
(二〇XX年 九月 五味聡)
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