ワタシ(中)

 ねえ、先生──。私の体育、ドクターストップかけてくださいよ。だって、体操したり走ったりすると、手のひらの傷が未だにジンジン痛くなるんだもの。

 タイピングは平気。ちょっと痛いけれど、痛みよりも進めたいって気持ちが強くて、ずっとこれだけやっていたいって感じがするの。こういうの向いているのかな、もしかして──。だから、先生。体育は出なくてもいいってことにしてほしい。だって、ずっとこれだけしていたいから。お願い。いけない? 私はこう見えて、身体が丈夫じゃないんだよ。だからあんまり動けないの。

 小説? ああ、一応完成したよ。どこがどうなって完成って言えるのかわからないけれど、一応書き終えることができました。ていうか、無理やり終わらせちゃった。

 スイコウ? それもだんだん面倒くさくなっちゃって、もう完成ってことでいいやって。でも、終わりがないっていいと思った。自分で言ってて意味わかんないけど、終わらないって、よくない? 

 小説書くってことが、こんなに大変だなんて思わなかった。でも、楽しかったよ。他の人達みたいに手芸とか木工とか、私には絶対無理だと思う。あんなものをつくったって、きっと私は正常になんかなれないし──、正常になりたいとも思っていないし、だいたい、治療になんてならないよね。まあ、それ以前に手が痛くて出来ないんだけど──。


 先生はフィクションを書くよう勧めてくれたけれど、フィクションなのかノンフィクションなのか、イマイチわからないものになっちゃった。でもまあ、多分フィクションになっていると思う。だって、本当のことなんて書いていないから──。それってフィクションでしょう?

 それでね、先生──。私、ファンタジーとかSFとか、そういうのを最初書こうと思っていたのに、どうしたって全然書くことができなくて、結局、見えてる世界のことしか書けなくて──、女子棟の人たちとか、自分とか、なんか全部ごちゃ混ぜにして物語を作っちゃった。だから全然ファンシーじゃないの。ファンシーなものを書きたかったはずなのに。

 理想の物語は頭の中にあるのに、それを書こうとすると難しいんだ。だから、見えてる世界のことしか書けなかった。現実だと思っていることを想像とか色々混ぜて、くちゃくちゃに捏ねて、嘘の世界をつくったって感じ、かな──。

 内容? ──自分で書いていてアレだけど、なんて言ったらいいかよくわからない。わからないものが出来上がっちゃった。

 とりあえずじゃあ、そうだ──。登場人物のことだけ話すよ。

 ねえ先生──。先生にしか、話さないよ。先生以外の人に、絶対絶対読まれたくないし、知られたくない。

 だからお願い。先生には読んでほしいけれど、先生だけに読んでほしいんだけど、でも、読んだあとには絶対燃やして捨ててほしい。もしうちの両親だとか、学校の教師に見せるとか、もちろん医療少年院収監者ここのひとたちの手の届くところに置いておくとか、そういうことをしたら本当に、私はもう、更生どころか舌を噛み切って死ぬからね。本気で言っているよ。だからお願い。絶対、絶対だよ──。


   *

 

 どこから話せばいいかな──。最初から? 最初から話せばいいのかな──。

 あのね、そう──。一人目の登場人物は、ナツコっていうの。

 女子棟のボス、Kをモデルに書いてみたんだ。

 今の私は、こうやって実在の人物をモデルに書くことしかできないみたい。力量不足でまるでダメ。だから竜とか魔法使いが書けないのね。

 それでね、K。あの人──、自分は何でも知っているとか、自分は大人だ、みたいなことを、いつもアピールしているような人なの。だけど正直、十九歳の年長者ってだけで、私には全然お子ちゃまに見えてしまうのね。あくまでも、私の目にはそう見えるってだけなんだけど、とにかく子供っぽくて、見ているこっちが恥ずかしくなるんだ。そういう人って、先生の周りにもいる?

 そう──。Kはいつも余暇の時間、自分の観察力を自慢しているの。思い上がりもいいところだよ。あの人、絶対の自信を持って、ドキュメンタリーに出てくる人の人生を、ああだこうだと予想して、それで言い当てる的なことをしているの。

 例えば──、どうせこの高校生は公務員になって将来安泰とか、どうせ、どうせ、どうせって。当たっているのか外れているのかはわからない。だけど、さも当たっている風な口調でしゃべるから、それを隣で聞いていたSは、おだてるようにして「すごい、すごい」って言っている。いつもそう。

 は? 何が? どこが? そう思っても、最年少の私は何も言っちゃいけない雰囲気だし、別に言わなくても問題ない。ただ心の中で、こいつらバカだと思っているだけ。

 それで──、その流れで、女子棟のみんなの人生もああでしょう、こうでしょうって言い始めるのね。まるで占い師みたいにしちゃってね。私のことも何か言っていたけれど──、あまりに外れているものだから、何を言っていたのかは覚えていない。

 なんていうか──、自分を見失っているような人しか医療少年院こんなところに来ないでしょう? 自分を見失っている人が他人を占うなんて、できるわけがないよね。少なくとも私はそう感じている。そう感じながら、Kを勝手にモデルにして、勝手な想像で、彼女の娑婆での姿を書いてみた。おかしいの。私も占いしてるみたい。つまり、私とKは同類ね。私もバカってことなんだ。書きながら、そんなことに気づいたよ──。

 それでね、Kは中学を出てすぐ、介護の仕事を一生懸命していたって言っていたの。だからそのまま、ナツコは介護の仕事をしているキャラクターにした。年齢は二十九歳ってことにした。なぜってそれは──、私は先生のことを完全に信用しているわけではないから。

 わかってる。先生が信用ならない人だって言っているわけではないの。これは私自身の問題。そうでしょう?

 さっきも言ったけれど、女子棟の人と自分自身をごちゃ混ぜにして書いているから、なんだかおかしな世界が出来上がっちゃったの。だから設定を大人にしないといけない気がしたの。大人にしないと、大人はわかってくれない気がして。大人っていうか、先生にわかってもらえない気がして──。

 そうだね。きっと私は──、先生を信用していないかもしれないけれど、信用したいって思えるようになってきたんだ。

 そう、そう。

 モデルはたしかにKだけど、Kの中に私もいるの。だからね、私はKが嫌いだけれど、ナツコのことはわかってほしいって思いながら書いた。ナツコを子供のままに書いたら、臭いものには蓋をするみたいな大人の嫌なところで、私を消されちゃう気がしたの。あれ? 自分で言っていてよくわからなくなっちゃった。

 もしかして、私は喋ることより書くことのほうが向いているのかもしれないね。先生を目の前にしていると、言いたいことが何なのかわからなくなってきちゃうの。そういうのを見抜いて、私に小説書くことを勧めてくれたの? そうだとしたら、先生のこと少し信用していいかもって思えるけれど──。


   *


 薬物アンド恋愛中毒のKの次は、放火のRをモデルにレイを書いた。この話の中には、私が幼稚園に通っていた頃の実体験を混ぜ込んだ。

 ねえ──。みんなは気づいているのか知らないけれど、あの人、自宅に火をつけて此処に来た人でしょう? ニュースで観てからずっと強烈に記憶に残っているし、ネットで顔写真がバラ撒かれていたのも私は見た。だから絶対Rはあの放火事件の犯人だって確信がある。──もちろん、そんなことは誰にも言わないけれど。

 Rはまだ、出られそうにないよね──。あのニュースを観たとき、私はまだ四年生だったのに。あれを観たのは、一学期の終業式に行く前、朝食を食べながらだった。

 Rの家はお姉ちゃんが知的障害者で、そのお姉ちゃんの世話をRが学校に通わずやっていたんだよね。お姉ちゃんもなぜか学校に通っていなかった。ネットでみた話だとそうだった。しかもR、親には育児放棄と虐待されていたって──。

 それでも私が彼女を羨ましいと思ったのは、『本当の被害者は火をつけた少女のほうだ』っていう嘆願書をRの友達が書いて、それから何千人もの署名を集めて、検察に提出したっていう美談を知ったからだった。

 私はそれが、心底羨ましくてたまらなかった。

 私の家族は、側から見れば機能不全じゃ全然ないし、もし私が家に火をつけたとしても、それで同情を買うことはきっとできない。じゃあ私は同情されたかったのかしら。違う──。同情なんか死んでも御免だ。

 でも、とにかく彼女が羨ましかった。どうしてかは説明できない。自分でもわからない。ただとにかく、強烈に彼女に嫉妬した。その嫉妬は、事件から五年近く経った今でも消えていないの──。

 ねえ先生──。世間は私のことをどんな風に言って叩いていた? それともどんな感じで玩具にしていた? 幸せな家庭で育ったはずの女子中学生が、学級委員長で次期生徒会長立候補にも意欲的だった彼女が、いったいなぜ担任の人気教師を刺したのか。心の闇に迫ってみる! みたいな?

 ネットでは誰か私に同情している? それとも、事件を起こしてたった四ヶ月しか経っていないのに忘れられてる?

 まるで私なんか存在していなかったみたいに、社会は平然として動いている?

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