第88話 抗う事
緊急車両が、病院へと辿り着く。
ギイとガアを、全身を覆いかぶせる程の布で隠し、専用に造られた病室へと運んでいく。
クミルは、ギイ達を乗せたストレッチャーの後ろについて、小走りに進む。
貞江は、病院の入り口で待ち構えていた敏久に案内されて、検査室へと向かった。
検査室に入ると、白衣を着た中年の日本人、同じく白衣を着た中年の白人、そしてやや年老いた日本人、三名の男性が待っていた。
彼らは、声を荒げながら看護師達に指示を出しつつ、治療方針の確認を行っていた。
「カール、一刻の猶予も無い! 薬物アレルギーのテストは、どうなっている?」
「まだ、ケッカは出てない!」
「なら、急な熱の上昇、この原因を探るぞ!」
「待て、ショウジ! カンジャの体力がシンパイだ。検査に耐え切れナイ」
「点滴でカバーするしかない。桑山先生は、点滴ならば体に影響がないと話している」
「デハ、サッソク精密検査に取り掛かるか?」
「四十五度の高熱が出れば、体に異常をきたしているはず。どちらにしても、熱を下げなければ始まらない」
「ミスターイガワ。セイブツ学上、急激な高熱は、有りエルカ?」
「いや、なんとも言えない。そもそも、地球上の生物じゃないんだ! 桑山先生が集めたデータを再検討する。精密検査でわかった事は、どんな小さな事でも、報告してくれ」
「とにかく話しは、これまでだ。とにかく、やれることは全てやる。みんな桑山先生の報告には、目を通しただろ? 例え人間じゃ無くても、患者は患者だ。命を救うのが、俺達医師の指名だ」
「アァ。その為に、ここに来た。ゼッタイにスクウ!」
敏久が呼び寄せたのは、名医と名高い内科医、海藤昇二。そして世界でも、その名を知られたドイツ出身の外科医、カール・ライツ。そして日本国内で、生物学の権威とよばれた教授、井川歳三。
この三名である。
皆、敏久とは旧知の仲でもある。
敏久は彼らの為に、多額の報酬を用意した。そして、ギイとガアの治療を頼み込んだ。
しかし彼らは、その報酬を突き返す。
「馬鹿にするなよ、宮川。俺達の関係は、金で動く様なもんだったか? 違うだろ。お前の家族が一大事だから、わざわざ時間を作るんだ。こんな大金を積む位なら、俺が言う設備を全部整えろ!」
「そうだよ、トシヒサ! シツレイな言い方ダケドネ。君の頼みなら、タトエ化け物でも、治してミセルヨ」
「未知の生物に、興味が無いとは言えない。だけど、今の私にしか出来ない事はあるだろ? 結果を出していないのに、報酬は貰えない」
無論、貞江の事は信頼している。しかし、貞江だけでは、持て余すだろう。
何せ、ギイとガアに関しては、解明出来ていない点が多い。また、貞江の診療所では、限りが有る。
如何に貞江が名医でも、独りで出来る事には、限界が有る。高齢の貞江に、過度の負担をかける訳にもいかない。
それ故に、敏久は三名の専門家を呼んだ。
彼らに依頼をしたのは、さくらが亡くなってから。
それから、さくらの残したデータと、貞江の検診データを元に、様々な検査を進めた。
しかし、流石の専門家ですら、挫折に追い込む事になる。
彼らの前に立ちはだかったのは、ギイとガアが人間では無い事だ。
検体を送り、検査を行った所で、それは人間用の検査だ。ギイとガアの生体情報を、正確に示すとは限らない。
全てを疑ってかからないと、大きな間違いを犯す可能性がある。
問題は、それだけでは無い。
彼らは、他に患者を抱えている。他にも業務が沢山ある。ギイ達だけの為に、時間を割く事は難しい。
それでも時間がある限り、ギイ達の生体を知る為に、情報を共有しながら力を尽くした。
未知の生物を理解するのには、時間を要する。遅遅として、結果に結びつかない状況が続く。
後、半年。せめて一か月、時間が有れば、何かわかったかもしれない。
幾ら時間を求めても、詮無い事だ。そんな事は、言われるまでも無い。
だが、早すぎた。
敏久でさえ、この事態を予想出来なかっただろう。
知らせを聞いた時、海藤は机の上に有る書類を、荒々しく薙ぎ払った。カールは、運命を呪い信仰を捨てた。井川は、血が出る程に強く机を叩いた。
だが、諦める事は出来ない。一番悔しいのは、自分達ではない。
ギイ達の傍にいるのは、あの桑山貞江だ。彼女が居てくれるなら大丈夫、必ず救える。
そして、敏久が用意した最大の切り札は、病院に集結した。
☆ ☆ ☆
医師二人の指示で、検査の段取りが進められる。貞江が検査室に到着すると、クミルと一緒に呼ばれる。
「桑山先生。カルテだけでは、わかり辛い箇所があります。もう少し詳しい状況を、お教え下さい」
「わかりました、海藤先生」
「それと、クミルさん。あなたは、あそこにいる教授に、知り得る限りの情報を提供して欲しい」
「じょうほう?」
「何でもいいんだ。種族独特の生活環境や食べ物、こちらに来てからの生活環境や、それに基づく変化。どんな小さなことでも、漏らさずに話してくれないか?」
「はい」
そうして慌ただしく時間が過ぎ、あっという間に日付を超える。付き添いで来た孝則には、仮眠室が用意され、既に眠りについている。
また敏和は、落ち着かない様子で、病院の待合室をウロウロと徘徊していた。
再生プロジェクトの中心人物である敏和は、ノートPCを持参していた。しかし、ノートPCどころか、スマートフォンすら手にする様子はない。
仕事は手に付かないのだろう。
当たり前だ。意識を取り戻したとはいえ、ギイとガアは搬送時に生死を彷徨ったのだ。
わかっている、ギイとガアを快方に向かわせることが出来るのは、医師だけだ。
待合室に居ても何も出来ない。
クミルの様に、ギイとガアの情報を提示出来る訳でもない。ただの、役立たずだ。
出来るのは、祈るくらいだ。それならば、待合室ではあるまい。
漠然とした不安は、既に恐怖へ変わっている。
そして敏和は、病院の外へと飛び出し、夜の街を走り回った。
神社を見つけると、懐から財布を取り出す。そして、財布の中に有った札から小銭まで、手持ちの現金を全て、賽銭箱へぶちまけた。
「頼みます。あいつらが無事なら、何でもする。助けてやって下さい」
スマートフォンに映し出された光景が、頭に焼き付いて離れない。
さくらを求めてうわ言を繰り返す姿が、ギイとガアが呻き苦しむ姿が、敏和を恐怖で縛る。
やがて、苦しむ事さえ無くなり、バイタルサインが死の兆候を示し始める。
もう、そんな光景は見たく無い。
「あいつらを、幸せにしてやるって言ったんだ! その矢先にこんな事になるなんて、理不尽すぎる!」
次第に敏和の声は、大きくなっていく。
そして敏和は、両の膝を突くと、地べたに頭を擦りつけた。
「なんで、あんな良い子が、死ななきゃならない! お願いします、連れて行かないで下さい! あいつらが助かるなら、代わりに俺の命を捧げます。だから、どうか。どうか、あいつらを助けて下さい」
声枯らしてまで叫ぶそれは、願いや祈りよりも、縋るに近いだろう。
それは、敏和だけではない。信川村でも住民達が、叫び続けていた。
もし、神様が居るなら、ギイとガアを救って下さい。
老いさらばえ、残り少ない寿命でよければ、喜んで差し出します。
どうか、お願いします。ギイとガアを、助けて下さい。
これから、楽しい事が待っているんだ。あの子達を連れて行かないで下さい。
連れて行くなら、自分達にして下さい。お願いします。どうか、どうか、お願いします。
それは、受け取って貰えるはずの無い、願いなのだろう。
神様が人を救うなら、ギイとガアが死の淵に、立たされる訳が無い。
それでも、縋らずにはいられなかった。
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