第83話 労働の価値

 孝則と郷善、そして幸三は、時に剥き出しの感情をぶつけ合う。


 歯に衣着せぬ言い回しをするから、気持ちが伝わるのではない。

 他者の思いを汲み取り、受け止める度量が必要なのだ。

 それが無ければ、下らない喧嘩だ。言葉による暴力であり、ただの虐めだ。


 孝則らに対し、みのりと華子は大きく包み込む。

 それも心の現れだ。


 他人を思い、他人の為に行動する。

 苛烈な言葉も、受け止める事も、そこに有るのは心だ。そして心は、必ず形になって現れる。

 表情、声色、態度、どれだけ繕っても、心のない行動は表面に出る。

 

 心という存在が、希薄になった世の中で、信川村は数少ない温かさが有る場所だ。

 そして、そんな場所を作り上げたのは、そこに住む住人達だ。


 昨日、四十九日の法要を終え、住人達の意思統一を図った。

 そして一夜が明け、敏久は満ち足りた気分になっていた。


 それは、久しく忘れていた感覚なのだろう。

 顧客から、感謝の手紙を貰った時、どれだけ嬉しいと思ったか。

 助かった、次も宜しく。そんな取引先の言葉に、どれだけ励まされたか。

 もっと喜んで欲しい。そんな気持ちで、仕事にのめり込んだ。


「この歳になって、改めて学ばせて貰ったな。本当に良い村だ。お袋が愛した理由がわかる」


 敏久は体を起こすと、縁側に面した襖を開ける。

 そして、全面の窓を開け放つと、朝の新鮮な空気を吸い込んだ。

 

 やがて、バタバタと足跡が聞こえる。玄関へ続く廊下側の襖が開き、二つの小さな頭が見え隠れする。


「ちち、おきる」

「ちち、おきてた」

「ギイ、ガア。おはよう」

「ちち、おはやく、ない。ねぼすけ」

「ちち、ごはん、できた」


 恐らく、洋子に言われて来たのだろう。

 起こしに来るはずが、襖を開けると、敏久は既に目を覚ましている。それが、不思議だったのだろう。

 コテンと、首を傾けて話すギイとガアを眺めると、敏久に笑みが溢れる。


「布団を片付けるから、先に行ってくれるかい? 一緒にご飯を食べよう」

「ギイ。わかった」

「ガアもわかった」


 皆が集まり、朝食を取る。賑やかな、時間はあっという間に過ぎ去る。


 敏久は忙しい身だ、法要の時間を捻出するにも、労力を要する、役員達にも負荷をかける。

 朝食を食べ終わると、敏久と洋子は支度に取り掛かる。


「ちち、はは。かえりゅ?」

「ちち、はは。いつあえう?」 

「ごめんね。ギイちゃん、ガアちゃん。また会いに来るからね」 

「ギイ、ガア。ばあちゃのパソコンを、使える様にしたからね。顔をみながら、話が出来るよ」


 ギイとガアは、寂しそうな表情で、裾を掴む。

 その小さな手を、振りほどくのが忍びない。敏久と洋子は、小さな頭を優しく撫でる。

 そしてギイとガアは、少し俯いて裾から手を離す。


 物分りが良いのが、余計に心を締め付ける、離れ難くなる。

 東京に戻る際、母も同じ思いをしたのだろうか。

 

「ギイ、ガア。俺は残るからな。駄目か?」

「ギイ。としかじゅ、すき」

「ガアも、としかじゅ、すき」

 

 敏和は、昨晩の内に車のトランクから、大きめのキャリーバッグを降ろしている。

 

「クミルさん。暫くの間、敏和が厄介になりますが、よろしくお願いします」

「としかずさん、おせわなる、わたし」

「おうよ! 任せとけ!」

「調子に乗るな敏和! だが、村の事は、任せるぞ。他の根回しは、私がやる」

「あぁ、良い報告が出来る様にするよ」 


 実際に、企業が資金をつぎ込むのは、最終的に利益となるからである。

 例えば近年では、企業の社会貢献が話題に上がる事が有る。それとて漠然と企業が、社会貢献に時間と金を費やす事はしない。


 社会貢献活動によるブランドイメージの向上、これは時として広告よりも大きなリターンを得られる事が有る。


 信川村再生計画は、宮川家にとって村への恩返しとなろう。

 ただし、企業としては一定の利益を確保出来なければ、プロジェクト自体が破棄される可能性が高い。


 役員会の承認を得て始動しても、さくらが残したのは、あくまでも草案だ。

 村長の孝則を始め、住人達の意見を吸い上げ、調整する必要がある。また、さくらの調査結果と、現状の差異を確認する必要がある。

 その為に、敏和は信川村へと残った。


 ☆ ☆ ☆


「ちち、はは。またね」

「ちち、はは。またね」

「としひささん、ようこさん。きをつけて」


 ギイ達に見送られ、車は走り去る。


「じゃあ、俺はこのまま、役場に行くからな」

「ギイ。おてつだいは?」

「ガアのおてつだいは?」

「今日は大丈夫だから、普段通りに過ごしてくれ」

「としかずさん。おひる、もどる?」

「いやぁ、ごめん。わからないな」

「わかった。としかずさんの、れいぞうこ、いれておく」

「あぁ。助かるよ、クミル」


 そして敏和は、役場に足を運ぶ。

 それは孝則、佐川、江藤といった、プロジェクトの重要ファクターとなる者と、意見交換をする為である。


「おう、早かったな。まあ座れや」


 敏和が役場を訪れると、孝則が気さくな態度で挨拶をする。

 敏和は一礼をし、勧められるがままに、会議室とは名ばかりの、ソファーへと腰を下ろした。


 それから直ぐに、孝則と佐川が敏和の対面に腰を下ろした。

 佐川は、幾つかの資料らしき物を手にしている。敏和はそれを手渡される。

 そして軽く目を通した後、佐川へと視線を送った。


「佐川さん、これは?」

「さくらさんの指示を受けて、江藤さんが作成した物です」

「こんな物が有ったとは」

「すみません。だいぶ前に、資料を貰っていました。すっかり失念しておりました」


 資料を目にした敏和は、違和感を感じた。

 企画書と言うより、確かに資料だ。中には、企業誘致や住民の増加、それに伴う改修工事等にかかる費用、それらの試算が記載されている。


 それ自体には、違和感はない。問題は、敏和が提示された資料を、目にした記憶がない事だ。


 数字で表す事により、計画内容をわかり易く明示化する。

 これは村長と助役、村の行政を担う者達の、理解度を高める事を目的とした、説明用の資料だ。

 

 だから江藤は、書類を敏久に転送せず、説明した旨だけを報告したのだろう。

 ただ如何せん、年月が経過し、意味を成さない内容も存在する。

 

「ざっと目を通しただけですが」


 そう前置きをした上で、敏和は目に付いた箇所の指摘をする。


「おわかりだと思いますが、一気に住民を増やせる訳ではありません。段階的な誘致が肝要です。後、助成金に関しては、既に終了しているのもあります。他にも、幾つか気になる点があります。それ等を含めて、再検討の必要が有りそうですね」


 孝則と佐川は、敏和のギイ達に対する態度を見て、たかをくくっていたのだろう。

 先制パンチとして、効果は充分だった。この時、敏和に感じていた軽薄なイメージは、孝則らの中で一新された。

 

「なんて言うかよ。悪かったな」

「何がでしょう、桑山村長」

「正直に言うと、お前を少し馬鹿にしてた」

「いえ。まだまだ、未熟者です」

「そんな事はねぇ。謙遜すんな」

 

 流石に照れ臭かったのだろう、敏和は一瞬だけ資料に視線を落すと、孝則に顔を向ける。


「江藤さんがいらっしゃったら、最初にゴール地点のイメージ共有から、始めましょう。続いて、プロジェクトの大まかな流れを共有して、今日はお開きにしましょう」


 江藤が訪れるまで、敏和は現状で村が抱えている問題をヒヤリングした。

 そして、取ったメモを見返し、頭の中で情報を整理する。


 それから十分ほど経過し、江藤が役場を訪れる。

 江藤は、遅刻したのではない。敏和が予定時間より、早く役場に来たのだ。

 それでも江藤は、簡単な謝罪をしてから、席に着いた。


 そして、打ち合わせが始まる。口火を切ったのは、敏和であった。


「基本的には、昨日お渡しした資料のおさらいになります」

「そうか、続けてくれ」

「ありがとうございます、村長。先ず、本プロジェクトのイメージは、自然と文化の融合です」

「あぁ。それは、理解してる。だけどよぉ、具体的にはどうするつもりだ?」

「一つ目は、皆さんの後継者を育成する事です」

 

 休耕地が増えているのが現状だ。確かに後継者の育成は、急務だろう。

 ただ、これに関しては見込みが有る。大学との共同研究だ。


「大学の奴らを、引き入れるのか? 上手く行くか? あそこには、親の仕事を受け継ぐのもいるだろ?」

「それだけではありませんよ。農業関連の学校だけでなく、他の学部の学生にも、アンケートを取りました。興味のある学生も少なくは無いんです」

「そういう奴らをどうやって雇う。面倒なんか、見切れねえぞ」

「その為の会社を、設立します。一定の農地を買い取り、卒業見込み学生を従業員として、雇い入れます。勿論、短期アルバイトも視野に入れて」

「敏和。それは農家ってより、会社員って事か?」

「仰る通りです。学生にとっては、メリットの方が多いでしょう。自営業よりも、福利厚生の整った企業に所属するんですから」

「それは、あんたらの子会社って事か?」

「いえ、関連企業ではない会社を、新たに設立します。納税地は信川村になります。軌道に乗れば、ある程度の税収も期待できるでしょう」


 それは、村の人間には出来ない発想だろう。

 確かに、様々な保障を得られる企業に所属する事は、自営業より安心だ。

 天候に変動を受けるのだ、流石に固定給とは行くまい。しかし、企業のバックアップが見込めるなら、収入以上に心強さを感じるはずだ。


「なぁ敏和。さっき、自然と文化の融合って言ったな。文化は、農業だけか?」

「近年、伝統芸能の後継者不足が、懸念されています。伝統芸能に関わる方々を招くと共に、後継者の斡旋も行います」

「見込みはあるのか?」

「既に打診をしています。快い返事を頂戴している方も、数名いらっしゃいます」

「そいつらの、住む所はどうすんだ?」

「我が社が国有地を買収し、住居を建設します。お招きした方々に、賃貸として貸し出します」


 住民の増加、企業の設立、他にも企業誘致、これらが進めば信川村の税収は、多少なりとも安定する。

 これに合わせて、助成金を活用すれば、多少でもランニングコストを圧縮出来るはずだ。


「敏和、大まかな所は理解した。でもな、それだけじゃ、村の税収は上がんねぇぞ!」

「えぇ、ご懸念は勿論です。ですから、如何に早く住民を集めるかが、課題となるでしょう。それに加えて環境整備による、観光推進も同時進行で行う必要が有ると考えています」

「でもよ。自衛隊の基地が出来るんだろ? その辺の兼ね合いは?」

「勿論、各所と連携を取りながら、進める必要が有ります」

「流石にそれは、時間がかかるな」

「仰る通りです。なので観光事業は、第二フェイズです。暫くは、住民を増やす事に念頭を置いて、進めるべきでしょう」


 人が増えれば、環境は荒れる。有識者から意見を聞きながら、対策を講じるべきだろう。

 そして、現在の産業拡大を優先するのは、尤もな意見だ。


 品質には満足をしているが、決まった食材しか仕入れられない。それに、仕入れ量も限られている。

 事実、提携しているレストラン等からは、そんな意見が届いている。

 

 もし、顧客が求める品質の良い品を、要望通りに供給出来たら。それを可能にする、生産体制を整えられたら。

 農業に関しては、拡大が見込めるだろう。


「後は、ギイとガアか。前みたいな問題にならなきゃいいけどな。だからといって、窮屈な思いはさせたくねぇぞ」

「その辺に関しては、少し時間を下さい。現在、阿沼大臣と打ち合わせを重ねています。より良い対処方法が検討出来ればと思います」

「敏和。ギイとガアに関しては、逐一報告してくれねぇか? あいつらは家族なんだ。家族を無下にはしたくねぇ」

「仰る事は、よくわかっています。私も同じ気持ちです」

「頼むぜ」

「かしこまりました」


 凡そここまで、孝則が質問し、敏和が返答した。同席した佐川と江藤は、意見を発してない。

 敏和は、二人に視線を送る。それを援護する様に、孝則は口を開いた。


「取り敢えず、今日はこんな所か? 江藤、佐川。お前らから、何か有るか?」

「今の段階で、内容の補足は、特に有りません。試算に関しては、引き続き私が行いましょう。それと、補助金等の確認もお任せ下さい」

「佐川、お前は?」

「懸念点は有りますが、再試算をしてから、詰めましょう。今日は、イメージの共有が出来た。それで充分です」


 参加者の意思確認が出来た所で、敏和は頭を下げて立ち上がる。

 それに続く様に、江藤も立ち上がった。


「本日は、貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございます。このまま、村を見て周りたいので、失礼させて頂きます」

「村長。私は調べ物に取り掛かります。私も失礼します」

 

 そうして、敏和と江藤は席を立ち、役場から出ていく。それを見届けると、孝則はソファに背を持たれて、大きく息を吐いた。


「さくらの関係者は、どうしてこうも優秀なんだ? 入念な下調べをして、ここに来たんだろ?」

「その様ですね。さくらさんと敏久さんの教育が、良かったんでしょうか?」

「本人が優秀なんだよ、将来有望だな。あんな奴を見てると、俺達がどれだけ暢気だったか、思い知らされるぜ」

「本当に、仰る通りですよ、村長」

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