三章 積み上げる信頼
第18話 帰宅
幸三の指示で、洋二は先に山を下りる。そして通信の繋がる麓まで下りると、皆に連絡を入れた。
「みんな、お疲れさん。安心してくれ、ガキ共は無事だ。熊と遭遇したが、追い払った。今夜は寄って来ない。ただし、だいぶ疲れてるから、休んでから下りて来るはずだ。それと孝道、悪いが車を出してくれ、俺のは軽トラだからな」
「わかった、直ぐに向かう」
熊という単語を聞いた瞬間、住人達にどよめきが起こる。
しかし、続く言葉で安堵したのだろう。連絡を受けた孝道は、直ぐに車を動かして山へ向かう。
そして、一人待機を命じられていた三笠は、集会所で待機していた者達に告げる。
「さくらは、直ぐに休ませた方がいい。子供達もだな。大勢じゃなくてもいいが、手分けして休める準備をするのは、どうだろうか?」
「それは、私がやります!」
いの一番に手を上げたのは、みのりであった。
ウトウトしていた為、青年と子供達が診療所に出る事に気が付かなかった。それが、住人達に迷惑をかける事に繋がった。さくらを、危険な夜の山に赴かせる要因ともなった。
それを悔やんでいるのだ。
青年が戻った後は、孝則の制止を聞かずに、貞江の手伝いを率先した。
それでも、居ても立っても居られないのだろう。
「貞江さん、無理は良くないです。私も手伝います。私はまだ元気が余ってます」
「マーサ。それを言うなら、僕は一番年下ダヨ」
「はぁ、しかたねぇな。みのり、ヘンゲル夫妻に迷惑かけんなよ。他のみんなは解散だ、ありがとうな」
都会の住人には理解が出来ないだろう。村では鍵をかける習慣がない。さくらもそれに習って、鍵をかけずに出かけている。
みのりとヘンゲル夫妻は、さくらの家へ向かう。また孝則の言葉と共に、緊急用の通信も終了となる。
待機していた住人達は、それぞれの家へ戻っていった。
一方、山ではさくらと子供達が、休憩を取っていた。
さくらは、木を背もたれ替わりにして、体を預けている。その両脇には、ギイとガアがしがみ付く様にしている。
さくらの体温から伝わる温かさに触れ、安心したのだろう。ギイとガアの震えは止まり、目を細める様にしている。
そんな兄妹を優しく撫でながら、さくらは問いかける。
「まだ怖いかい?」
「ギギ」
「ガア」
さくらの言葉に、兄妹は横に首を振る。言葉を理解していないはず、だが何となく言っている意味が、伝わっているのだろう。
「そうだ。あんた達は、お礼を言ってなかったね。先ずは、あそこに座ってる爺さん。あの人は、あんたを助けてくれたんだよ。熊から守ってくれたんだ。わかるかい? あんた達は、あの音に驚いたろ? でもね、あれはあんた達を守る為の音だったんだよ」
さくらは、幸三に向けて指を指しながら、ゆっくりとギイとガアに言って聞かせる。
その言葉の意味も、何となく理解したのだろう。先ずは、ガアが立ち上がる。そして、ガアの視線を感じ、ギイが立ち上がる。
兄妹の様子を見て、さくらが幸三に向かって頭を下げる。ギイとガアは、さくらを真似てペコリと頭を下げた。
さくらは、兄妹の姿に笑みを浮かべる。そして、徐に口を開く。
「太郎、三郎。こっちにおいで!」
さくらの呼びかけに答え、二匹の秋田犬が走り寄る。
未だに怖いのか、兄妹はさくらにしがみ付く。しかし、さくらは優しく告げる。
「怖くないんだよ。あの子達は、あんた達を探してくれたんだ。あんた達を守ってくれたんだよ。大丈夫、あの子達はあんた達みたいに、賢いからね」
さくらは、見本を見せる様に、鼻先を寄せて来る二匹に向けて、手のひらを差し出す。そして、匂いを嗅がせて安心させた後、顎から首元、耳の後ろやお腹を優しく撫でた。
撫でられると二匹は、嬉しそうに目を細める。
先にさくらが行動して見せた事で、兄妹は安心をしたのだろう。加えて、落ち着きを取り戻した今、二匹に敵意が無い事がわかったのだろう。
再びギイとガアは、さくらの行動を真似る。手のひらの匂いを嗅がせた後、怖がらせない様に気を付けて、ゆっくりと撫で始める。
感謝を伝えようとしているのか、敵だと認識していた事を誤っているのか、言葉の意味はわからない。兄妹は、声をかけながら優しく撫でている。
時折、顔を舐められて、ギャっと小さな声を上げるも、嬉しそうに二匹と戯れる姿は、さくらの頬を緩ませる。
ここまでのギイとガアの反応を見ていて、さくらは確信めいた物を感じていた。
彼らは、見た目よりも賢い。少なくとも、教えた事を直ぐに実践できる。恐らく幼稚園児、いや小学校の低学年レベルの知能は、持っているだろう。
彼らの言葉を理解するのは難しい。会話をする事は、かなりハードルが高い。だが、暫くすれば、彼らがこちらの言葉を理解するだろう。
彼らとは、必ずコミュニケーションを取れる。
そんな、穏やかな空気が辺りを包み始める中、幸三はぶっきらぼうに告げる。
「そろそろ、休憩は終わりだ」
本来ならば、体力の回復を待ち、山を下りた方が良い。だが、夏でも山は冷え込む、しかも今の時刻は深夜に近い。汗をかいた体が冷えれば、体調を崩す可能性が高い。
幸三の判断で、ゆっくりと下山する事になる。
帰りの道程は、時間がかかった。
山に慣れた幸三なら兎も角、さくらは八十八という年齢で、夜の山を八百メートル近くまで登ってきたのだ。
太郎が熊に感づいて走って行った後は、気が気では無く早歩きで登ってきた。緊張が解ければ、疲れはどっと押し寄せる。それ以前に、濃厚な一日であった。普通なら疲れて動けないだろう。
無論、ギイとガアの体力も限界である、少し休んだところで、山を下りる程には回復しない。
幸三に先導され、兄妹と支え合いながら、休憩を挟みつつ、ゆっくりと下山する。
太郎と三郎は、周囲を観察し、時折睨みを利かせる。そして、山を下りる頃には、日付が変わっていた。
さくら達が山を下りて来た事を確認すると、洋二は江藤に連絡を入れる。そして江藤は、住民用の掲示板に書き込みを行った。
「無事で良かった」
さくらに駆け寄って、孝道は心から安堵した様に告げる。
しかし孝道の、さくらと兄妹を見る目は異なる。孝道からすれば、さくらを始め、住人全員に迷惑をかけた子供でしかない。それ以前に子供達は、人間でもない。
余所者というより、異端を見る目に近い。どうしたって、仕方がない事なのだ。
しかしさくらは、孝道をかがませると、渾身の力で拳骨を叩きこんだ。
「この子達は、頭が良いんだよ。そんな目で見れば、感じ取るんだよ。あんたも人の親なら、わかるだろ? 子供は感受性が豊かなんだ! 二度とそんな目で、この子達をみるんじゃないよ! わかったね!」
さくらは、敢えて声を荒げ、孝道を叱る。
心配してくれた事には感謝している。会議の際に庇ってくれた事にも感謝している。
しかし、子供達には関係がない。
人間ではないのだ、普通の子供と同じ様に接しろという方が、無理というものだ。
人と接するのが苦手で、常に仏頂面をしている幸三とは違う。孝道は、村の中でも人当たりが良い部類に入る。
だからこそ孝道には、不気味な物を見る様な目で、子供達を見て欲しくはなかった。
それを敏感に察して、最初に行動したのは、太郎と三郎であった。
大丈夫、安心しろ。そう言わんばかりに、ギイとガアに体を寄せる。
そして孝道に向かって、ワンと吼えた。
「ほら。太郎と三郎は、この子達と友達になってくれたんだ。直ぐにとは言わない、あんたも頼むよ」
さくらの言葉を、素直に受け入れる事は出来ない。だが、少し時間を置いて、孝道は小さく頷いた。
そしてさくらは、少し腰を屈めて目線を合わせると、ギイとガアにも告げる。
「あんたらは、お礼を言いなさい。さっき教えたろ? この人は、あんたらを迎えに来てくれたんだよ。優しい人なんだ」
さくらが、孝道に向かって頭を下げる。それに習って、ギイとガアがペコリと頭を下げる。
これを見れば、兄妹が賢い事を、孝道も理解をしたはずだ。そして兄妹も、孝道が怖くない事を理解したはずだ。
関係を築くのは、小さい事の積み重ねでしかない。それは、相互理解から始まる。
兄妹は、車も怖がった。
無暗に、車が安全だと説明する事は出来ない。走る車に、近寄れば怪我では済まない事も有る。
しかし、言葉でなくとも、説明は出来る。身をもって示せば、兄妹は理解する。
何が安全で、何が危険なのかを、さくらは体を使って説明する。
少なくとも、快適な乗り物である事を、兄妹は理解したのだろう。後部座席に大人しく乗り込むと、さくらにしがみ付きながら、直ぐに寝息を立てた。
そこから、さくらの記憶は途切れている。
明け方近くに、目を覚ました時には、布団の上で横になっていた。さくらの両脇には、ギイとガアが寝息を立てていた。
心の中で孝道を始め、住人達に感謝を述べて、さくらは再び目を閉じた。
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