第10話 信川村会議
信川村の集会は、二種類に分かれる。
一つは、各自飲食物を持ち寄って、集会場に集る宴会である。
もう一つは、ネットワークを利用した、自宅に居ながら行える会議である。
ネットワークを利用すると言っても、複数人が参加するTV会議とは異なる。VRゴーグルを使用し、特定の空間で、アバターを利用して行う会議である。
このシステムを作り上げたのが、さくらの右腕である江藤周作である。
VR空間を使った会議など、普通の老人なら敬遠するだろう、そもそも理解すらできまい。
ただ、このシステムを提供した会社は、高齢化社会に向けて、必要となり得る商品の開発をしている。言わば、信川村はモデルケースとして丁度いいのだ。決して慈善事業ではない。
それ故に、高齢者でも抵抗なく、且つ簡単に利用出来る事が、最重要となっている。
使用感などを収集して改善し、最終的にはこのシステムを利用した様々な商品展開を考えている。
診療所に集まる四人分のVRゴーグルは、助役の佐川が届けてくれた。そして、四人がVRゴーグルを装着した時には、既に住民達は集まっていた。
会議は、システムの管理と会議用の設定を行った、江藤の一言で始まった。
「皆さん、そろそろ私語はお止め下さい。これから臨時会議を行います。議題は、信川村の訪問者とその対応についてです。先ずは、さくらさんからの説明が有ります。その後、質疑応答に入ります。ただし、今回の件は、異例中の異例です。皆さん、さくらさんの説明をしっかりと聞き、理解をした上で質問等を行って下さい。では、さくらさん。ご説明をお願いします」
さくらは、孝則に説明した時と同様に、詳細を住民達に話した。しかし、そんな荒唐無稽の話しを、誰が信じるだろう。
誰もが作り話だと思っても、何ら不思議はない。
「さくら。お前には悪いが、信憑性に欠ける。そもそも、山道付近でそんな霧が発生した事があるのか? 誰か、見た事が有るか?」
「いや、俺はねぇな」
「わたしもですよ」
「俺もだ。仮に霧が出たとしても、一歩先も見えない程の霧なんて、生まれてから一度も見た事はないぞ」
三笠の言葉に続き、住民達は口々に否定する。
霧が発生する事は有っても、完全に視界を閉ざす様な現象は、誰も体験した事がない。
そもそも霧を抜けると、見た事もない場所にいた。そんな事は、有り得ない。
信じられないのは、当然だろう。それが住民達の総意である。
しかし、事実なのだ。
それを証明する為、さくらは江藤のアバターに視線を向けると、指示を飛ばす。
「周作。貞江さんが撮った写真を、写せるかい?」
「わかりました」
貞江が撮った写真とは、点滴を受けている青年と、患者用のベッドで寝る二匹のゴブリンの姿である。
それを見た住民達は、そろって口をポカンと開け、暫く言葉が出なかった。
日本人ではない青年は、旅行者なのか? いや、この村にわざわざ来る旅行者は、ヘンゲル夫妻くらいだ。
子供は、人間に見えなくはない。だがよく見れば、人間ではない事がわかる。何だ、この生物は?
何故こんな者達が、信川村に居る?
証拠の写真を見れば、信じざるを得ない。それでも理解は出来ない。
「悪いがさくら、質問を良いだろうか?」
沈黙を破り、最初に口を開いたのは、三笠であった。
「VRだったか? こんな妙な空間を作ったのだ。江藤ならば偽造写真くらい、簡単に作れるだろう? だがお前達は、こんな回りくどい方法で、我々を騙す事はしない。写真は診療所で撮ったんだな? あの子供達を見れば、信じるしかない。ただな、霧を抜けて妙な場所に行ったと言ったな。どうやって、そんな場所に行けたのだ? それと、どうやって帰ってこれたのだ?」
「悪いが先生。あたしにもわからないよ。帰って来れたのは、なんとなくさ。お願いすれば、帰れそうな気がしただけさ」
「雲を掴むような話だな」
「仕方ないよ。あたしが行ったのが、何処だかもわからない。あの若いのが、何で致命傷を負っていたのもわからない。子供達の正体もわからない。わからない事尽くしなんだ」
さくらの答えを聞いた三笠は、深いため息をつく。
全く事情が理解出来ないのだ。わかっているとすれば、青年が傷を負っていた事。それをさくらが助けた事。そして、青年と未知の生物を連れて、さくらが村に戻ってきた事。それだけだ。
前後関係は、全く判然としない。
「おい、さくら。検査をしたって言ってたな。だけど、安全だと決まったわけじゃねぇよな」
「郷善。あんたの言う通りだよ」
「お前は理解してんのか? お前が段取りした、農業大学との共同研究は、ようやく準備段階に入った所だぞ。それに、レストランに直接卸す契約だって、お前が持って来たんだ。全部駄目にするつもりか?」
「現状で考えられる感染症の可能性は、全て潰したよ。それと、地球上で最長の潜伏期間が有るウイルスでも、二週間程度だよ」
「なら、それを超えたら、絶対に安全だって言えんのか?」
「その可能性は、高いだろうね」
「おい、貞江! 医者として、お前も同じ意見か?」
「百パーセント安全とは言い切れません。だけど、余りに長い潜伏期間は、考え辛いです」
医師の貞江が発言したのなら、信憑性は高い。
そして郷善は、荒々しく息を吐く。アバター故に、表情からは読み取れないが、郷善が納得していないのは、雰囲気から伝わってくる。
「なぁ、郷善さん。俺にだって納得出来ねぇ事は有るよ。それでもなぁ、さくらさんは絶対に間違えねぇ。それだけは、はっきり言えるぜ。それになぁ」
「あぁ、孝道! てめぇ、いつから俺に説教たれる様になったんだ!」
「待て、郷善! 孝道の話しが終わっていない。反論するなら、それからにしろ!」
孝道が、郷善に反論する。郷善は、孝道に対し激昂したかの様に、声を荒げる。
そんな郷善を、三笠が止める。
声を荒げる郷善は、大人げないのだろうか。いや、無理もない話だろう。
郷善は、村の事を考えて発言を行ったのだ。
但し人間は時に、損得ではなく、感情で動く生き物だ。
さくらには恩が有る、そしてさくらは不義理な事をこれまで一切して来なかった。そんなさくらが、間違いを犯すはずがない。深い考えが有るはずだ。
そう思う孝道を、どうして責められよう。
「孝道、続きを話しなさい」
「先生、ありがとう」
少し間を置いた方が良い、郷善を落ち着かせる時間が必要だ。そう考えた三笠は、郷善を止めてから十数秒ほど経ってから、孝道へ声をかけた。
「検査の結果は、問題ないんだろ? だから、後は本人の意志じゃないのか?」
「本人の意志って?」
孝道の発言に質問を投げたのは、郷善ではなくその妻、華子であった。
郷善の感情が、高ぶったままなのだろう。華子のアバターが片腕を横に出し、郷善を制する様にしている姿が見える。
「いや、華子さん。簡単な事ですよ。俺達は、これまで村の都合しか話してない。あの若者と子供達、本人の意志を俺達は聞いてない。奴らが帰りたいと言うなら、帰してやるべきだ」
「孝道さん。私達が、日本に来たのとは状況が違いマス。帰す方法が、有るんでショウカ?」
「それを探す事くらいはしても、いいじゃないかって事だ。どっちにしても、帰れないなら、村で面倒を見るしかない。それなら、奴らも納得出来るだろ? それに俺達もだ」
ヘンゲル・ライカの質問は、尤もだ。来た方法がわからないのに、帰る方法なんて、わかるはずがない。
そもそも、違う世界から訪れただろう彼らからは、一切の事情を聞いていない。その上、彼らがどうしたいのかもわからない。
確かに、自分達の都合だけ考えるなら、然るべき機関に届け出て、後は関わらない様にするのが最善だろう。
だがもし、それが彼らの望む事でないとしても、強要出来るのか?
仮に然るべき機関で、彼らが被検体となるとわかっていて。それでも自分達は関係ないと思えるのか?
彼らが帰ることを望まなければどうする?
救いを求めて伸ばした手を、振りほどく事が出来るのか?
出来るはずがない。必ず後悔する。ならば、守るしかないだろう。
孝道の説明は、住民達の心にすっと落ちた。その言葉に、頷く者が増えてくる。
「孝道の言う通りだ。先ずは、事情を聞く事から始めるとしないか?」
「それでも危険な事には、変わりねぇ! 帰らせて、終わりだ! 子供は親から離れちゃいけねぇ!」
「郷善。帰る方法を知る為にも、事情を聞かねばならん。そうは、思わんか?」
「先生よぉ。そうは言っても、言葉が通じねぇ相手なんだろ?」
「ならば、教えればいいだけだ。お前がライカに、農業を教えた様にな」
「出来んのか?」
「お前は誰に言ってるんだ? 私は教師だぞ! 今でもそれは変わらん!」
挑発的な態度の郷善に対し、三笠は堂々と胸を張って答える。
もしこの時、郷善が彼ら憎しと、意地を張っていたのなら、三笠は叱りつけていただろう。
郷善は村を守る為に、反対姿勢を貫いているだけなのだ。
見た限り、あの若者はせいぜい二十歳前後だろう。それに子供がいる。
若者は兎も角、子供は親元に帰すべきだろう。モラル以前の問題だ。
そんな郷善の考えは、何も間違っていない。
そしてさくらは、郷善らの言い合いに、口を挟まなかった。
さくらは、惨状を見たから、何となく感じている。恐らく、彼らには帰る場所がない。
だが、それをさくらが言って、何かが変わるのだろうか?
一時の情だけで、判断していいはずがない。
問題を指摘されても、幾らでも反論できる。
説得するだけの言葉なら、幾らでも出てくる。
強引に説得しても、後悔が生まれるだけだ。それは歪となり、大きな災厄として、身に降りかかる。
だから、皆の意志で決定しなければならない。
口にするのは、知り得る事を正しく伝える言葉だけ。それ以外は必要ない。
この村の住民達は、最善の選択をするはずだ。実際、孝道が郷善に意見し、三笠がまとめようとしている。
「村長、決を取りますか?」
「必要ねぇだろ、佐川。もう決まりだ。そうだろ、郷善?」
「仕方ねぇよ。孝道の顔を立ててやる」
その言葉を最後に、郷善のアバターから反応が消える。VRゴーグルを外したのだろ。
「では皆さん。事情聴取の上、意志を確認するまで、訪問者の取り扱いは保留とする。それでよろしいですね? 何か、反論の有る方はいらっしゃいますか?」
江藤は住民達のアバターを見渡す。
そして、反論が無い事を確認すると、閉会を告げた。
一先ず、住民達への周知と、一定の理解を得る事が出来た。
しかし会議の間に、問題が起きていた。
ゴーグルを付けていた為に、屋内の状況を確認出来なかった。その事が、問題の発見を遅らせる。
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