ほっこり短編集
虹色
第1話 適材適所
「山本、今日の現場試作も頼むな」
課長からの言葉に「了解です」と僕は答える。
この言葉を、僕は入社してからどれだけ吐いただろうか。
パソコンの無機質な画面を見つめながら、ぼんやりと思った。
ーー
5年前、僕は夢と希望をもって今の会社に入った。
商品開発がおもな担当業務。企業規模もそれなりに大きい。ここで自分にしか作れない『モノ』を作ってやろうと、そんなふうに思っていた。
けれど、そこでの仕事は希望もなければ絶望もなかった。
できる仕事をできる量でやる。
商品開発というより、既存品の改良。ユーザーの意見をまとめて、分析して、そこに刺さるように改良する。教科書通りの仕事。
誰がやっても上手くいくような開発システム。
失敗はしないが、成長もしない。
毎日が同じ繰り返しだった。
こんなことならば、大学院で勉強していたほうが、良かったのかもしれない。
けど、あそこにいたところで、僕に何ができたのだろうとも思った。
ただ、僕は褒められたかったのだろう。
すごいね、
天才だねと。
そうやって、褒められ続けたかったのだ。
けど、努力しつづけることもしんどかった。
だから、夢とかやりがいとか、適当な理由を使って、手近なものを掴んだだけだ。
予定された実験をして、予測通りの結果を出して、予想通りの評価をもらう。
ちくたくと時計は進む。
けれど、僕の世界は変わらない。
いや、緩やかに変わっているのだろう。
ゆっくりと、のんびりと落ちているのだろう。
そして、墜落するときに思うのだろうか。こんなはずじゃなかったと。
「山本さん、ちょっと今いいですか」
と、小動物のような後輩ちゃんに声をかけられた。
彼女は入社して二年が立つが、まるで成長していない。停滞し続けている。
実験内容を説明しても、きちんと理解してくれないし。データ入力を任せると、ミスするし。他部門との調整をお願いしても、誰がキーマンか未だに覚えてくれないし。
いつになったら独り立ちするのやら。
おずおずと彼女は書類を僕に渡した。先週任せた物性試験の結果だった。
ーーあいかわらずの歯抜けのデータ。どうして、的確に必要な部分だけ試験をミスするのだろうか。ある意味才能だと思う。
落胆を隠さず、彼女の顔を見る。
再試験をしている時間もないから、どうしましょうか、という相談ということが、なんとなく分かった。
「どうしましょう?」
「どうしようもないな、いつものようにお茶を濁すか」
「ですよね」
悪びれずに笑う彼女をぽすんとノートでこづいた。
「お前はお茶を濁すことだけは得意だな」
「元茶道部なもんで」
と彼女は笑った。
変わらない毎日だな、と思った。
「どうしたんですか。いつもに増して暗い顔ですけど」
「僕が暗いのはいつものことだろう。君が成長していないのを憂いているだけだ」
「なるほど」
納得した彼女を、改めてノートで叩いた。
「けど、先輩のような人がいてくれてよかったです」
彼女は、ひと呼吸置いて、つづける。
「先輩のように、なんだかんだ言って面倒見てくれる人がいなかったら、私はきっと潰れてましたよ」
「ならもっと頑張れよ」
「これでも頑張ってるんですよ。頑張って、このレベルなんです。私だって、色々思うところはあるんですよ。仕事ができない自覚はあるんですよ。パソコンのブートキャンプにも行きましたし、自己啓発セミナーにも行きました。今だって、ビジネス本をバックに忍ばせています」
ーー努力の方向性が間違っていた。
彼女がやるべきところは、もっと基礎的な所だと思う。
「けど、やっぱり私は変われなかった。うまくできないのですよ。」
彼女はため息をついた。
「自分ができることは他人もできると思ったら大間違いです。ーー山本さんに問題です、7の階乗は」
いきなりクイズを出された。
え、7の階乗?
1から7まで順番に掛け算すればいいからーー
「遅い、5040です」
先に答えられてしまった。
だが、答えを暗記しているだけかもしれない。
「じゃあ、252×37は?」
「9324」
答えられてしまった。
「つまりはそういうことです」
得意げに彼女は言う。
「でも、山本さんは仕事できるじゃないですか。みんな、山本さんのこと、頼りしてますよ。あいつがいないと仕事が回らないと、影で言ってます」
「そんなのは初耳だ」
「それは山本さんの人間関係が希薄なだけです」
「ほら。私にとってはこんなとるに足らない情報も、山本さんを笑顔にさせるには十分です。人でも何でも適材適所です。テトリスの長い棒も使い方次第、というやつです」
「だからーー」
と彼女は僕のほっぺたとつまむ。
「そんな夢も希望もない顔、しないでくださいよ。そんな顔は、死んだ後に死ぬほどできますから」
と、笑った。
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