Le temps paressenx. 1

 酷い雨が降っていたあの日。

 一本の電話がかかってきた。

 それまで何の不安も恐れも抱いていなかった。

 上擦った、冷静さを保てないその声は私に告げた。


 彼、が死んだ。


 何を言われたのか、わからなかった。

 車に引かれ、病院に運ばれた時には……。

 告げられた言葉を聞いて、その場に崩れ落ちるように両膝が床に付いた。

 エンドルフィンの禁断症状。

 声も出なかった。

 ただ涙で何も見えなくなっていた。


 三年前は、この身を微塵に砕く程の恐怖を刻み付ける心を持っていなかった。

 ただ怯えるだけの毎日だった。

 全てを包み、飲み込んでしまう程の闇、夜は怖かった。

  

 人はあるきっかけで己の未熟、弱さを知る。

 今までの自分全てを崩壊させてしまう程の自罰を。

 まだ己を知らぬ、ただ純情なだけの自分を。

 しかし、いつまでも逃げているわけにはいかない。

 勇気の花に目を向け、その小さな手で摘み取り、胸に刺さなくてはいけない。

 臆病な自分。

 逃げていた自分。

 認めようとしなかった自分。

 何かに夢中になって忘れた振りをしていた自分。

 可能性も、手に入れられる全てを諦めてしまった自分。

 そんな自分はもういらない。

 彼女は決意をする。

 忘れてはいけない事実と、その想いを……



                    *



 天ノ宮高校、昼休み。

 恵はいつものように購買部でパンを買い、一人で教室の自分の席で食べている。

 友達もなく、窓の外を見ながら少しずつ、ちぎっては口にする。

 その時、二人のクラスメイトが話しかけてきた。


「ねえ、竹林さん」

「……何?」


 小さく呟き、彼女達を見つめた。

 この人達、誰?

 周囲のざわめく声、人の目を感じた。



                     *




 駅前にある小さなケーキショップ『PEACH BROWNIE』。女子中高生達の間でちょっとした有名な店で、憧れの場所でもある。今日は月初めでまた忙しくなるのは明らかだった。

 授業が終わり、恵は珍しく校門を一人で出なかった。

 彼女の両隣には、昼休みに声をかけてきた広小路春香、高千穂由香の二人が、楽しそうに話をしながらくっついていた。


「それでね、うちの弟って超バカって感じでさぁー。その後、ホントに転がって逃げてね。超おかしかったって感じで」

「楽しい弟さんですね。私には弟はいませんが、子犬を飼ってまして。とっても可愛いんですよ」

「いいなー。うちはマンションでしょ、犬は飼えない。その代わりオウム飼ってんのよ。聞いて、もうこれウソじゃないんだって! ホントにバカでさー、すぐに真似して、時々舌が縺れて三日間喋れなかったんだって、本当に本当だって!」


 よく喋る二人に挟まれ、恵は小さな身体を更に小さくさせた。

 二人とも恵よりも背が高いお陰で頭の上から声がして、耳が痛かった。


「ところで竹林さんには姉妹とかいるの?」


 今まで二人して話していたのに急に恵に振られた。

 突然のことに驚きは隠せない。


「ひょっとして三人、四人姉妹とか?」

「お兄さん? お姉さん? それとも私みたいに弟とか」


 笑顔で尋ねてくる二人に戸惑いながらも、恵は二度、小さく頷いて答えた。


「……兄さんが一人」


 ポツリ、と呟くと、また二人の暴走的な喋りがはじまった。


「いいなー、お兄さんっていいよね。頼りになるし、うちの弟みたくバカじゃないんだろうな。背も高くて格好良くて……」

「スポーツ万能でもう、キャーッ! て感じなんでしょうね。だから私、兄弟に憧れてしまいますの」

「私も弟じゃなくてお兄さまがほしかったなぁ。親は〝一姫二太郎が一番だ〟なんて古くさいこと言っちゃってさ。やっぱ、お兄さまが一番よ!」

「はい! 竹林さんが羨ましいですよ」

「ホント、ホント。……あれ? 竹林さんは?」


 二人がふと気付くと、恵はさっさと、逃げるように前を歩いていた。

 慌てて追いかけ、二人は捕まえる。


「ちょっと待って! どうして先に行っちゃうのよ!」


 よく喋っていた由香がそう言った。

 春香は心配そうな顔をしているのが見える。


「……私に何か用なんですか」

「だ・か・ら、昼休みの時にも言ったじゃないの。ピチブラでバイトしてるんでしょ? バイト募集もしてないのに、どうしてあそこでバイトしてるのか不思議でさー。教えてよ」


 二人が、自分のことのように嬉しそうに話しをしている。


「ピチブラ?」

「自分のバイトの店の名前も知らないの? 『PEACH BROWNIE』のこと。ほら、マクドとかダッツとか言うじゃない。あれと同じよ」


 恵には二人の言うことがよくわからなかった。

 恵は歩きながらずっと口を開けなかった。

 それはこの二人を信じれないから? 

 いや、違う。同情なんかいらないから、欲しくないから。

 しかしあまりの熱意に仕方なく口を開いた。


「……私には……他に行く所がなかった。……雨の中、彷徨っていても、生きてくしかなかった……。そんな時……に、神名さんが……一緒にバイトしないか……って誘ってくれたから……」


 恵は切なそうに呟いた。

 二人は恵の話を聞いてつまらなさそうな顔をして見せた。

 三人は横断歩道を渡る。もうすぐ店にたどり着く。


「いいなー、とにかく運が良かったんだ。あそこでバイト出来るなんてもう、凄いことなんだよ。あそこで働いてる人、みんな綺麗で美人で。それにあそこでケーキを食べて、お茶を楽しむと素敵になれるって噂もあるくらいだし、もう最高よ!」


 道の往来の真ん中でいきなり抱きつかれてしまった。

 行き交う人の視線を感じる。

 擦れ違いざまに笑っている人が目に入ってくる。

 恵は恥ずかしいのと、突然の事に何がなんだか分からなかった。


「由香さんたら、人が見てますよ」

「いいって! これも女の友情ってヤツよ」

 由香はそう言って笑っている。

 恵はもう、恥ずかしくて俯いてしまった。


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