出逢ってから 4

 宏枝の母親と娘との対面の場は、近くの喫茶店に移っていた。

 昼下がり、住宅街の中の喫茶店の席で、宏枝と母は向かい合っている。

 母への複雑な想いにぎこちのない娘と、それを知ってか知らずか、何らの表情もない母親──。

 成り行きでその傍らに座る羽目になった良樹は、母親のもの問いた気な視線に晒された。


 居心地は悪かったが、確信犯的に無視を決め込む宏枝に従い、黙って目礼して居座った。

 そのまま腕組みして視線を下ろす。

 やがて聳てた耳に、母娘の会話と(主に宏枝の揺れる)気配が、ぽつりぽつりと聞こえてきた。

 懸命に話を振っては会話の糸口を探る娘と、気のない返事で返す母親の構図──。



 これは、いったい……どうなればいいって云うんだろうな……。


 まるで普通でない展開に内心途方に暮れつつ、母親の心に一向に届かない宏枝の想いに切なくなる。


 ──無駄だよ……中里。


 この人には、中里の過去は、意味のあること、あるべき過去じゃないんだよ……。


 思わず、そう云って彼女の手を取り席を立ちたくなる。



 ──〝あのひと〟はなんて言ってるの?そう。〝あのひと〟らしいわね……

 ──それは〝あのひと〟の言い分……

 ──ほんと、何もかも〝あのひと〟の思い通り、というわけね……

 ──いまになって宏枝を寄越すなんて、一体どういうつもりかしら……。


 断片的に耳に入ってくる女の言葉に、宏枝の言葉数が減っていくのが哀しいと感じた。

 それから女が話を打ち切りにかかると、おわりの言葉が聞こえた。


「お金が要るのよ」


 さすがにその言葉には、身体が強張った。

 宏枝の息をのむ気配を感じたときには、結局何もできないでいる自分に、幻滅させられた。



「おかあさん!!」


 宏枝の、席を立った時の音と、彼女自身の震える声は、どちらが騒がしかったか。

 良樹は面を上げることができず、たぶん涙を堪えているだろう彼女の顔は見ていなかった。


「弁護士を交えて話しましょうと、〝あのひと〟に伝えて」


 まるで追い打ちのように、機械的な声音でその事務的なセリフが続くと、席を蹴って飛び出していく宏枝の気配を感じた。

 もう堪えきれてないだろうから、泣いてるだろうな……。

 バツの悪い空気の中、彼女の泣き顔を想う。

 良樹は静かに伝票を手に取って席を立った。

 宏枝が忘れたリュックが目に入ったので、それも手に取る。

 その時、宏枝の母という女性と目が合ったが、良樹は静かに頭を下げ、黙ってレジに向かった。

 多分、宏枝もこの母親に払ってもらうのは嫌だろう。

 レジの店員が決まりの悪そうな視線でいた。店内の客の視線も感じる。


 ──構うもんか。


 意外なほど冷静に怒っている自分がいた。



 精算を済ませて外に出て、周囲に首を振って彼女を捜すと、泣き顔を手の甲で拭う宏枝の後ろ姿があった。


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