第35話 あってくれよ

痛い、痛い、痛い


腕からは血が吹き出しコックピット一面を赤く染めている。機体からも火が吹き、到底基地に戻れそうにない。治郎機は撃墜され、俺ももうすぐ堕ちるだろう。


ここまでか


基地から遥か南方にある島々の上空を飛んでいる。日本的な美は感じないが景色は美しく、ここが墓場なら寂しい感じもするが、ジャングルの沼地や湿地、寒い海よりはましだろう。


激しい音が聞こえた。それも凄まじい音だ。どうやら、翼が取れたらしい。


はあ、終わりか


痛みは激しく、血の量も尋常じゃない。特に、右肩から手先にかけては叫びたくなるほどだ。


地面との距離は数十メートル。目を瞑った。


おい、賢治、賢治


どこか遠くから声がする。それも聞いたことのある声だ。


俺は目を覚ました。


「大丈夫か?すごく魘されてたぞ」


夢でよかった


「すみません。撃墜される悪夢を見ていました」


全身が汗に取り憑かれ、海にでも飛び込んできたかのようだった。


「そうかあ。夢であってくれよ」


時刻は深夜を回っているのに、おじいちゃんは未だお酒を飲んでいる。脇には空になった瓶が並べられていた。


「まだまだ飲み足らんのお」


一人呟くと、おちょこを口に近づけお酒は身体に吸い込まれていった。


「賢ちゃんも飲むか?」


「いえいえ、もう結構です。頭がクラクラして苦しいです」


「まだまだだのお。ほれっ」


おちょこが俺の前に置かれた。もらった以上、飲まないわけにはいかず、アルコールの匂いに嫌気がさす中、飲み干した。


「なんじゃあ、まだまだいけるのお」


再びお酒を注がれた。おちょこを手に取る時、何気なしにおじいちゃんの顔を見た。目の下には汗か涙かわからなかったが、雫が垂れていた。


「若い衆と飲んだ時を思い出すのお。あいつらときたら困ったもんじゃ。トイレで寝る奴や縁側で寝る奴、玄関で寝る奴、挙げ句の果てには裸になって家の前で寝る奴までおりよった。最近のことなのに、懐かしいのお」


若い衆はみんな戦争に行き、安否がわからない人も多い。


おじいちゃんはぼんやりと遠くを眺めていた。


「賢ちゃん、ほんまに死んだらあかんぞ。人間は生きてこそだからのお」


「本当に大丈夫ですよ」


「若い衆も皆大丈夫言いよったけど、この有様じゃ。このままだと誰一人として帰ってこんかもしれん」


おそらく、いや、そうなるだろう。しかし、そのような事は言えなかった。


「きっと、皆大丈夫ですよ」


「そうならええけどなあ」


おじいちゃんはそう言うと、おちょこを置いて寝る支度を始めた。


「今日はいい夢が見れそうじゃ」


「いい夢だったらいいですね」


俺達は眠りについた。

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