パワハラハンター東野~受けたハラスメントは等倍返し~

香枝ゆき

プロローグ

 その日も昨日とかわりはなかった。

 自席にはブーブークッションが置かれていたし、山盛りの書類と荷物も机にある。

 席をたてばコーヒーとしょうゆがすりかわっているし、差し入れのお菓子は一人だけ賞味期限切れだ。

 仕掛人はわかっている。

 それを笑いの種にしていることも知っている。

 だからあえて、今日も僕は、知っていて、ブーブークッションに座る。

 そうして真っ先に笑いだし、指差し、フロアメンバーにも笑うよう促す上司を目の前に、僕も笑うのだ。


 見慣れない顔がすっと入ってきたのはそのときだった。

 社員証の色が僕のものと違う。

 派遣社員のものだった。

 来たばかりなのかもしれない。

 それにしては、派遣社員は挨拶回りはしないのが慣例だ。

 もしくは、全く関わりのない部署、例えば総務とかで働いているのかも。

 手には門松を持っていたから、正月用品の回収に来たのかもしれない。

 彼女はつかつかとフロアを進み、まっすぐに僕の上司の席へ向かった。

 すぐに離れていく。

 手ぶらで。


 ひとしきり笑ったあと、上司は自席に座ろうとして、のけぞった。

 オフィスチェアには門松が置かれている。

「そこの君ぃ!」

 フロアを立ち去ろうとしていた彼女は振り返った。

「はい、なにか?」

「なにか?じゃないよ。この門松はなんのつもりだ?」

「差し上げます」

 今は一月も半ばだ。

 それに、いくら門松が生だといっても、時期は過ぎたしなにより上司は植物好きというわけじゃない。

「造園会社と取引があるのは総務だろう!持ち帰ってそちらさんで返してこい!」

 上司のいうことはもっともだ。

「猫山部長は、鳴海主任の椅子にちょくちょく仕掛けをしているようなので、そういうのが好きかと思いまして」

「冗談じゃない!私が座ったらどうするつもりだったんだ!!」

「さすがに気づきますよね」

「ああ気づいたよだが結果論だ!」

「鳴海主任も気づいていて、あえて座っていますよね」

 不意に水を向けられて、喉がからからにかわいた。

「こういうことが続いて、予測して全部避けたら、飲み会の席でノリが悪いとおっしゃったそうじゃありませんか」

「……派遣に関係はない。職場を明るくするための方策だよ」

「誰かを犠牲にして明るくするんだったらあなたが犠牲になればいかがですか?」

 辛辣な物言いに、上司は堪忍袋の緒がきれたようだ。

「次の契約更新はないと思え」

「はい、こちらに出社するのは本日限りです。お世話になりました」

 慇懃無礼にぺこりと頭を下げると、彼女は笑顔を向ける。

「鳴海主任の飲み物、一度、お茶とリンゴジュースをすり替えましたよね。鳴海主任、リンゴアレルギーを持ってます。下手をしたら救急搬送されて、主犯の責任問題でしたが」

「……だが、鳴海は気づいた。問題はなかった」

「結果論です」

 上司は黙った。

「それでは、引き継ぎがありますのでこれで」

 今度こそ彼女は、フロアから出ていった。


 その日の午後、総務から茶封筒が届いた。

 中身はSDカード。

 付箋には、役立たないようであれば破棄してください、とある。

 トイレにたち、個室でスマホにカードを入れて再生した。

 飛び込んできたのは、さっきの、音声。

 すると、差出人はあの派遣社員だ。


「失礼します、あの……」

 総務に行くと、嘱託の男性が一人だけ、留守番をしているようだった。だからって、帰るわけにはいかない。

意を決して進み出る。

「総務に、派遣社員の女性って、いますか……?」

 僕は、名前を知らない。

「派遣社員の女性って、うちの部署はほぼそうだからね」

「……じゃあ、今日までの人は」

「東野さんかな。さっき備品庫のほうに行ったよ。まだいるんじゃない?」

「ありがとうございます!」

 僕は脱兎のごとく駆け出した。

 備品庫の扉をがらりとあける。

「……ノックしてほしかったですね」

 仏頂面の彼女、派遣社員の東野が備品チェックの手を止めた。

「あの、お礼、言いたくて」

「思い当たることはありませんが」

「これ」

 SDカードを見せると、小さくため息をついた。

「思いの外早く届いたようですね」

 東野は、認めているも同然だった。

 上司との会話を録音し、何らかの際には武器にできるようにして渡したと。

「……あなたは、いったい」

「ただの派遣社員です」

 そんなはずはない。

 あんなにスムーズなやりかた。

 さらに、自分の立ち位置を度外視した行動。

「では私はこれで。鳴海主任、そろそろ戻ったほうがいいのでは?」

 東野は電気を消して、備品庫を出ていった。

 僕はのろのろと、自分の持ち場へと戻る。


 机の上のカップには、お茶を入れていた。

 席について、口をつけようとして、違和感に気づいた。

 妙な臭いがする。

 お茶に砂糖を混ぜたような。

 色の変化は見られない。

 例えば、お茶に、リンゴジュースを少し、混ぜたような。

 僕は後ろを振り返った。

 上司はあわてて視線をそらしている。

 コップを握りしめ、ぐいっと一息に飲み干した。




 とある会社の掲示板に、人事通達が出されていた。

 総務部 派遣社員 東野 かなめ 退職

 営業二部 部長 猫山和夫 資料室へ異動

 営業二部 主任 鳴海理生 休職

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