Oh, My Valentine!

和泉瑠璃

Oh, My Valentine!

Valentine

(名詞)

1. 聖バレンタインデーに(恋人などに)送られるまたは贈られるカード

2. 聖ヴァレンタインの祭日に贈り物をする相手に選ばれた恋人



 共学であるならば、それぞれの学校、学年において、異性の注目を集める人物はいるもので、この学校の高等部二年ではそれが義道遼だというのは、周知の事実である。

 というわけで、遼の2月14日バレンタインの朝は、靴箱の扉を開くなり、こぼれ落ちてくる小包から始まる。

「今年もモテてんな~」「去年より多いんじゃね?」「いやいや、本番は教室からだろ」

 ぎっしりとチョコがつめこまれた遼の靴箱を、羨まし気に眺めながら、次々と廊下へ歩き去っていくクラスメート達のひやかしに対して、遼は絵に描いたようなうんざりした顔をしている。

「……手伝う?」

 控えめに声をかけてきたのは、めずらしくやっかみを言わない友人の笹倉だった。声を出す気力もなくとりあえず頷く遼を、気にかけつつ笹倉慧は落ちたチョコたちを拾う。

 受け取る受け取らない以前に、まずチョコを取り出してしまわないと、靴を履き替えることすらままならない。しかたなく、チョコを抱えた遼が、既に辟易とした気分で自分の教室に向かうと、廊下のあちらこちらで、女子の二人組、三人組がいて、頬を紅潮させて興奮気味にささやきを交し合う。

 見えないふり。聞こえないふりを徹底する遼に、笹倉は苦笑いを噛み殺しつつ、後をついて行く。

 両手を塞がれた遼が足で教室のドアを開けると、それだけでそこここで女子の黄色い声があがった。

 遼の机は、「バレンタイン」という行事のミニチュアと化していた。あらゆる種類のチョコレートに、ピンクと赤を基調としたカラフルな包装の数々。それが、机上と机の口の開いた棚に盛りだくさんに置いてある。

「いや~、これ、どうしたらいい?」

 あえて軽く尋ねた笹倉に、「知らねえよ。持ってけば」と遼はつっけどんに言い返す。

 その言葉を咎めるように、ばん、と大きな音が鳴り響いた。

 それは、大きな紙袋を一気に開いた音。その音を出したのは、野々宮園子だった。

「義道くん、毎年言っているけど、そういう人の気持ちのこもったものをぞんざいに扱うの、本当によくないよ」

「うるせーよ」

「いいから、笹倉君が困っているでしょう。ほら、この紙袋あげるから」

 はい、と園子が差し出した紙袋に、「悪いね」と笹倉がどさどさとチョコを入れる。

「これはこれは、すっかりバレンタインの恒例行事だねぇ」

 園子の後ろから、にやにやした顔を突き出した鳥野あやめがもぐもぐと食べているものへと、遼の目が動く。それを目ざとく見て取って、鳥野はにっこりと笑った。

「いいでしょ、これ。園子ちゃんの手作り。今年は一段とレベルが高いよ」

「あやめちゃんったら、そんなことないよ」

「いやいや、普通の女子高生だったら板チョコを固めて、くらいがいいところなのに、超本格パウンドケーキとは、一線を画していますよ」

「あやめちゃんったら、褒めすぎ」

「へえ~、おいしそうだなぁ」

「あ、笹倉君の分もあるよ」

 言うなり園子は、自分の机へたたたっと駆け寄ると、メッセージカード入りの小包装を持ってきた。

「え、一個ずつラッピングしてるの?」

「しかも、一人一人に手書きのメッセージカード付き。さすが園子ちゃん、まめだよねぇ」

「そんなことないってば」

「しかもね!」

 あやめはちらり、と遼を一瞥を走らせつつ、食べかけのパウンドケーキを笹倉の前に差し出した。

「肝心のパウンドケーキなんだけど、これがまた美味しいの。普通のチョコ味じゃなくて、バナナベースに砕いたクルミが入ってるの。甘さ控えめでさ、友チョコで疲れた舌にも絶品なんだなぁ」

「それは、期待大だ」

「もう、褒めすぎだって……」

 照れる園子へ、唐突にあやめは顔を近づける。

「で、本命は?」

「え?」

「だ、か、ら~。私たちへのチョコでこのレベルでしょ? そしたら、園子ちゃんの恋人たる日下部聡太の受け取るチョコとなれば、それはそれは……ってもんでしょ。気になるの。教えてよ」

 日下部聡太の名前が出て、園子はぽっと頬を赤らめた。

「そんな……大したことないよ」

「いやいや、教えてよ~」

 ねばるあやめに、園子は折れる。

「日下部くん、いつも忙しいから、片手でも食べられるように、一口チョコにしたの」

「でも、普通にいたチョコを整形したわけじゃないでしょ?」

「だいたいそんなものだよ。土台はクッキーで、ビターチョコとホワイトチョコに、ドライフルーツとかナッツ類を合わせて、あとはアイシングしただけ」

「アイシング!? それだけでも難易度高いのに、一口チョコにアイシング!? 超すごいじゃん、写真見せてよ!」

 園子の返事よりも前に、遼の机が、がん、と揺れる。

「お前ら、いつまでも俺の机にたまってんじゃねーよ。さっさと散れ」

 目線を寄越した笹倉に、あやめは舌をちらり、と出す。

 園子はそれには気が付かず、遼が机を蹴ったせいで落ちたチョコを丁寧に拾うと、さっき自分が差し出した袋の中へと入れた。

「義道くん、いくら甘いものが嫌いだからって、人にあげたり、捨てたりしちゃだめだからね?」

「うっせ」

 頬杖をついてそっぽを向いた遼と、それを見て本腰を据えてお説教を始めた園子をしり目に、笹倉とあやめは立ち去る。

「ねえ、鳥野さん」

 園子からもらったパウンドケーキに目を落としながら、笹倉は尋ねる。

「野々宮さんってさ、俺みたいにちょっと関わりのある人でも義理チョコくれるような人なのに、どうして付き合いが長い義道には、毎年チョコをあげないの?」

 残りのパウンドケーキを口に放り込んだあやめは、笹倉を見上げた。

「そっか。一年のときは、笹倉は違うクラスだったもんね」

「一年って、去年?」

「ううん。中等部の一年」


 遼の通う学校は私立の中高一貫校。野々宮園子とは、中学一年のとき、真面目で目立っていた彼女と、入学早々男子の中心だった遼とが、それぞれクラスのなかで一番「学級委員っぽい」という、きわめて入学間もない頃らしい曖昧な理由で学級委員にさせられた頃からの付き合いで、今はその延長線上のように、生徒会執行部のメンバー同士である。

 入学してはじめて迎えたバレンタインデー。遼は、女子から何かにつけ連絡先を聞かれたり、古典的な呼び出しの手紙をもらったりしたことから、自分が女子に人気らしいということは知っていたけれど、まったく興味がなかったので、誰も相手をしなかった。

というより、こちらがまったくその気がないのに、むこうばかり盛り上がって、見かけるだけでひそひそ話されたり、挙動不審になられたり、一挙一動に注目されたりするのを、心底うざいと感じてすらいた。

 しかし、それはあくまで遼の主観であって、それまで相手にされ続けなかった女子たちとしては、なんとかいままで空席でいた「義道遼のカノジョ」という座に着きたい! という思いを爆発させるのに、バレンタインという行事はうってつけなのだった。

 五年前のバレンタインは、登校するなり校門に待ち構えていた幾人かの女子から、ラブレター付きのチョコレートを強引に手渡されることから始まった。

 遼にとっては迷惑極まりない行為でも、中学一年の、しかも入学初めてのバレンタインでチョコを心ひそかに待ち望んでいる男子にとっては、あてこすりまじりにからかわずにはいられない。

 女子からは押しかけられ、それを見た男子からは、やいのやいのと散々に言われて、遼の不快指数は早朝からぶっちぎった。必死の思いでそれを振り切ると、今度は靴箱からチョコレートの雪崩である。

 男子たちはますますはやしたて、靴箱の周辺には自分のチョコを遼が受け取る瞬間を見届けようと集まってきた女子がいる。いい加減にしろ、と叫びたいのをこらえつつ、駆けこんだ先で出会ったのが、野々宮園子だったのだ。

 義道くん、今日バレンタインだから、その、今年学級委員でお世話になったから、プレゼントのチョコ。

 そういって控えめに差し出されたチョコレート。

 しかし、校門からついてきた男子たちがそのシーンを見逃すはずがなかった。

 義道! いよいよ、本命か!?

 誰が真っ先に囃し立てたのかはわからない。その声につられるように、遼と園子の教室の入口には、男女を問わず人が集まってきた。まさかこんな騒ぎになるとは夢にも思わなかった園子が、狼狽えて左右をみるなか、全員は遼が園子のチョコを受け取るかどうかを、からかいの声をあげながら、あるいは嫉妬の目を向けながら、注目していた。

 そもそも、女子を徹底的に避けながら、遼は野々宮園子という女子とだけは会話をするのを拒まなかった。しかも、一緒に学級委員までやっているのだ。

 あの二人、デキてる。

 そんな噂があちこちで囁かれるようになって久しく、このバレンタイン当日、遼が園子のチョコを皆の面前で受け取るか受け取らないかというのは、その噂の真偽をはっきりさせることに他ならない、とみんなは決めつけた。

 そんな周囲の無責任なプレッシャーに呑み込まれた遼は、深く考える間もなく、思い切り園子の手を下から薙ぎ払っていた。

 床に落ちる園子のチョコ。

 愕然として遼を見つめる園子の目が、あまりにも気まずくて、その裏返しに遼は叫んだ。

 ウザいんだよ! 俺はチョコなんて大っ嫌いだ! 二度と作ってくんな!


「へぇ~。そんなことが」

 あやめの話が終わる頃には、笹倉分の園子のパウンドケーキはすっかり胃に収まっていた。

「有名な話だけどね。まあ、笹倉は興味ないか」

「そもそも、義道が話そうとしないしね」

「そりゃあ、後悔甚だしいでしょうよ」

「……やっぱり?」

 あやめは遼の方を視線で示した。

「だってどう見てもあいつ、園子ちゃんのこと好きでしょ? 園子ちゃんがいるから、執行部にいるのまるわかりだもん。さっきだって、日下部の名前が出た途端に、機嫌わるくなったし」

「そうだよね……」

 苦笑を浮かべつつ、笹倉も遼を見る。そこには、園子を一切見ようとしない憮然とした表情の遼がいた。


 放課後まで、隙あらばチョコを渡そうとしてくる女子の気配に、遼は疲れ切っていた。ようやくの思いで帰宅すると、リビングから姉の理世と、妹の涼子が飛び出してきた。

「目標発見!」

 理世が、遼の提げた大きな紙袋を指さすと、涼子は満面の笑顔でダッシュし、紙袋を奪う。

「確保しました!」

 うわぁーい、やったー、と興奮した声を上げる姉と妹にリアクションする気すら起こらず、遼は自室へ着替えに向かう。ほどなく、夕食だと母親に呼び出されると、リビングのダイニングテーブルでは、理世と涼子が熱心にチョコを検分している。

「あ、遼、こっちの山が手紙付き。読む?」

「読まない」

「お兄ちゃん、こっちの山はチョコだけ。食べる?」

「食べない」

「「だよね~」」

 声を揃えた姉妹は、これで我がもの、と言わんばかりに開封してチョコを食べながら、顔を寄せ合って遼宛ての手紙を読みだした。

「ほらほら、いい加減にしなさいよ、あなたたち。もうご飯なんだから」

 そう諫める母親も、「だってさぁ?」「見てよ、お母さん」とくすくす笑いの姉妹が差し出した手紙を覗き込むなり、「あら!」と引き込まれて、姉妹の横に座るなり、立ち上がらなくなる。

 これもまた、遼にとってバレンタインの恒例行事だった。彼女たちが一通りチョコと手紙を堪能しないと、夕飯にはありつけない。遼は、うざったい姉妹と母親の声をかき消すべく、イヤホンを耳に突っ込み、大音量で音楽を流すと、腕を目の上に置いた。

 ——五年前のバレンタイン、園子から差し出されたのが、ココアを練り込んだクッキーだったのを、はっきりと覚えている。自分がそれを振り払ったとき、床に当たった瞬間、それらが無残にも木っ端みじんになったことを。

 唇をかるく噛むと、今朝、あやめが見せつけてきたパウンドケーキが目に浮かんだ。ほんのりとバナナが香り、ひいきなしに言って、美味しそうだった。

 あやめの言ではないが、恋人の日下部聡太に贈るものとなれば、園子は相当気合を入れ、また真心を込めたに違いないだろう。

 胸の痛みを覚えても、覆水盆に返らず、とはまさにこのこと。

 バレンタインなんかくそくらえ、と胸の内で毒つく。遼にできるのは、ただそれだけなのだった。

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