70 離城の少年国王 その1
停泊を告げる
甲板のあちらこちらで水夫達の掛け声が上がり、
水夫達が十人がかりで下船するための大きな
龍翔は隣に立つ妹の様子をそっとうかがった。
萄芭が差しかける傘から垂れる紗を通して、初華が真っ直ぐに
愛らしい面輪は、緊張のためか表情が硬い。
初華の視線を追うように龍翔も離城に目を向けた。
川べりに建てられた石造りの建物は、高さこそ三階建てで大きいが、武骨な作りで、壁面にかなり古めかしい彫刻が施されているものの、手入れする者がいないのか、風化して欠けている箇所も多い。
鎧を
少年の姿を見とめた途端、真っ先に初華が傘の下でひざまずいた。
一拍おいて、龍翔と玲泉も呼吸を合わせてひざまずく。後ろの季白達も
「初華姫様。差し添え人の方々。ようこそ晟藍国へおいでくださいました。感謝の念にたえません。どうか
少年らしい高く伸びやかな声が響く。
「藍圭陛下。ふたたびお会いできて嬉しゅうございます。このたび、『花降り婚』の盟約に従いまいりました龍華国皇女、初華でございます。幾久しく陛下のおそばにお仕えさせてくださいませ」
初華が
先ほどの瀁淀への対応とは、天と地ほどの差だ。
龍翔達の船のそばに停泊し、こちらの様子をうかがっている瀁淀は、悔しさに
誰の目にも、龍華国は瀁淀ではなく藍圭を重んじていると一目瞭然なのだから。
だが、感極まって潤み帯びた初華の声が、決して演技などでないことは、兄の龍翔にはわかる。
こうして、藍圭の無事な姿を見るまで、人知れず不安に震え、胸を痛めていたに違いない。
「すぐに皆様をご案内する支度を整えます。どうぞ楽になさって、少しだけお待ちください」
藍圭が露台から引っ込む気配がする。両脇の護衛達が纏う鎧の金属音が完全に聞こえなくなってから、龍翔はゆっくりと顔を上げた。
龍翔と玲泉が立ち上がっても、初華はまだ、傘の下でひざまずいたままだ。初華が立ち上がらないので、季白達も
「初華」
龍翔はそっと妹へ手を差し伸べた。
「どうした? 喜びのあまり立てぬのなら、わたしが抱き上げて運んでやろうか?」
あえておどけた口調で告げると、ようやく面輪を上げた初華が「まあっ」と笑い声を立てた。
「いくらお兄様でも、それはご遠慮いたしますわ。藍圭陛下が快く思われないでしょうから」
確かに、幼い藍圭には、初華を抱き上げることなど逆立ちしても不可能だ。そもそも、身長も初華の胸くらいまでしかないだろう。
龍翔の手を取り、初華がすっくと立ち上がる。つないだままの細くたおやかな指先にこもる力は、
「本当に、ご無事でようございました……」
龍翔にだけ聞こえる程度の小さな囁きは、隠しきれぬ震えを帯びていた。
実際に藍圭の姿をその目で見るまで、初華が胸の内でどれほど心配していたのか嫌でも伝わってきて、龍翔は安心させるようにつないだ手に力をこめる。
「ああ。おぬしの言う通り、本当によかった。そして、我らが来たからにはもう、藍圭陛下に危険が及ぶような事態は、決して起こさせぬ」
「龍翔殿下がおっしゃる通りでございます。お可愛らしい藍圭陛下のお顔を曇らせるような事態は、我らが許しませぬ。初華姫様もどうか、輝くばかりの笑顔をお見せください。藍圭陛下も、それを一番お喜びになられることでしょう」
玲泉も
「そうですわね。玲泉様がおっしゃる通りですわ。着いたばかりの花嫁が沈んだ顔をしていては、藍圭陛下のお心も晴れませんわね」
大きく頷いた初華が、紗の外にまで光がこぼれ出るような明るい笑顔を浮かべる。
「玲泉様も、たまにはよいことをおっしゃいますわね」
「おや。わたしはいつもよいことを言っているつもりですが」
「あら。そこに関しては、わたくしと玲泉様の認識に、大きな
初華と玲泉の軽口の応酬に、張り詰めていた空気がわずかに
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