57 甘いひとときを邪魔する気はなかったのですよ? その1


 前触れもなく開いた扉に、驚いたように歩みを止めたのは、玲泉と、料理の皿が載った大きな盆を両手で持つ二人の少年従者だ。少年従者の片方には見覚えがある。唯連いれんだ。


「朝から何をしに来た?」

 睨みつけて問うと、玲泉が優雅に微笑んだ。


「これは異なことを。もちろん、花開いた明順をでにきたのでございます」


 玲泉の言葉に、少年従者達がぴくりと反応する。が、玲泉は意に介さぬ様子で、からかうような笑みを唇に刻む。


「それにしても、龍翔様はよくよく生真面目でいらっしゃる。このような朝にまで、早々に起きてらっしゃるとは。情緒が足りぬのではございませんか? ああ、それとも」


 玲泉がにこやかに提案する。


「一度、むつんで飽きたとおしゃるのでしたら、今すぐわたしがいただきましょう」


戯言たわごとをぬかすとは、どうやらおぬしはまだ夢の中にいるようだな? そこの従者達と今すぐ寝台へ戻ったらどうだ?」


 怒鳴りたい衝動をこらえ、冷ややかに玲泉をねめつける。

 龍翔のまなざしに、少年従者達が怯えたように身をすくめた。盆の上の皿がかしゃんと耳障りな音を立てる。


 が、当の玲泉は龍翔の視線を柳に風と受け流す。


「お忘れのようですが、昨日お伝えした通り、明順にみさおを立てることにしましたのでね。夕べは寂しく一人寝でしたよ。ああ、明順が寝台に来てくれるというのでしたら、今すぐ戻りますが」


「ふざけたことをぬかすな!」


 怒鳴り返しつつ、内心、驚きを禁じ得ない。

 まさか、本当に玲泉が明珠に操を立てているとは。


 本気で明珠を手に入れる気でいる玲泉の真剣さに、警戒心が嫌でも高まる。


「何を企んでおる?」


 睨みつけ、低い声で問うと玲泉が飄々ひょうひょうと肩をすくめた。


「企んでいるとは人聞きの悪い。わたしはただ、差し添え人として、朝食をご一緒しながら打ち合わせをと、思っているだけでございます。安理殿が昨日、淡閲の街へ行かれたと聞き及んでおります。晟藍国の現在の状況は、わたしも知っておいたほうがよいのではないかと思いまして」


 玲泉の言葉に、龍翔は思わず目をすがめた。


「玲泉。おぬし、何を知っておる?」


 龍翔の問いに、玲泉は見惚れるようなあでやかな笑みを浮かべる。


「『花降り婚』の要望に来られた際に、わたしも藍圭殿下にお会いしておりますのでね。多少なりとも、晟藍国の内情についても聞いているのです。しかも、藍圭陛下が、まだあのようにお小さいとなれば、気にかかるのも当然でございましょう?」


 玲泉の言葉からは、晟藍国の事情にどこまで詳しいのかは読み取れない。明珠と会うための口実の可能性も否定できないが……。玲泉がすぐにばれるような嘘をつくとは思えない。


 玲泉がにこやかに提案する。


「というわけで、朝食を食べながら打ち合わせでも、と。いかがでございましょう? このまま、廊下で立ち話をしていては、せっかく用意させた朝食が冷めてしまいます」


「……わかった。少し待て。安理、準備を手伝ってやれ」


 たとえ今、追い返したとしても、玲泉は明珠の顔を見るまで諦めまい。加えて、玲泉が知っている情報も気になる。

 龍翔は諦めの吐息をついて、安理に命じる。


「はいは~い♪」

 龍翔と玲泉のやりとりをわくわくした顔で眺めていた安理が、気安く応じる。


「こっちは手狭っスから、龍翔様のお部屋の方でいいっスよね? あっ、大丈夫っス! ちゃんと換気もしておくっスから! あ、玲泉サマたちは扉の前でお待ちくださいっス。用意が整い次第、お呼びしますから♪」


 きししと笑った安理が玲泉達に伝えている間に、廊下の向こうから張宇を伴って初華が現れる。

 初華は玲泉の姿を見とめると、形良い眉をひそめた。


「侍女達に、玲泉様が朝からお兄様のお部屋に押しかけていると聞いて急いで来てみれば、まさか、本当にいらっしゃるなんて……。玲泉様、無粋ではございませんこと?」


 咎めるような初華の声音に、玲泉は悪びれもせず片眉を上げる。


「無粋とは、これは手厳しい。ですが、わたしとて、龍翔殿下の甘いひとときを邪魔する気はなかったのですよ? まだ床にいらっしゃるようでしたら、部屋に戻ろうと思っておったのですが……。龍翔殿下の方から扉を開いてくださいましたので」


「伺いも立てずに訪れておいて、何を言う? わたしが引き止めねば、季白達を素通りするつもりだったのだろう?」


 明珠が隣室で一人着替えているのを、まさか玲泉が知っているとは思えないが、だからといって見過ごせるわけがない。

 明珠の場合、あっさりと扉を開けてしまいそうなので、心配この上ない。


 と、内扉から隣室へ行っていた安理が顔をのぞかせる。


「あのー、もうすぐお食事の支度が整いそうっスよ? あ、もちろん初華姫サマもご一緒なさるっスよね?」


「ええ、もちろん」

 初華が笑顔で頷く。


 龍翔と季白は内扉から、玲泉と初華、張宇は廊下側の扉から、それぞれ龍翔の船室へ入る。


「もういいよ、下がっておいで」


 卓の上に皿を並べていた少年従者達を、玲泉がすげなく追い出す。少年従者達は一瞬、不服そうな表情を見せたものの、すぐにうやうやしく一礼して廊下へ出ていった。


 張宇がぱたりと扉を閉めた途端。


「おはよう、明順。今日はいっそう愛らしく見えるね」

 安理と一緒に皿を並べていた明珠に、玲泉がにこやかに微笑みかける。


「夕べ、龍翔殿下に優しく可愛がっていただいたおかげかな?」

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