29 『花降り婚』の出立です! その2


「乾晶での様子を見る限り、龍翔様を狙ってる術師はかなり狡猾こうかつだからね。自分自身は安全な場所に隠れて、蟲で龍翔サマを狙う……。そんな奴が、自分の身を危険にさらしてまで、龍翔サマを狙うなんてしないって!」


 明珠の不安を吹き飛ばすように、安理が明るい声を張り上げる。


「今日の王都はこれでもかっ! てくらいに警備の兵であふれているからさ! まともな判断力がある奴なら、さすがに今日ばかりは手を出そうだなんて、間違っても考えないって! オレでも今日はやめとくよ! だから、明順チャンが心配するようなことは絶対に起こんないから!」


 下から明珠の顔をのぞきこんだ安理が「ね?」と安心させるように明るい笑顔を見せる。


「それに、張宇サンと季白サンだって、騎馬で警護についてるんだから! 周康サンだって、護衛として駆り出されてるしね♪ あの三人が、龍翔サマを危険な目に遭わせるワケがないでしょ?」


 力強く断言した安理の言葉に、明珠はゆっくりと頷く。


「そう……、そうですよねっ! 張宇さんと季白さんだっているんですから!」


 震えそうになっていた両手を、ぎゅっ、と握りしめる。


「すみません、勝手に不安になって……」


「ん? 謝る必要なんかないって♪ 明順チャンにそれだけ心配してもらえたら、逆に龍翔様サマは喜ぶんじゃないの?」


 立ち上がり、明珠の隣に並んで腰かけた安理が、きしし、と悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。


「まっ、龍翔サマとしては、明順チャンには自分の身を心配してほしいところだろーケドね♪」


「そ、それは……っ! 季白さんから、絶対に船室から出ないようにって厳命されてますし、十分に気をつけますっ!」


 決して、何があろうと、正体がバレるようなことがあってはならないと、季白には重々、注意されている。


 正直、注意していた時の鬼気迫る季白の剣幕は、思い出すだけで恐怖に身体が震えそうになるので、記憶の底に封じ込めてしまいたい。


「……いやー、龍翔サマが心配してるのはそこじゃないと思うんだけどね? まっ、正体がバレちゃマズイのはほんとだし、気をつけるにこしたことはないかな。オレも怒り狂った龍翔サマに首をはねられるのはご遠慮したいしね~♪」


 大仰な仕草で首をすくめる安理に、明珠は吹き出す。安理は軽口で人の心をほぐすのが本当に上手だ。


「安理さんったら! 龍翔様がそんなことなさるはずがないですよ!」


「……いやオレ、けっこー本気で言ってるんだケドね?」


 呆れ混じりの安理の呟きは、行列が動き出したざわめきにまぎれ消えた。


  ◇ ◇ ◇


 『花降り婚』の長い長い行列が華揺かよう川の船着き場についたのは、午後をかなり回ってからだった。


 ここで行列は船に乗る面々と、陸路を行く面々に分かれるらしい。


 明珠達が乗るのは、初華と同じ、皇帝の御幸にも使われるという特別製の豪華な船だが、下女や下男、荷物などは、いくつもの別の船や陸路で運ばれるのだ。


 さすが、龍華国皇女の嫁入り道具とあって、荷物の量がすさまじい。

 『花降り婚』が決まってすぐ、晟藍国での受け入れ準備を整えるために、出立した侍女達や荷物もあるそうだが、合わせると、いったいどれほどの量になるのだろう。明珠には想像もつかない。


 龍華国王都の水の玄関口だけあって、船着き場はかなりの規模だ。

 だが、今日ばかりは『花降り婚』の一行が独占しており、一般の船は片隅に追いやられている。


 随行の従者達がこうべを垂れてかしずく間を、両側を差し添え人の龍翔と玲泉に守られた初華姫が、しずしずと歩み、船へ乗る。


 三人が通り過ぎると、どこからともなく感嘆の吐息がこぼれ出るが、明珠には気持ちがよくわかる。


 龍翔達三人は華やか過ぎて、たとえ顔を伏せていて姿を見ることがかなわずとも、その気配だけで思わず惚れ惚れと感じ入ってしまうのだ。


 高貴な三人の姿が船室へと消えてから、ようやく従者達も立ち上がり、動き始める。

 船へ乗り込む者、荷物を運ぶ者、あれやこれやと指示を出す者と、船着き場が一気に騒々しくなる。


「明順チャン、人の波に飲まれないようにオレのそばにおいで」


 龍翔達を見送り立ち上がった明珠が、人の多さにどう動けばいいかわからず戸惑っていると、安理に腕を引かれた。


「もし人にぶつかったりしたら大変だからね~」

「は、はいっ」


 言外に安理が言わんとしたことを察し、明珠は表情を硬くして頷く。

 季白からは出発前に、


「いいですか! 人混みは特に気をつけるように! もし誰かにぶつかって正体がバレてごらんなさい! 借金倍増どころではありませんよっ! というか、あなたは何かと危なっかしいのですから! 玲泉様のこともありますし、一人での行動は絶対に禁止ですっ! 常にわたし達の誰かと一緒にいなさい!」


 と厳命されている。

 下手に動いて人にぶつかっては大変だと、明珠は素直に、腕を引かれるまま、安理に身を寄せた。と。


「安理! ここにいたのか」


 人波の向こうから現れたのは、武官の立派な衣装をまとい、腰に『蟲封じの剣』をいた張宇だ。張宇も今日はまとめた髪に黒塗りの冠をかぶっていて、どこからどう見ても立派な武官だ。


 一目で高位とわかり張宇の装いに、人混みが割れていく。


「おっ、防波堤がいいところに♪ 張宇サン、いいところに来てくれたっスね~♪」


 失礼なことを言いつつ、安理が張宇に片手を振る。


「いやーっ、馬車に荷物を取りに行って、乗船したいと思ってるんスけどね。この人混みをかき分けるのもな~って、困ってたんスよ。とゆーわけで、人除け、お願いするっス♪」


「もちろんだ。そのために、龍翔様に遣わされたからな」


 不服そうな顔をするどころか、穏やかににっこり笑った張宇が、ごく自然な仕草で明珠の右手を掴んで歩き出す。

 張宇の姿を見て道を開ける人混みを進みながら、安理があわてた声を上げた。


「ちょっ! 張宇サン、手をつなぐのはまずいっスよ~。ただでさえ目立ちやすいんスから、これ以上、人目を引くのはやめてくださいっス。今は明順チャンなんスよ?」


 張宇とは明珠を挟んで逆側に回った安理が囁くと、張宇はあわてたように手を放した。


「ああ、すまん。人込みで迷子になってはと思ったんだが……」


 張宇の心遣いは嬉しいが、一目で高位だとわかる張宇が、従者と手をつないでいるなど、目立つことこの上ない。


「大丈夫ですよ! 張宇さんと安理さんのお二人がそばにいてくださるのに、迷子になんて、なるわけないじゃないですか!」


 小さな子どもではないのだからと、明珠はくすくす笑いながら、自信満々で答える。が。


「うん。そうなんだろうなって、頭で考えたらわかるんだケドね……」

「……なんだろうな、こと明順に関しては、妙に不安になるこの感じ……」


 明珠の両隣を歩く張宇と安理は、視線を合わせ、深いため息を吐き出した。

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