木場雄介という人間(中編)
「おい、これ」
康が慌てた様子で雄介たちにスマートフォンの画面を見せる。
いつものように占い店の裏に集まっていた一同は、今日こそは何かないかと
掲示板に目を光らせていたのだが、康がそれらしきものを見つけた。
投稿の内容はこうだ。
投稿者の友人が傷害で逮捕されたのだが、その人は今まで誰かを殴ったことなどないような人だった。
そうなる直前に、恋人のように仲良くなっていた女性がいたが、その女性には悪い噂があった。
男癖の悪さに加え、関わった男が一様に傷害事件で逮捕されているという。
特徴として、イヤーマフを常に身に着けているとのことだ。
「どう、会えそう?」
「返信してみる」
康がスマートフォンの画面に指を滑らせる。返信は十分と経たずに来た。
小さな画面を四人でなんとか覗き込む。
直接顔を晒すのは拒否するが、その女の情報を提供すると文面にはあった。
康が小さくガッツポーズをする。
更に送られてきたメールには、氏名などの詳細な情報が載せられていた。
本田ひな。都内の大学に通う女子大生とのことだった。
髪は茶髪で背が低く声が高い。イヤーマフには白地に細かいバツ印のプリントがあったという。
丁寧に写真まで添付されていた。男受けのよさそうな小柄な女が写っている。
これだけ情報が出揃えば、雄介たちも動ける。
アニムス使いは野放しにしてはおけない。放っておけば、被害者は増える一方だ。
それを止められる手段を持っているのに、何もしない理由はない。
===
放課後、本田ひなが足繁く通うというフレンチのレストランに雄介たちは向かった。
時刻は午後七時半を回っていた。情報によれば、本田ひなはこの店がお気に入りであり、
いつも夕食時はそこにいるという目撃談があるとのことだった。
投稿者も友人のことが心配で、色々と本田ひなのことを調べたのだろうか。
道路を挟んだ向かい側のコンビニでたむろする高校生を装いつつ、本田ひなが出てくるのを待つ。
レストランはいかにもといった高級志向の店で、ホームページのメニューの値段も非現実的だった。
こんな店に毎日通い詰めるなど、正気の沙汰ではない。
弥里が眉をひそめる。出てきた本田ひなは、男連れだった。
ジャケットにVネックのシャツとパンツという小綺麗な服装をした男にエスコートされながら、
白いフリルがついたブラウスと黒いプリーツスカートを履いた本田ひなが悠然と歩いている。
耳にはバツ印が大量に刻印されたイヤーマフがあった。
小さな黒いバッグを肩にかけ、ダークブラウンの踵の高いブーツを履いている。
「あのバッグ、すごい有名なブランドのやつですよ。三十万円くらいするやつです」
「さすが、毎晩レストランで飯食えるだけあるな」
康と芽亜梨がひそひそと本田ひなの服装について話している。
どうも、本田ひなが身に着けているものはどれもかなりの値がつくものばかりらしい。
相当実入りのいいアルバイトでもしているのか、もしくは誰かから貢がれた金で買ったのか。
本田ひなが男を連れてレストランから離れていく。距離をとりつつ、その背中を追う。
ショッピングモールに入ったところで、本田ひながそわそわしだした。
しきりに後ろを、つまりはこちらを振り返っている。
「気づかれてるわ」
弥里が断言する。雄介はどうするべきか逡巡した。
尾行を中断するべきか? いや、それをしたら、隣の男がどうなるか分からない。
だが、周囲には少なくない数の人が歩いていた。
こんな人込みの中で争うわけにもいかない。
迷っていると、本田ひながくるりとこちらを向き、男を連れて歩き始めた。
「おい、向かってくるぞ」
康が困惑の声を上げる。正直、雄介も焦っていた。
さっきまで回転していた思考の歯車が止まり、頭が真っ白になっていく。
お互いの表情が視認できるくらいの距離まで本田ひなが迫ってくる。
そして、おもむろに髪に手をやると、何本か引き抜いた。
手に持った髪が地面にばらまかれる。
弥里が息を呑むのが見えた。
本田ひなが地面に撒いた髪は、一瞬で黒く細長い虫のようなものに変わっていた。
虫が地面を這いずるように走り、近くにいた人々に飛びついていく。
「嘘だろ」
虫に張り付かれた人々がびくりと痙攣したかと思うと、瞳孔の開ききった目でこちらを一斉に見た。
息を荒くし、取り囲むようにして雄介たちに向かってくる。
まるで出来の悪いホラー映画の一幕を見せられているみたいだった。
雄介は生理的嫌悪を覚えた。反射的に逃げ出したくなるのを堪え、弥里と芽亜梨の前に康と一緒に立つ。
立ったはいいが、どうすればいいかさっぱり分からなかった。
この人たちは何も知らない一般人だ。アニマを使って退けるわけにもいかない。
そうこうしているうちに完全に囲まれてしまった。
人の壁の向こうから、本田ひなが怯えたような目でこちらを見ている。
「逃げるぞ!」
康が叫び、壁になっていた者の中でも一際背の高い男に突進し、肩からぶつかる。
男がよろめき、腕がぶつかって隣の者が体勢を崩す。
包囲の綻びを突くように、雄介たちは人の壁の隙間を通り抜けると、
ショッピングモールから全力で遠ざかった。
===
アニムス使いを取り逃がした無力感に苛まれながら、次の日の放課後を迎えた。
昨日のうちにアニムスを破壊できなかったことで、また犠牲者が生まれているかもしれない。
そう考えると、雄介は解散して家に戻り、ベッドに潜った後も中々寝付けなかった。
とりあえず、なんとかして本田ひなのアニムスを破壊しなければ。
みんなと合流して、意見を出し合おう。そう思って正門に向かった矢先だった。
そこには昨日、本田ひなと一緒にいた男が立っていた。
雄介を見つけた途端、男がぎろりとこちらを睨みつけてくる。
雄介は頭を抱えた。恐らく、学生服から学校を特定されたのだ。浅はかだった。
男の目は敵意に燃えていた。あれは本田ひなの恋人か何かだろうか。
自分の恋人を付け回す輩を成敗してやる、という意思が見え隠れしていた。
普段どおりの学校に、敵の手先と言っても過言ではない男がいる。
当たり前の風景が呆気なく破壊され、雄介はその不気味さとおぞましさに震えた。
どう動くか決めあぐねていると、男の肩に何者かが手を置いた。
男が振り返ると、そこには暗い色の制服に身を包んだ警官が立っていた。
十分ほど男は警官に何かしらの注意を受け、そそくさと逃げ去った。
男を見送った後、警官は雄介の方へ歩いてきた。
静かな足取りではあったが、どこか威圧感がある。
恰幅のいい三十歳前後と思しき男だった。目つきは鋭く、髭が濃い。
こけた頬に腹の底に響くような低い声は老けた印象を与える。
「さっきの男、どうも君を見ていたようだったが。何か心当たりは?」
首を横に振る。正直に話すわけにもいかない。
だが、警官は何も言わなかった。じっと雄介の目を射竦めるように見てくる。
周囲からの視線が刺さる。校門で生徒と警官が向き合って立ち尽くしていたら、目立たないはずがない。
「どうしたの、雄介君」
後からやってきた弥里たちが走り寄ってくる。
警官が弥里たちを見て、「とりあえず、名前だけでも聞かせてくれないか」とぶっきらぼうに言った。
それぞれ名乗ると、警官は背を向けて正門から出て行ってしまった。
雄介は昨日の男が学校にまでやってきていたことを話し、とにかくここから離れようと提案した。
あの男にはアニムスらしき装飾品は見受けられなかった。
下手に争って傷つけては大変なことになる。ここは退くしかない。
そう思ったのが、間違いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます