罪の徒花

モコイ

黒百合(前半)

 木場雄介は訝しんだ。これは夢なのではないかと。

気づけば、いつもの校庭の小さな花壇の前に立っていた。

そして何よりも不可思議だったのが、目の前にある花壇に植えられているのが

揃いも揃って黒い花ばかりだったからだ。

白かった花弁に墨を塗りたくったような色をした花を見て、気味が悪いなと舌打ちする。


「罪を償いたいかい?」


 瞬きをした直後に、漆黒の花畑の中央に蝶が浮かんでいた。

黒い翅をゆったりと動かしながら、やがて眼下の花弁に静かに着地した。


「なら、この花を摘むといい。君に贖罪の道を歩ませてくれるだろう」


 贖罪。その言葉にはっとする。雄介には強烈な心当たりがあった。

思わず花壇に手を伸ばし、花の茎に触れる。


「それは黒百合。君の罪を象徴する花だ」


 音もなく手折れた。花壇から一輪の黒い花を引っ張り出す。


「よくよく覚えておくことだ。罪は消えない。心の傷は決して癒えない。

どれだけ償おうが、許されようがね。でも、それが罪から逃げる理由にはならない。

さあ、目覚めるといい。そして向き合うんだ、自分の現実と」


 視界が歪む。意識が遠のき、声が聞こえなくなる。


===


 目覚ましが鳴る前に、雄介は瞼を開けた。

針の位置を確認し、安堵する。時刻は午前六時。学校のホームルームは八時半からだ。

 ベッドから降り、部屋から出る。

居間に向かうと、父と母が先に朝食をとっていた。


「おはよう、雄介。ご飯は?」


「おはよう。今日も大丈夫だから」


「……そう」


 食卓には自分の分の皿はない。

朝食をとらなくなってから、もう二年近くが経つ。

母もさすがに手が付けられることのないことを知って朝食の用意をすることもしない。

 洗面所に行き、顔を洗って、口をゆすぐ。

鏡には代り映えのしない自分の顔が映っていた。冴えない一重瞼、

やけに明るい髪、今一生気の感じられない表情。

まあ、それも仕方のないことである。

自分のような人間が生き生きと日々を過ごしていたら、それこそ問題というものだ。

 部屋に戻り、ブレザーとスラックスに着替えてネクタイを締める。

時計を見る。午前七時というちょうどいい時間になっていた。


「行ってきます。今日も多分、まっすぐ帰ってくるから」


 鞄を肩から下げ、玄関に行く。居間から父と母が顔を覗かせていた。


「たまには遊んできてもいいんだぞお」


 父が間延びした声で言ってくるが、曖昧に笑う他ない。


===


 五月上旬の東京の空は、春の日差しこそあれど、未だに冬の寒さが微かに残っていた。

電車に乗り、人込みに揉まれながら十分ほど揺られ、学校の最寄り駅で降りる。

通学路に出ると、自分と同じ制服の学生たちが溢れていた。

無言ですたすたと歩く者もいれば、何か話し込みながら歩いている者もいる。

自分は前者だ。この学校に入って以来、特に仲のいい友人もいなかった。

いじめられているわけでもない。クラスの皆とはそれなりに上手くやれているつもりだ。

だが、登下校で一緒になったりするほどの仲の同級生はいなかった。

 都立高見丘高校と看板が掛けられた正門を通り、二階のC組の教室に向かう。

引き戸を開けると、先に着いていた同級生たちがちらりとこちらを見やるが、すぐに視線を戻した。

 自分の席は窓際にあった。鞄を机にかけ、窓から校庭を見下ろす。

四月は桜が咲いていて奇麗だったが、今となっては味気ないものだ。

サッカー部やら陸上やらが朝練の走り込みを終え、教室に戻る準備をしているのが見えた。

 担任の声がする。今日もやることは変わらない。授業を聞いて、ノートをとって、問題を解いて、帰る。

それが雄介の学生生活の全てだった。

 なぜそんな無感情に日々を過ごしているのか、それは自分の中で明白だった。

かつて、自分には親友がいた。高宮礼二という少年だった。

小学一年生からずっと一緒で、何をするにも二人だった。

二人でゲームをして、買い食いをして、スポーツに打ち込んでと当たり前の日々を過ごしていた。

 それが終わったのは、中学一年生の時だ。

色素が薄く、ほとんど茶髪と言って差し支えない雄介の髪は、いじめの格好の的だったのだ。

小学生の時こそ、隣に礼二がいたからいじめも大したことがなかったが、

中学に進学して違うクラスになり、孤立した雄介は見事にいじめの餌食になった。

 基本的なことは大体やられたと思う。些細な嫌がらせから、放課後に袋叩きにされることもあった。

そして、それを見た礼二は大いに怒った。怒り狂った。

当時のいじめっ子に殴り掛かり、雄介諸共ぼろ雑巾にされたものだ。

 それから、いじめっ子のグループは礼二に目を付けた。代わりに雄介へのいじめは軽減された。

礼二は毎日のようにいじめっ子のグループに暴力を振るわれていた。

最初は止めようと間に入りはしたものの、いじめっ子たちは反抗的な礼二を従順にさせることに躍起になっており、最早雄介は眼中になかった。

 ある日、礼二が学校に来なかった。担任は大げさに顔を歪めながら、礼二が死んだことを告げた。

階段から転げ落ちて頭を強打したらしいが、雄介は一切信じられなかった。

 そして、礼二をいじめていたグループの生徒たちは教師たちに軽い事情聴取をされただけで、

無罪放免となったのだ。礼二は結局事故死として扱われ、両親やその妹は泣き寝入りすることになった。

 葬儀が終わったとき、雄介は気づいた。自分なら、助けられたのではないか?

礼二が雄介を助けたように、自分が必死になっていじめっ子たちに立ち向かっていれば、

今も礼二は隣で笑っていたかもしれない。それはつまり、自分のせいで礼二が死んだも同然ではないか。

 それ以来、雄介は一切の趣味から手を引いた。食事の量も減り、友達と遊ぶことがなくなった。

あれだけおもちゃやらゲームやらで溢れていた自室も、今では勉強机とベッドしかない。

 礼二にどうやって償えばいいかわからなかった雄介は、ひたすら今を楽しく生きることを拒否することで、

せめて彼の死を忘れないようにしていた。何の解決にもならないのは分かっている。

だが、こうすることでしか、雄介は自分を罰することができなかった。

ホームルームが終わり、授業が始まる。


===


 五時間目の現代文の授業を受けながら、窓から校庭を眺める。

三年生が体育の授業を行っていた。三年生から体育は選択科目となっており、球技かマットか選べた。

やっているのはサッカーらしい。

男女に分かれて行っているらしく、二つの白線の枠に二十二人ずつ入ってボールを追っていた。

 なんとなしにそれを見ていると、女子の方の試合に異変が生じたのに気づいた。

どうやら、怪我人が出たらしい。転んで頭を強打したようだ。額を両手で抑え、女子生徒が蹲っている。

心配になるが、ここから何ができるわけでもない。傍観していると、一人の女子生徒が駆け寄っていった。

倒れている女子生徒を助け起こすのが見える。これから保健室に連れていくのかと思った、その時だった。

急に助け起こした女子生徒が額を抑えながらよろめいたのだ。

逆に、倒れていた生徒はやけに元気になって飛び起きていた。

 一体どうなっているのやら。雄介はそれ以上深くは考えなかった。

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