第13話 勉強合宿

 体育祭が終わると、すぐに期末テストがあり、テストが終われば生徒はほとんど登校せず、あっという間に夏休みだ。3年特進クラスは、夏休みに勉強合宿を行う。強制ではないので、予備校に通うからと合宿には参加しない生徒も多い。この合宿に颯太が参加するかどうか、俺はそればかり気になっていた。

 テストが終わり、合宿の参加申し込みの締め切り日がやってきた。隣のクラス、1組の参加者を知る事が出来た俺は、狂喜乱舞した。いや、したかったが抑えた。

「今年もまずまずの参加率ですね。7割というところでしょうか。」

1組担任の岸谷先生が穏やかに言う。

「そうですね。まずまずですね。」

俺は喜びで顔がほころぶのを必死にこらえ、まずまず、という今の心持とは似ても似つかない単語を発した。そして、

「良い合宿にしましょう!」

と、変に高いテンションで言った。

「はい。」

岸谷先生は微塵も疑わず、にこやかにそう言ってくれた。


 勉強合宿当日。大きな荷物を抱えて、ふうふう言いながら学校前に集合する生徒たち。そこからバスに乗って合宿地へ向かうのだ。バスは幸いにして1台。颯太と同じバスに乗れるのだ。俺はあまりにワクワクしすぎて、夕べはほとんど眠れなかった。こんな事、いつ以来だろう。もしかしたら、小学校以来ではないのか。恋しいのにほとんど話しかけることもできないでいる事実。それが、少しでも会いたい、顔が見たいという些細な欲求を掻き立てる。

 颯太がやってきた。俺は、目が合ったら気まずいとばかりに、颯太の事を見るのをやめた。それでも、出欠確認をしている都合上、生徒は皆俺のところへ来て挨拶をするのだ。

「おはようございます!田中です。」

「おう、おはよう!」

「おはようっす。小池です。」

「小池、おはよう!」

このように、生徒が次々とやってきて名乗る。俺は生徒をちらっと見ては手元の名簿に印をつける。すると、

「先生、おはよ。」

と、名乗らない生徒が。だが、声で分かってしまった。これは颯太だ。俺は視線を上げた。颯太がすぐ目の前にいる。しかも、フレンドリーに、先生おはよって!なんてラブリーなんだ!

「おはよう、颯太。」

俺は、颯太の目を見てそう言った。颯太は一瞬にやっとして、それから目を反らした。

 はう。キタ、心臓に来たよ。なんだ、颯太の俺に対する態度、だいぶ生意気になった?見透かされているようで怖い。だけど、嬉しい。他の先生とは違って特別扱いされているようで、とてつもなく嬉しい。ダメだ。教師としてダメだ、俺。自己嫌悪と歓喜がいっぺんに来る。恋とはなんと厄介なものか。

 バスでは、一番前に教師が乗っている。振り向いて颯太の顔が見たいのを必死にこらえた。そんな事をしたらバレバレだ。それでも、とっても誘惑にかられた。何かにかこつけて見てしまおうかと何度思った事か。しかし、俺は我慢した。そして、現地に1時間半ほどで到着した。

 宿泊施設と複数の集会所が一緒になった、セミナーハウスだ。少し標高が高いので東京都心よりは朝晩涼しい所である。部屋は2人部屋。俺は岸谷先生と同室だった。ちなみに、颯太は同じクラスの坂口と同室だった。去年颯太と仲の良かった相馬は、文系なので2組だ。部屋割りはクラス毎に行ったので、颯太は相馬とは組めなかった。坂口という生徒は、ちょっとイケメンだ。背が高い。こんな事をチェックしてしまう俺、どうかしている。

 まず各部屋へ荷物を置き、少し休憩したら昼食だった。食堂へ行くと既に生徒が来ていて、セルフサービスのトレーを抱え、好きな料理を取っている。席も自由だった。俺が料理を取ってどこに座ろうかと振り返ると、相馬が俺を呼んだ。

「八雲先生!こっちこっち!」

手招きしている。俺はドキッとした。相馬の隣には颯太が座っていたからだ。6人1テーブルの席に5人が座っていて、1つ席が空いていた。相馬は、1つ横へずれて空いていた端の席に座り直し、自分と颯太の間の席を指さしている。

 俺はせっかくなので近づいていき、テーブルに着いている5人を見渡した。元2組ばかりだ。

「ここに座っていいのか?」

俺が聞くと、

「どうぞどうぞ。」

とみんなして言う。颯太以外は。どうなっているんだ?しかしまあ、ここに座らない理由もないので座った。颯太と隣。近い。相馬、やっぱりお前はいい奴だなあ。もしかして、俺の事好きなのか?そんなわけないか。

「それにしても、お前らずいぶん盛ってきたな。」

生徒たちのトレーを見ると、一食とは思えない量が乗っている。丼ものと麺とか、定食と丼ものとか。颯太も漏れずにガッツリ盛っている。

「だって食べ放題じゃん!」

生徒の一人が言う。無邪気だ。だが、微笑ましい。

「先生はあんまり食べないんだね。」

「そんな事ないだろう。これだって、一食にしてはだいぶ多いと思うぞ。」

「もう若くないから。」

「お前が言うな。」

生徒たちとやり合いながら、食事を始める。すると相馬が、

「俺お茶もう一杯持って来ようっと。あ、先生お茶ないじゃん。持って来てあげるよ!」

というものだから、俺は相馬の頭をがしっと抱え、

「お前、いい奴だなあ。よしよし。」

と言いながら、ナデナデした。相馬はわははは、と笑ってから立ち上がり、ぴゅーっと行った。相馬の奴、可愛いなあ。すると、

「そういうの、やめた方がいいよ。あいつ本気で喜んでるから。」

ぼそっと、颯太がつぶやいた。驚いて颯太を見ると、俺に一瞥をくれただけで、すぐに手元に視線を移した。俺に言ったのは間違いないようだ。なんだって?どういう意味だ?

 相馬が戻ってきた。

「はい、先生。」

「お、サンキュ。」

冷たい麦茶が紙コップに入っている。俺はその麦茶を飲みながら、ちらっと横目で颯太を見た。特に反応なし。俺は考えた。さっきの颯太のセリフについて。そういうの、やめた方がいいよとは、つまりやめて欲しいという事か?いや、安直だ。その後は何て言った?あいつ本気で喜んでるから・・・。何がいけないんだ?喜んでいるならいいではないか。なのにやめた方がいいとは?

 国語教師の俺は、読解問題を解くように考えた。省略されている語句を補って、70字以内で説明せよ。

―相馬は八雲先生の事が好きなので、撫でられたりすると喜ぶ。しかし八雲先生が好きなのは颯太だから、相馬に気を持たせるような事はやめた方がいい。―

という事なのか?だがしかし、筆者の本当の考えは筆者にしか分からない。相馬の気持ちは相馬にしか分からないし、颯太の本意も颯太にしか分からない。相馬が俺の事が好きというのも飛躍しすぎる。まあ、普通に好きでもいいか。喜ばしい。あれか、つまりは颯太のヤキモチ?うーむ、都合の良い解釈とはこの事。もっと冷静に客観的に判断しろ、と俺なら生徒に言うね。


 その日の午後から授業があり、夕食の後にも授業があり、最後に復習の自習時間があって、自由時間となった。夕食は一斉に取ったので、俺は先生方と一緒だった。夜も至って普通に過ごした。

「しかしあれですな、男子校だと夜の見回りとかしなくていいから、こういう時は楽ですな。」

「そうですよね。共学だと、女子が男子の部屋に行っただとか、男子と女子が二人きりになったとかならないとか、とにかく問題が起こりそうでひやひやですよね。」

と、先生方が話しているのが耳に入った。俺は自分も男子校育ちだし、この高校でしか教師をしたことがないので、実感としてはよく分からないが、なるほど共学の高校は大変だな、と他人事ながら思いやった。

 いや待てよ。男子校なら本当に安心か?大部屋ならともかく、ここはツインルームばかり。家族でもない相手と、二人きりで夜を過ごすのだぞ。颯太は、あのイケメン坂口と二人きりで寝るのだぞ!あー、心配だ。こうしちゃおれん。見て来なくちゃ。

「あれ、二ノ宮先生、どこ行くんですか?」

「あ、やっぱりちょっと見回りに。」

俺は曖昧に笑って、教師で集まっていた部屋を出た。先生方は皆キョトンとした顔で俺を見送った。

 生徒たちの部屋の前を歩く。時々ドアから声が漏れ聞こえてくるが、廊下を歩く者はいない。と、ある部屋から生徒が出てきて、隣の部屋に入って行った。自分の部屋に戻ったといったところだろうか。自由に部屋を行き来しているが、仲の良い友達同士で同じ部屋になっているわけだし、あまり移動もないようだ。

俺は颯太の部屋を探し出し、その前で止まった。廊下に人影はない。俺はそっとドアに近寄った。話し声は聞こえない。二人は何をしているのだろう。

俺はどんどん心配になってきた。あらぬ妄想が頭をよぎる。あー、中を覗きたい。でも怖い。

 ガチャっと音がして、別の部屋のドアから生徒が出てきた。俺はさっと颯太の部屋のドアから離れ、歩き出した。

「あ、先生お休みなさーい。」

「お休みー。」

生徒とすれ違う。はっ!パジャマ!今の生徒がパジャマを着ていたので、急に思い出した。今、颯太はパジャマを着ているのではないか?見たい!パジャマ姿の颯太が見たいぞ!はあ、はあ、落ち着け、俺。無理だ。今の状況では無理だ。何も策が思いつかない。退散だ。無念。


 翌朝、6時に起床し、6時半から外の広場でラジオ体操が行われた。生徒たちは全員外に出てきた。自主的に合宿に参加しているだけあって、みんな良い子だ。まあ予め、ラジオ体操に参加しなかったら朝ごはん抜きだと伝えてあるので、それが功を奏したのだろう。

 夏なので、Tシャツ短パンというラフな格好で過ごす生徒たち。そんな姿を見られるのも合宿ならではだ。颯太はピンクのTシャツを着ていて、なんとラブリーな事か。ラジオ体操の後、朝食があり、その後はひたすら授業が続く。颯太もセンター国語の授業に参加した。

 夜になって、復習自習の時間、俺が生徒の間を回って質問に答えたりしていると、何人かは眠そうだった。朝が早かったし、もしかしたら夕べよく眠れなかったのかもしれない。颯太を見ると、やはり眠そうにしている。目がとろんとしている。あー、なんて可愛いんだ!頭を撫でてそのまま眠らせてやりたい。

 チャイムが鳴った。

「今日の勉強時間は終わりー。風呂入って寝ろよー。」

俺が言うと、

「はーい、お休みなさーい。」

口々に生徒がそう言って、各々部屋へ散って行った。

 部屋に入り、風呂を済ませた俺。その後岸谷先生が風呂に入っていると、ドアをノックする音がした。ドアを開けてやると、なんと颯太が顔を出した。

「あ、岸谷先生は?」

颯太は部屋を見回してそう言った。胸が躍った俺は、ちょっとがっかり。そうだよな、担任の岸谷先生に用があって来たんだよな。

「岸谷先生は今風呂だ。中で待つか?」

俺はそう言って、部屋の中を親指で差した。すると、颯太はこくりと頷いた。

 中で待つと言っても、ツインルームはベッドしか座るところも立つところさえほとんどない。岸谷先生が、もし他人にベッドに座って欲しくなかったら困るので、颯太を俺のベッドに座らせた。そして、俺は壁に背を付けて立った。ベッドに並んで腰かけたりしたらまずいでしょ、やはり。薄暗いスタンドの灯りの中、二人でいる。その事実が俺の胸を高鳴らせた。

「あー、岸谷先生が出てきたら、俺は出て行くな。」

そう言うと、颯太はえっと驚いた顔をした。

「いいよ、ここにいて。」

と言う。颯太、それはパジャマなのかい?無地のTシャツとパジャマ風の長ズボンを履いていた。

「実はさ、文転しようかと思ってて。」

颯太が唐突にそう言い出した。

「えっ、そうなのか?」

俺は話を聞こうと、ベッドの端の方にちょこっと腰かけた。文転とは、理系から文系に転ずる事だ。

「俺、社会が苦手だし、数学が得意だから理系だと思ったんだけど、大学いろいろ調べてたら、経済学部がいいかなって思い始めて。」

颯太はそう言った。

「そっか。」

俺は思わず喜んでしまった。颯太が文系に変われば、国語の授業にも出てくれるし、もっと会えるようになるから。いや、しかしこんな俺の都合なんか今考えている場合ではない。颯太の将来がかかっている大事な話なのだ。

「教科の得意不得意は、この際あまり重要じゃないんだ。将来何がやりたいか、大学でどんな勉強をしたいか、が大事なんだ。受験科目だって、いろいろ調べれば国数英で受けられるところもあるし、英数だけで受けられるところもある。文転するかどうかより、まずはどんな学部に行きたいか考えて、それからどの大学を受けるか考えて、それに合わせた勉強をすればいいんじゃないかな。」

俺はいつの間にかちゃんと座って、颯太のすぐ隣で話していた。こんな薄暗い部屋のベッドの上で、二人きりで座っている俺と颯太。すぐ目の前に颯太の顔があって、俺の顔をじっと見ている。俺は思わず、手を颯太の頭に乗せた。呼吸が荒くなる。だって、鼓動が速くなっているから。

―ガチャリ

「あれ、颯太どうした?」

いきなり、岸谷先生が現れた。本当はいきなりではなかったのだろう。音を聞いていれば、そろそろ出ますよーってのが分かったはずだ。しかし、俺はこっちに夢中で全然聞いていなかった。俺はびっくりして颯太の頭から手をどけた。颯太もはっとして岸谷先生の方を振り返った。

「えーと、相談があったんですけど。もう八雲先生に聞いてもらったから、大丈夫です。お休みなさい。」

颯太はちょっと早口にそう言うと、部屋を出て行った。気づけば、岸谷先生は上半身裸で、タオルを頭からかぶっている。パ、パンいちじゃないですか!颯太が驚いて逃げていくのも無理ないし!

 岸谷先生は、タオルをハンガーにかけ、パジャマを着た。颯太の話が何だったのか、てっきり聞かれると思ったのに、聞かない。ちらっと俺の事を見る。な、なにか変な誤解してないだろうな。

「あー、颯太ですけど、文転したいようです。まだ相談の段階ですけど。」

俺が言うと、岸谷先生は一瞬止まってから、

「そうなんですか。なんだ、もっとプライベートな話かと思いましたよ。わざわざ泊まりに来た日の夜に訪ねて来るくらいだから。」

と言ってちょっと笑った。やっぱりちょっと誤解してたな。俺はさっきの颯太との話を詳しく岸谷先生に話した。担任だから、知っておいてもらわないとね。

 でも、確かにわざわざ部屋まで訪ねて来るなんて。昼間相談しても良さそうなのに。ま、まさか、颯太は岸谷先生の事が好きなのか?!裸見て動揺してたし?そう考えた俺は動揺して、また眠れぬ夜を過ごす羽目になったのだった。


 勉強合宿はそれから2泊続いた。だんだん会話も表情も無くなっていく生徒たち。どんどん消耗して行くのが分かる。しかし、それとは反対に授業中の目の色はギンギンに冴えて行く。若いって不思議だ。教師の方は摩耗していくばかり。それでも責任感とか使命感とか、生徒に対する愛情など、自分を縛る物で何とか自分を支え、最終日まで持ちこたえた。

 バスが学校の前に到着し、生徒を一人一人見送った。

「はい、お疲れさん。」

「また学校でな。」

声をかけながら、肩をポンと叩いて送り出す。そのうち颯太がバスから降りて来た。

「お疲れ。」

かろうじてそう声をかけ、肩をポンと叩いた。颯太はちょっと頷いたようだったが、無表情のまま去って行った。ああ、またしばらく会えない日が続くのか。夏休みだが、教師はほとんど出勤日だ。夏休みよ、早く終われー。

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