「先達はあらまほしき事なり」。
某御人に言ったところ、「私はあなたの先達じゃない」と言われたことがあります。
「先達」を求めるのもなかなか難しいもので。
「世間に疎い」というのも、求めるべき「先達」を見失っているということなのかもしれません。
ある法師には、同情と同時に、近しい感情を抱きます。
とてもいい訳で、色々な感情を刺激されました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
初めて行く場所とか、初めて行う作業などは、謙虚にそれを知っている先達に教えを請うべきなのでしょうね。
ただ、この法師は、それをできなかった。
石清水まで懸命に歩きすぎて、ふもとまで到着して安心してしまったのか、舞い上がってしまったのか。
結果として、最後のツメを怠ってしまい、恥をかくことになった。
兼好氏の耳にも、そんな失敗談が伝わってしまって、書かれてしまったということ。
後の世に残る失敗談は、ほんの些細な準備不足と確認不足、原因からです。
仁和寺の法師ではありませんが、私もかつて墓地ルートで社を目指して、「墓しかねぇな」って思ったのを思い出しましたww
作者からの返信
コメントありがとうございます。
古代から日本では山が葬送の場所。
京都の東山も葬送の地でした。
余談ですが、「熊野」も、実は葬送の地で、「籠る」との意味があるそうです。
出雲にも熊野大社があり、また、日本全国に熊野と言う地名が存在するのは、「熊野」が葬送の地とという普通名詞だったからとのことです。