第16話 閑話休題 徳山 1

徳山 1


この辺りで児玉源太郎がこの世に生を受けた徳山という街の現在について述べたい。


いったい日本人の中で咄嗟に「徳山」と聞いて日本地図の上ですぐに指をさせる人が何人いることであろうか?


徳山は山口県の広島寄りに位置する岩国市の左側にある地方都市である。


地理が得意な方ですら山口県の都市を列挙させても下関・山口・萩・岩国・宇部・防府と徳山の名前はなかなか出てこないのではあるまいか。


いずれにしてもそのくらいの知名度の都市に児玉源太郎は生まれたのであった。


本書の取材のために関西から下りの新幹線に乗り徳山駅に向かう。


徳山駅はのぞみが一日に数回しか止まらない駅なので広島駅にてこだまに乗り換えることになる。


広島駅ホームに入ってきた「こだま」に乗って児玉源太郎の取材に行く。なにか歓迎されたようで少し愉快な気持ちになった。


広島駅の次の新岩国駅を通過した列車のアナウンスが

「皆様まもなく徳山駅に到着します」

と告げて減速するあたりから左手方向に太陽に反射する瀬戸内海に面して煙を吐き林立する煙突や大きな石油タンク群が目に飛び込んでくる。


これはかつて東洋一の燃料庫といわれた旧日本帝国海軍の徳山燃料廠の跡地に立てられた出光興産の巨大な石油貯蔵・精製施設である。


石油タンクの壁面に描かれた見慣れた出光のマークが読めるころには列車はゆるやかにスピードを落とし始めて徳山駅での降車客たちがそろそろ立ち上がって荷物をまとめて下車の準備を始める。


山口県徳山市はかつて2003年4月の「平成の大合併」によって周辺の1市2町と統合合併されて現在は周南市と呼ばれている人口約15万人の街である。


総人口200万人の山口県内の中では人口の多い順に、下関市(26万人)山口市(20万人)宇部市(17万人)周南市(15万人)と4番目の都市になる。


合併以前は徳山市と呼ばれており人口は10万4000人の石油精製を中心とする重化学工業関連企業群の城下町であった。


この地で営業をする企業は前述の出光興産をはじめとして東ソー、日本精鑞、日新製鋼など日本を代表する有名化学企業が名を連ねる街である。


1897年(明治30年)に山陽鉄道が広島から徳山まで開通したときにも最終駅として栄え、徳山港から下関・九州・四国などの多くの港までの船便が多数往来した物流の拠点でもあった由緒ある街である。


現在でも徳山に住む年配の方々は「周南市」と呼ばれるよりも「徳山市」と呼ばれるほうを好みこの地名に誇りと愛着を持っているそうである。


生粋の江戸生まれの家系の方が「東京人」と呼ばれるより「江戸っ子」と呼ばれるほうのを好むのと同じ感覚であろう。


実は私は2006年に著わした著書の「戦艦大和が沈んだ日 4月7日」の取材で過去徳山市時代にこの街を何度か訪れているので今回の訪問は非常に懐かしく感じた次第である。


1945年4月5日太平洋戦争末期、沖縄に侵攻する多数の空母・戦艦を有するアメリカ海軍を阻止すべく海軍大本営司令部から広島県呉市に停泊していた戦艦大和に乗艦する伊藤整一司令長官に菊水作戦が発令された。


日本海軍の「最後の艦隊」となった戦艦大和は第2艦隊と称されて巡洋艦矢矧と駆逐艦10隻を伴い決死の沖縄特攻に必要な燃料補給のために徳山の海軍燃料廠に立ち寄っている。


よく一般的には「戦艦大和は片道分の燃料で沖縄特攻に行った」と言われているが実際はここ徳山の海軍燃料廠の小林大尉による「今から死にに行くやつに『腹一杯飯を食わずに行け!』とはなにごとか!命令違反おおいに結構、大和に目いっぱい燃料を入れてやるように!」との一言で石油タンクに備蓄してあったB重油を沖縄までの一往復半の量を給油したのが史実らしい。


また沖縄への出撃を前にしてつい1週間前に江田島の海軍兵学校を卒業したばかりの新米士官たちを伊藤司令長官の「貴様たちがいては戦闘の足手まといになるから退艦せよ」という慈悲の言葉の元に約100名ほどの見習い士官が泣きながら退艦させられたのもこの徳山港での出来事である。


大和から泣きながら駆逐艦に退避させられた若い士官の中にはアンデルセングループの高木社長のように戦後日本の経済界で大活躍した方を多く輩出したことは伊藤司令長官の慧眼によるものであろう。


その当時の取材したときの徳山港や岸壁の風景など懐かしい記憶を思い出しながら再び徳山駅の北側出口に降りたった。


方角的には瀬戸内海を背にして北へ向いて街をながめる格好になるのである。


徳山駅の右手には商店街の大きなアーケードが見え、正面には駅前ロータリーの先に銀杏並木の大通りが山腹に向かってゆるやかなスロープを形成している。


秋にもなれば黄色に染まったイチョウ並木がさぞや綺麗なことであろう。


左手は市内各所に通じるバスの停留所がありその先は今日の宿であるホテルを含むオフィス街や住宅街が続く。


ざっと見て学生服を着た集団が複数見受けられる以外には人影はまばらであり近代的な駅や街の規模に対しては少し閑散なイメージを受ける。


前回来たときはかつての海軍燃料廠周りの取材が目的であったために瀬戸内海側に降り立ったので第一印象は石油の精製所の煙突から出る煙で「殺伐とした工場と石油の街」であったが北側に降りた今回の印象は「こじんまりとした可愛らしい街」であった。


神戸出身の私の率直な感想は徳山はずばり「ミニ神戸」である。


神戸をイメージしたもうひとつの理由はゆるやかな山腹に日本酒の大きな看板が目についたからである。


おそらく徳山も水が綺麗なのであろうか複数の清酒メーカーの看板を読むことができる。


神戸の街はご存知のように標高約1000mの六甲山を背に、なだらかな丘陵地に住宅街が広がり海にいたるまでに新幹線、阪急線、JR鉄、国道2号線、阪神線が並んで走り海岸の埋立地には神戸製鋼の製鉄所と煙を吐く煙突群が林立し港には三菱重工や川崎重工の造船所のクレーン群が見える重工業の街である。


徳山は神戸という街を山の高さを半分にして南北と東西をコンパクトにした街であるというのが私の印象であった。

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