第4話 あのこ

「ねえちーちゃん」

「んー?」

「香月さんって、中学の頃どんな人だった?」

 尋ねると、へっ、とちーちゃんは不意を打たれたように顔を上げた。

「え、なになに」お弁当を食べていた手を止め、びっくりした表情であこを見る。

「さすがの亜子も、今回は不安になったの? 沖島くんのこと」

「ううん、べつに不安にはなってないけど」

 なぜかほっとしたように訊いてくるちーちゃんにそう首を振れば、ちーちゃんはぎゅっと眉を寄せ、おもむろに箸を置いた。

「なんでよ」ちょっと苛立った様子で、こちらに身を乗り出す。

「ちょっとは不安になりなさいよ。言っとくけど、周りから見た感じ、ぜったい亜子はそんな余裕ぶっこいてられる状況じゃないよ。どう見てもあの二人、めっちゃ仲良いし」

 真面目な顔で心配してくれるちーちゃんに、「え、そうかなあ」とあこはいつものように曖昧に笑う。

 すると、ちーちゃんはより意気込んだ様子で

「絶対そうだって。あたし、最近あの二人が一緒にいるところよく見るもん。しかも香月さんて、サッカー部のマネージャーやってるらしいよ。沖島くんだって香月さんのこと嫌ってるようには見えないし、このままじゃ危ないんじゃないの」

「大丈夫だよ、ゆーくんだし」

 あこが笑いながらいつもの言葉を返すと、ちーちゃんはますます眉を寄せた。はあ、とあきれたように大袈裟なため息をつく。

「ほんっと、亜子のその根拠のない自信はどこからくるんだか。わけわかんない」

「ね、それよりちーちゃん、香月さんてどんな人だったの?」

 話題を戻すと、ああ、とちーちゃんは思い出したように顔を上げた。それからちょっと考えて

「まあ、だいたい今と同じ感じだったけど。きれいだし目立ってたけど、女子からはちょっと敬遠されてたな。あの人、けっこう口調とかきついし、言いたいことズバズバ言うから。正直、あたしもちょっと苦手だった」

「付き合ってる男の子とかはいたの?」

「どうだろ。多分いなかったんじゃないかな。美人だから人気はあったけど、そういうの全然興味ありませんって感じの人だったし……ていうか亜子、やっぱり気にしてるじゃん、香月さんのこと」

 ぼそりと付け加えられた言葉に、そういうわけじゃないけど、とあこはもう一度首を振ろうとしたけれど


「や、でも、大丈夫なんじゃない?」

 ちーちゃんはなんだか気遣わしげな笑みを浮かべて、唐突にそんなことを言った。

「なにが?」となんとなく嫌な予感を覚えつつ聞き返してみれば

「そりゃ香月さんはきれいだけどさ、まあ亜子だってそれなりに可愛いし、それにほら、とりあえず香月さんより愛嬌はあると思うし。勝ち目ないってことはないよ、うん。頑張ったほうがいいとは思うけど」

 実に真面目な顔で、ちーちゃんは諭すようにそんな言葉を続けた。

 あこはちょっと眉を寄せ、卵焼きを口に運ぼうとしていた手を止める。

「だからあこ、べつに不安にはなってないよ。全然」

「いやなってるでしょ、いくら亜子でも」

 念を押すように言ってみた言葉も、ちーちゃんはあっさり突っ返して

「ていうか、ちょっとは不安になったほうがいいって。あたし、これでも友達として亜子の恋を応援してるんだから。だから言ってるの。亜子のわけわかんない余裕っぷり見てるとさ、なんかやきもきするんだもん。あんまりのほほんと構えてたら、横からかっさらわれちゃうかもよ」

「それはないよ。ゆーくんだもん」

 何度目になるかわからない言葉を繰り返せば、ちーちゃんも、はあ、と何度目になるかわからない大きなため息をついた。それから、やっぱりどこか気遣わしげな表情であこを見て


「べつにさあ、そんな意地になんなくてもいいじゃん」

「意地?」

「亜子って、沖島くんのことでそういう心配するのが悔しいから、無理に大丈夫大丈夫って言い聞かせて、不安にならないようにしてるように見えるけど。だってほんと、その根拠のない自信が何なのか、わけわかんないし」

「根拠ならあるよ、ちゃんと」

 そう反論すると、ちーちゃんはちょっとうんざりした表情になって

「“ゆーくんはあこのお願いをいつも聞いてくれるから”でしょ」

 うん、とあこは強く相槌を打つ。

「好きじゃなかったら、そんなふうにお願い聞いてくれたりしないはずだもん、絶対」

「それも根拠のない自信じゃん。もしかしたら沖島くん、香月さんのお願いも全部聞いてあげてるかもしれないし」

「え、まさか。それはないよ。大丈夫」

 そう言って笑うと、ちーちゃんは思い切り眉をひそめてあこを見つめた。

 なにか言いたげな顔をしていたけれど、数秒間迷ったあとで、結局やめたらしい。代わりに、あきれたようなため息をつく。それから食べかけていたお弁当に視線を落とすと

「……ほんと、亜子のそのわけわかんない余裕はいったい何なんだか」

 ぼそりと呟いて、中断していた食事を再開した。

 あこもまた反論しようかと思ったけれど、結局いくら言い合ったところで平行線な気がして、開きかけた口には卵焼きを放り込んでおいた。



 完全に日が落ち、空が真っ暗になった頃、ようやくサッカー部の練習は終わった。

 皆が道具を片付け、部室に引き上げていくのを見送ったあとで、あこもベンチから立ち上がる。そして横に置いていた鞄を肩に掛けると、校門へ向かった。

 十分ほどそこで待っていると、やがて着替えを終えたサッカー部の皆がちらほら姿を見せ始めた。

 すぐにゆーくんもやって来た。遠目にも、その姿だけは不思議なほどはっきりと捉えることができて、あこは校門のところからぶんぶんと手を振る。そうして、「ゆーくん」と名前を呼ぼうとしたときだった。


 ふと、彼の隣に茶色い髪の女の子がいるのに気づいた。

 途端、今まさに飛び出そうとしていた弾んだ声が、喉の奥で詰まる。

 さすがに今度はすぐに思い出した。すらりと高い背に、ふわふわの長い髪。まだ記憶に新しい鋭い視線ときつい語気に、顔の横で振っていた右手も、ふっと動きを止める。

 そのまま校門のところに立ちつくしていると、少しして、ゆーくんもこちらに気づいた。「亜子」驚いたように呟く。


「なに、待ってたのか?」

 あこの目の前まで歩いてきてから、ゆーくんが尋ねる。

 あこはちょっと緊張しながらも、「う、うん」といつものようにへらりと笑い

「ちょっと居残りする用事があったから、せっかくならゆーくんと一緒に帰ろうかと……あ、でもゆーくん、香月さんと帰る約束してたなら、あこはべつに」

「いや」

 早口に捲し立てようとしていたあこの言葉をさえぎり、ゆーくんは言った。妙にきっぱりとした声だった。

「いいよ。べつに約束してたわけじゃないから。一緒帰ろう」

 隣の香月さんが、ちらっとゆーくんのほうを見た。だけどなにも言わなかった。代わりにあこの顔に視線をずらし、ちょっとだけ眉を寄せてから、おもむろに「じゃあ」と口を開く。

 ゆーくんが香月さんのほうを見て、短く相槌を打った。そのあとに小さな声で「悪い」と言ったのも、かすかに聞こえた。それに黙って首を横に振る香月さんを見ながら、ほら、とあこは心の中でちーちゃんへ声を投げる。


「ほんとによかったの?」

 二人で歩き出してから、おずおずとゆーくんに尋ねてみれば、間を置くことなく、「いいよ」とさっきと同じ答えが返ってきた。

「わざわざ待ってたんだろ、亜子」

 素っ気ないけれど優しいその言葉に、また思う。ほら。何にも不安になることなんてない。ゆーくんはあこを選んでくれる。いつだって。あこは、ちゃんと知ってるもの。

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