我らも九州にて大いに腕を振るおうぞ

「少納言信西様にさきんじなければ、意味がない。直ちに支度にかかり、三日後には出立しゅったつせい。路銀は多めに用立ててやるゆえ、支度の間に合わぬ物は先々で調達しろ」

 父、六条判官は言う。


 父親がオレを罰し、京から追い払えば、信西も溜飲を下げるに違いない。まさか京から追われたオレを、信西がさらに重ねて処罰することはあるまい、というのである。


 京での生活が気に入っているオレとしては、勿論ここを動きたくない。

 なにしろパラダイスである。女性にモテまくり、ビジネスが軌道に乗り、清楚可憐なる美女と愛を育みつつある。しかし時の権力者に睨まれた以上、やむを得ない。新天地にて一から出直す他ない。


「ところで八郎。わしにはもう一つ、思惑がある」

 突然あらたまった口調で、父は言うのである。


「儂はお前に大きな期待をかけておる。関東で勢力拡大に励んでおる義朝(上総御曹司かずさのおんぞうし)同様、お前も我が河内源氏の一翼を担え」

「は!?」


「信西様に睨まれた以上、お前はもはや、京での栄達は望めぬ。儂のように、ここで長々と苦労するのは馬鹿げておる」

「……」


「それより地方じゃ。地方でこそ、お前の素質が生きる。九州は平氏の強い土地ゆえ、次第次第にお前の地盤とせよ。義朝に負けず、お前も励め」

「なるほど。分かりました」


 深夜まで、連れて行く郎党の人選を行った。オレは独身の有望株を中心に三〇名を選抜した。さらに、一旦河内に寄り三〇名を選んで合流させることとなった。


 総勢六〇名の郎党と九州へと向かうのである。兄、上総御曹司は少年時代に関東へ下向し、上総かずさ氏の庇護のもと成人し勢力をじわじわと伸ばした。同様にオレも、豊後の尾張おわり権守ごんのかみ家遠のもとを頼り、彼ら尾張源氏と共に勢力を伸ばせ、というのが父の意向である。


「で、その尾張権守家遠という方は、信頼出来る人なのですか」

「分からぬ……」

 あららら。何ともいい加減な話である。――


 まあ、でも仕方がない。何しろ急な事情だけに、出たとこ勝負はやむを得ない。

(どうせオレなら、何をやっても上手くいくやろ……)

 オレはあっさり、覚悟を決めた。


 翌朝、オレは父と共に郎党三〇名を座敷に集め、事情を説明し九州へ向かうことを伝えた。

「兄、上総御曹司に負けぬよう、我らも九州にて大いに腕を振るおうぞ」

 と言うと、皆一斉に、

「承知つかまつった。大いに励みましょうぞ」

 と声を上げた。そして意気揚々と、翌々日の出発に向け支度に取り掛かった。


 京を去るにあたり、オレとしては、心残りな事が二つある。

 ひとつは、いわゆる「八郎ショップ」である。社長たるオレを引き継いで商品生産や販売を担える人材がいないのである。一晩寝ながら考えたが、経営の見通しが立たない。


 ビジネスとして、そもそも大きな問題を抱えているのである。つまり当世の商品製造技術が低過ぎ、かつ特許といった権利保護スキームも存在しない。そのためどの商品も、いずれは他者に真似され商機を失う宿命にある。


 つまり毎回、適切なタイミングを見計らっては商品生産を終了し、同時に新商品をどんどん投入していく必要がある。しかしそれは、転生人たるオレだからこそ出来る事であり、他の者には任せられない。


 止む無く、オレはショップ閉鎖を決断した。洛外の生産拠点には重季さんを派遣し、職人達に小遣いを手渡して解散させた。


 もう一つ、心残りがある。オレはひと通りの采配を終えると、衣服を整え馬に飛び乗り、東へと駆けた。


 陽は既に真上にあるが、路肩にはまだ霜が残っていた。

 路面は溶けた霜で泥濘ぬかるんでいる。足下が危ういのも構わず、オレは馬を全力疾走させ、師匠円空の庵を尋ねた。


「左様でございますか。いや噂は聞き及んでおりましたが、辛いご決断となりますな」

 円空も残念そうに言う。


「お前様の御人柄は良くとも、あまりにも飛び抜けた器量をお持ちゆえ、いずれは周囲と齟齬をきたすじゃろうと思うておりましたわ。それゆえ準備を急いでおりましたが、間に合いませんでしたなあ」

 彼いわく、この事態を何となく予感し、駆け足で講義を進めていたらしい。


「今日もやれる所まで進めましょう。『孫子』はお前様に差し上げます。九州に落ち着かれましたら、たれぞ書を読める人物を探し、続きを学びなされ」

 彼の好意で、その日は遅くまで九巻「行軍篇」の講義が続けられた。


 何故か終日、お鶴の姿を見かけなかった。オレにとって、それこそが一番の心残りであった。師匠円空の講義が終わると、オレは後ろ髪を引かれる思いで庵をあとにした。

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