桃源郷へと導いて下さいまし
日々の生活が、非常に充実している。常に、何かと忙しい。
「当世はまだ、シャベルもツルハシも存在しないのか」
と気付いたオレは、鍛冶屋を呼び寄せそれらのアイデアを伝え、試作品を作らせた。
出来は上々で、試しに下男達に預けてみると、すこぶる評判が良い。
なので洛外に住む鍛冶職人達を集め、契約を交わしてそれらを多数生産させた。暫く後に納品されてきた品々を「八郎ショップ」に並べてみると、これまた世間の評判となり飛ぶように売れた。
驚いた事に、そのうち武家の下男達が数本ずつまとめて購入するようになった。地方に持ち帰り、使用するという。そのためたちまち在庫が払底した。
そこでオレは、人を揃えてマニュファクチャー体制を構築し、旺盛な需要に対応した。
販売価格は、敢えて原価の五倍程に設定している。当世の経済力を考慮すると、決して安い品ではない。
しかし、試しに「製品保証」を付けてみた。販売証書を発行し、
「半年間のうちに破損した場合、無償修理する」
と購入客に伝えたのである。すると前代未聞のシステムということで、これがまた大きな評判を呼んだ。高額にもかかわらず、皆喜んで買って行った。
「それにしても、八郎様も
郎党達が、冗談めかしてオレをからかうのである。
「どういう意味だ?」
「ツルハシとは、八郎様のおなごの名を冠したのでござろう!?」
どうやら、お鶴の名がどこからともなく漏れ伝わり、その名を冠して「ツルハシ」と名付けた……と誤解されているらしい。
「それは違うぞ」
と否定するが、街中に、
「源氏ヶ御館の八郎様の、
と広まってしまった。以後、お鶴や円空と顔を合わせ辛くなった。
館の女性達は、この噂を聞いて憤慨、闘志を燃やしているらしい。
「
とばかり、ますます彼女達のアプローチが激しくなった。朝目覚めると、オレの布団に下女が潜り込んでいたりするのである。
既に何人目だろうか。慣れたといえば、早くも慣れた。しかし
「八郎様、おはようございます」
と言いながら布団の中で、今日も元気に「おはようございます」状態のオレの
お鶴とプラトニックを貫きたいオレは、一瞬にして絶体絶命のピンチに陥った。
(こいつめ……)
――攻撃こそ最大の防御なり。
オレは即座に反撃に出る。前世において
(わはははは。
袂で顔を覆い、よろよろと布団を出て座敷を去るお竹のお尻をぼんやり眺め、オレはしばし勝利の余韻に浸った。余韻に浸りつつ、彼女の秘めたる匂いを放ちびしょ濡れの両の手を、どう始末すべきか途方に暮れた。
もっとも、この「快勝」は逆効果となったようである。
「八郎様は意外にも、アチラの方もなかなかの
と知れ渡り、翌朝より必ず誰かが、ローテーションを組んでオレの布団に忍び込むようになった。そして、
「
とせがまれた。
実に困ったものである。あくまでタテマエとしては。――
この状況を兄達は、
「八郎は
と、苦々しく思っているらしい。オレの部屋に出入りする下女達を直に目にし、ますます反感を強めているようである。
(知ったことかよ……)
オレは相手にせず、彼らを無視した。女性陣のみならず、郎党達の大半が、
「文武に
と、あたかもオレが次期棟梁であるかのように認識し始めたようで、館内の空気がオレ一色に染まりつつある。
師走を迎えた。――
オレは、天気さえ良ければ寒空の
韓非子の講義が終わり、次に円空が取り上げたのが、何と「孫子」であった。言わずと知れた、古代中国の兵法書である。
「何故、僧の貴方がこのような書物を!?」
驚いて尋ねると、
「お鶴がお前様のために、他所様で書き写して参ったのですよ」
と、円空は言う。
全部で一〇巻以上という、大作である。決して楽な作業ではない。オレは恐縮し、お鶴に頭を下げた。お鶴は黙って、オレに微笑む。オレはお鶴をその場で抱きしめたくなった。
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