弓の稽古をつけてやろう

 自室を出て人前に姿を現したオレを見て、人々が騒ぎ出した。


 そりゃまあ、当然だろう。重季さんの話によると八郎オレ君は、わずか一一歳だという。しかし当のオレは、バスケをやっていたせいもあり身長が一八〇cmもある。まだ毛も生え揃わぬガキが、数日引き篭って見かけないうちに身長一八〇cmになっているのだから、驚かない方がおかしい。しかも見回すと皆小柄で、オレが一番大きいという有様なのである。


「顔つきも変わられた。オトナの顔になった」

 と、誰もが口にする。しかし、

「別人ではないか?」

 と疑う人は、幸い誰もいなかった。


 本来の八郎君一一歳も、どうやら腕白な武家のガキんちょながら、顔だけは色白ぽっちゃり系だったらしい。オレもたまたま色白ぽっちゃり系で、ただし数年バスケをやったため、それが多少引き締まった一七歳……という顔つきである。室内競技なのでほとんど日焼けもしていない。なので誰もが、

「急にオトナの顔になられた」

 と感じるのみで、妙な疑いを持つ者はいないようである。


 いや、何かヘンだと疑う者が、ひとりだけ居た。重季さん情報によると、その人はオレの二番目の兄、義賢さんらしい。


 義賢さんとは、丁度オレが頭痛と称して自室にこもった初日、たまたま用足しに庭へ出た際すれ違った。なので本来の八郎君一一歳が、(数日ではなく)わずか一夜にして別人のように変化してしまった様を、まさに目撃されているのである。


「一夜にして一尺もたけが伸びるなぞ、あり得ぬ」

 と、周囲に主張した。しかしこれは後に判明したことだが、義賢さんは男色ホモウェルカムの人で、

「武家の出でありながら、尻で左大臣に仕えておる」

 と皆から内心バカにされ、密かに軽んじられているらしい。なのでオレにとっては幸いな事に、義賢さんの主張に耳を傾ける者はいないようである。


「八郎様は既に、立派なオトナの体をしておられる」

 と、女性達も皆、オレを見て騒いだ。


 井戸端でオレのないすばでぃを見た人々がそう噂して回ったらしく、たちまちやかた中の女性に知れ渡った。オレとすれ違う女性は、気のせいかオレを妖しげな目で眺めるのである。絶対、オレを見てヘンな妄想をしているに違いない。いや、オレもだからその辺の女性心理はよく分からないが。――


 そんな中、騒ぎはさらに大きくなった。当家嫡男である上総御曹司の一行が無事、当やかたに到着したというのである。

 御曹司達が入浴を終えて座敷に姿を見せると、早速宴が始まった。


「ほう……八郎か。お前、大きゅうなったな」

 居並ぶ兄弟の中、一際ひときわ目立つオレに目をとめた御曹司――つまり八郎オレの兄らしい――が、声をかけてきたので、オレはボロを出さないよう、ただ黙って頭を下げた。


 平成っ子たるオレ的には、料理は正直イマイチだし酒も不味い。しかし人々は満足げで、宴席は随分盛り上がってきた。

 これは情報収集の大きなチャンスである。オレはさりげなく、ただし必死で周囲の会話に耳を傾け、かつ頭をフル回転させた。ついでに当世の口調も習得しようと努めた。


 上総御曹司というのはいわゆる通称であり、正しくは「義朝」という名前らしい。

 河内……即ち大阪南部を地盤としつつ、京で崇徳院に仕える父、六条判官為義。対する嫡男の上総御曹司義朝は、少年時代に関東へ下向し、以来清和源氏の盟主たる足場固めを着々と進めているというのである。現在まだ二〇代後半だというから、スゴい人なのだろう。


(それにしても、義朝っちゅう名前は聞いたことがあるような……)

 いや、勿論気のせいかもしれない。何しろ源氏の系図を見ると、「義」の字も「朝」の字もさんざん見かけるのである。オレが辛うじて知っている、頼朝と義経の名からそれぞれ一文字ずつ拝借すれば、それこそ「義朝」になるではないか。


 ただ、もしオレの頼りない記憶が正しければ、平安末期の「平治の乱」において、源氏の旗頭となった人物が「義朝」だった。

(で、義朝の子供が頼朝で……義朝が平治の乱で負けたから平氏が栄えて……。頼朝は負けて逃げる途中でとっ捕まって伊豆に流される……と)


 っちゅうことは、上総御曹司……つまり義朝さんに子供の名前を聞いてみて、もし頼朝という名前があれば「ビンゴ」だろう。今はまだ、頼朝が鎌倉幕府を開く前ということになるから、時代は平安末期。しかも平治の乱の前ということで確定。八郎オレは源義朝の弟だから、頼朝や義経のということになる筈である。

 いや、しかしそれがどんな人物だったのかは、知識ゼロだが。――


 オレは思い切って、目の前の瓶子へいじを掴むと上座の御曹司の方へとにじり寄った。

「兄者。お元気そうで何よりでございますな」

 御曹司の盃に酒を注ぐ。


「おうおう、八郎か。お前は立派な侍に成れるぞ。……そうじゃ、明朝はお前に、弓の稽古をつけてやろう」

 オレの注いだ酒を飲み干しつつ、御曹司は赤ら顔の上機嫌で、オレに言う。


「ありがとうございます。……ところで兄上、お子様方はお元気でございますか?」

「おう、元気じゃ。上の悪源太も下の悪若丸も腕白でのう。先程生まれた鬼武丸も、もはや三つじゃ。病気ひとつせず元気に育っておる」


 あちゃあ。――

 そういえば頼朝の幼名なんて、知らんわ(涙目)


 オレは頭を抱え込んだ。

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